4
離れていた数ヶ月が悪い。幾度も重ねた諍いやすれ違いは都合よく記憶から流れ、結局再会したときに一番最初に蘇るのは甘く柔らかな感情ばかりだ。幾度か自覚した、知ったと思われた愛情は、二人がすれ違う度に自分のプライドを守るため、無いものとして打ち消すことを繰り返していた。
そうかと納得し、しかしそんなはずはないと否定する。そんなことを何回も重ね、自分の感情をあやふやにごまかし、それで得たものは何だったのか。意地と距離。失っていくものばかりだった。
「……好きだ」
声に出すと胸にすとんと落ちた。まるでそれが当たり前のもののように。複雑で難解なパズルのように感じていた感情は、はまれば何の違和感も感じさせずに自然にそこに収まっていく。
「全くもう、何してるのよ」
往来でしゃがみ込む後頭部に声がかかる。驚いて振り返った葵を見下ろしていたのは小さく肩で息をする馴染みの店のウエイトレスである。
「なんで、ここに……」
「この前はあんなに盛り上がったのにすっかりご無沙汰なんて薄情じゃない?」
「ごめん……」
今日も避けていたのだからばつの悪さに顔をしかめるしかない。ミンナは肩を竦めてアオイの腕を引いて立たせる。
「自分が目立ってるって自覚無いの?」
「あ、そうだよな。こんな道のど真ん中で座り込んでりゃ……」
「バカね、違うわ。そんなことしていなくったってアオイは目立つの。どうみたって外国人じゃない。まあ元々近衛第一の発祥は異人部隊だから自分が特別っていう意識が希薄なのも仕方ないのかもしれないけれど。ショウナだってそうだし、記念式典なんかでちらっと見たことがあるくらいだけど金髪の人、隊長さん? あの人だって外国の人でしょ。分かりそうなものだけど」
一呼吸をおいて葵が口を開く。
「チャルは?」
「どこからどうみてもあれはこの辺にもいる一般人だけどさ」
ミンナの言うとおり、葵の所属する部隊には様々な容姿の人間がいてこの国の人間の多様性に葵は最初密かに驚いていた。だがそういうものなのだろうとさほど重要視はしていなかった。
(王族直下なのに外国人を集めるって、そんな話あるものなのか? 勅命を受けるような重要な部隊なのに?)
だが一つ目線を変えれば納得できる。外国人部隊ではない。推測するに異世界人部隊なのだ。以前は蔑ろにされていたというバロック達だが、その秘すべき力を行使する姿を見れば恐れるか手中におくか、権力者の選択肢は多くないはずだ。そして同隊に所属する自国民は口封じ、あるいは監視役として配された。
以前の処遇として処分されたバロックが多かったと訊いてはいたが、恐らくその力を表す手段を理解する前に捕らえられたのだろう。そのため言葉の通じない不法入国者として切り捨てられた。逆に能力の使い方を知り近衛に配された者達は見知らぬ異世界での生活基盤を得るためにそこに身を置く。矛盾は無い。ただ現在存在するバロックはネルだけだと聞いているから、今時点での構成はその推測の限りではないだろうが。
「なるほどなぁ」
すんなりと受け入れられたその考えについて一人納得していたが不意に腕に押しつけられる柔らかい感触に目を剥いた。手を引いて立たせてくれたミンナが右腕にぎゅっとしがみついている。上目遣いに見上げられたうえ、かけられた圧に形を変えた胸は葵の腕を包み込もうとするかのようにふっくらと腕にまとわりついている。
「ミ、ミンナさん」
「何よ」
「ちょ、これはまずい」
「この前だって触ったくせに」
「触ったって言ったってあれは」
さらに押しつけられてしまえばラッキーだなどと感じる余裕もない。仕方なく目を逸らし何とか離れてもらおうと抵抗したが、意外に力強くしがみつく様を見れば無理矢理外すのは諦めるしかない。
「人の目の前で心ここにあらずって顔しないでよ。こっちだって意地になるわ」
「あ、すいません」
「もう……」
「うわっ!」
もう、とこぼしながら葵の腕に唇を寄せる。突然の行為に驚いて思わず乱暴に手を振り払ってしまうと、
「失礼よね」
機嫌を損ねた風でもなくミンナは笑って体を離した。
「泣き顔見られて気まずいのは分かるけど、私の方が年上で人生経験豊富なんだからあのくらい大したことは無いってこと知ってるのよ。誰だって恋に泣くことはあるの。だから避けるのは止めて。アオイが店に来なくなったのはおまえが下手に手を出したからだってオーナーに散々責められたんだから」
「そっか。ごめん」
