※※※



 久しぶりに受ける強い日差しに目眩がした。入城してから今まで、マベルのいる中庭を訪れる以外、屋外に出たことがない。


 城の正面からではなくディノがよく使うという使用人用の裏門から外に出て、遠回りをしながら外門近くにある馬車の降車台にいくとすでに小さな馬車が待っていた。


 二人が乗り込むのを待ってゆっくりと動き出した馬車は小高い丘からの下り坂を進み運河へと差し掛かる。


「以前教えたな。この運河から王城に架かる橋は三本あり、うち二本は跳ね橋になっていて通常は使用しない。幅は広く作ってあるがなにぶん弱い造りでな。これは戦争の時にのみ降ろし斥候など少人数の部隊が出るときに使用する。それだけでなく軍事的な戦略に関わる理由があるのだが分かるか?」


 莉央はすでに窓から見る景色に夢中になっていた。ただでさえ車輪の音が大きく話し声が聞き取りづらい。ディノの言葉が耳に入らないのも仕方のないことだった。目を大きく見開ききょろきょろしながら景色を眺める様子に、ここまで来ての話題が講義と変わらないのは無粋だったかと苦笑した男は、同じように反対側の窓の外に見える緑に目を移した。


 橋から見下ろす運河の水面は小さく波打ち眩しく光を散らしている。川沿いには一定の間隔を持ち植樹されており、夏らしい青々さが景色を彩っている。高層住宅に住まう莉央の身近にはなかった、自然味溢れる水と緑の香り。今初めてそれを肌に感じ大きく息を吸う。


「気に入ったか」


「はい。とても綺麗です。来たときはあまり余裕がなかったからきちんとは見ていなくて。町並みも素敵ですね」


 少し先を見れば四角く低い建物が立ち並ぶ。道は整備され、積み重ねられた壁面はきっちりと形を揃えた長方形の石で出来ている。おそらくセメントのようなもので繋ぎあわせてあるのだろう。単純な造りだが頑丈そうだと莉央は眺める。


「この町は先々代の王が即位された折りに新たに作られたものだ。伝統的な建物もなにも全て一掃して六十年掛かりで完成した。そのために歴史学者達からは非難の嵐だったそうだ。建造物のみならず地盤から全て掘り起こしての大作業だったからな。地学、民俗学、考古学、果ては神学者に至るあらゆる学者達が異を唱えたにも関わらず強行された。この地には元々エボという木が多く生えていた。真っ直ぐ伸び節が少なく、耐久性や耐水性、さらには虫の害にも強い木で建材としてはうってつけでな。そのためそれまで木造建築物が主だったのだが」


「今はほとんど無さそうですね。どうしてですか」


「国の方針が変わったのだ。王が変わり政治が変わる。それまでは積極的に戦争を仕掛けることはなかったが、勝つことに価値を置く王には火をつけられれば簡単に焼け落ちるような建物なぞ必要なかったのだな。ま、住まう者としては道が整備され住居の区画の管理も容易になったのだから悪いことばかりではない」


「じゃあまだ比較的新しいんですね」


「フォルスブルグエンドにはなかった石の加工方法を伝えたのはバロックだと言われている」


 莉央は景色にあった視線をディノに移した。が、ディノはと言えば景色に飽きたのか揺れる馬車の中で本を開き目を離すことなく続ける。


「迫害された者もいれば、こうして歴史に残る関わりを持った者もいる。君がどちらになるのかは私にも読めぬが……、王子の愛妾となれば、何か大きなことをさせられそうな気もするな。他国の者に愛想笑いを振りまいているだけでは許されぬだろう」


「そうですね……」


 それ以上をいえず、再び町並みに目を戻した莉央をちらりと窺いながらディノは考えを巡らせていた。


(王子の政治手腕は大したものだ。だが斬新かと思えば過度なほど古い風習に固執しているように見える節もある。王族が素顔を隠すなど、それこそ創世期の伝統で、しかもすでに廃れた風習だったはずだ。それを再びこの代で行うことの意味。いくら見目が良いとはいえ、庶民との距離は近くない。城の中でそれほど下級の者と接する訳でもない。父王にしても若い頃は整った顔立ちをしていたが、顔を合わせるだけで勘違いするような輩などなかっただろう。なぜエルヴィラは素顔を隠そうとするのか)


 莉央はその素顔を知っている。幼い頃の肖像ではなく、今現在の青年である姿を。


「莉央、王子はどんな顔をしている」