「実際、手を出してなんかいないんだからとんだ濡れ衣よね」
「だね」
あの日、キスは確かにした。しかしそれ以上の何かは無かった。腕を広げアオイを迎え入れたミンナは、ただ優しく頭を撫で続けた。そうされながら他人の胸に耳を当て心拍を聞いていた葵は、その行為の持つ意味を知った。そして交わされたキスの意味も。
「ラレーが買い出しの最中にアオイのこと見かけたって教えてくれたの。なんだか思い詰めた顔をしていたからって。直接声をかければよかったのに、わざわざあたしのところに来たのよ」
「なんで?」
「長いつき合いだけどあんなラレー初めて見たわ。すっかり後ろ向きで消極的になって。それだけアオイに本気なのよ。あたし達が宿に入ったこと、何気なくラレーに話したの。別にいつものことだったのよ。あの男は具合が良いとか、あいつは下手だったとか」
「……うわあ、やな情報交換してるなぁ」
顔をしかめた葵を気にせずミンナは続ける。話しながら引っ張られていく先は食堂の方向で、とりあえず昼食はそこで摂ることになるだろうと素直に従って足を進めた。
「ラレーってさ、肉屋の看板娘じゃない。あの子目当てに通う客だって少なくないのよ。明るくて気さくで、それなりに綺麗だしスタイルだってなかなかだわ」
「うん、それはまぁ」
同意をする振りをして話を促す。スタイルについては好みがあるから言及するつもりもないが、ダイエット話に花を咲かせるクラスメイトに囲まれていた葵にとっては少々肉感的過ぎるように思われた。が、それはそれで確かに男から見れば魅力的ではある。
「自分がもてることを知っているし、だから女として自信がある。そういう子って奔放になるわ。だって誰の前に出ても恥ずかしいなんて思わないんだもの」
「ああ」
納得がいく。ショウナやチャルも好意的に話していたし、確かにそうなのだろう。
「それが、アオイの前ではどう?」
「そういえば最近は物静かに見える、かな?」
明るく元気の良かった肉屋の看板娘は、先日も控えめだった。以前なら葵の腕を強引に引っ張って店に引き込みパイから何から口に詰め込まれたものだったが、最近はちょくちょくこちらを窺うような素振りをする。
「あんたの反応が怖いのよ」
「……俺の反応が怖い?」
「本気で好きになった相手にどう思われるかが怖いの。笑っていてほしい、幸せになってほしい。そうなるときの相手が自分ならどんなにいいかって考えるでしょう? 同時に、嫌われたくない、怒らせたくないとも思うはずだわ。自分のせいでそうなるなんて悲しいもの」
「……あいつもそうだったと思う?」
「え? あ、リオって子?」
葵の問いかけに一瞬考えたミンナだったがすぐに悟ったようだった。
「俺の言葉に怯えて、ビクビクしながら機嫌を窺ってさ。俺に嫌われたくないって思ってたってこと?」
「……アオイの話を聞いていた限りでは普通に嫌がってたんじゃないかと思うけど」
三週間前にされた宿での告白の内容は余りに子供じみていてミンナは呆れを隠せなかった。幼なじみに対する暴言の数々。葵は包み隠さず話したし、ほとほと弱りきっていたので厳しいことは言わなかった。だが、少女の為を思って言った言葉、した行為がことごとく空回っていたことはよく分かった。と、なればあのときよりも幾分かは冷静になっている葵に対して濁した返事をすべきではない。
「そっか。そうだよな」
落ち込みを隠さず自嘲気味に笑う葵の表情には陰があり、ミンナはあら、と声を漏らした。
「ん?」
「葵もラレーと一緒ね。思い悩んだってどうにもならないんだから、いっそ堂々としていたらいいのよ。リオって子だって、今更アオイがそんな風にしおらしくしてたって調子が狂うでしょ」
「うん、そうかな。どうせなるようにしかならないし、考えすぎても俺らしくないか」
その考えのなさが今の二人の状況に繋がってはいるのだが、ミンナは何も言わず微笑んだ。リオという少女は自分から葵に対して何かをするような娘ではなさそうだ。葵まで消極的になれば、二人はきっとどうにもならない。どちらかが動かなければ。
「それにしても、あーあ。嫌になるわね」
ミンナは一人ごちる。
(アオイって単純すぎるわ。あたしやラレーのことなんて本当に眼中にないのね)
押しつけた自身の胸の歪みがまるで虐めているようで可哀想な気になって、ミンナはそっと葵の腕から身を離した。
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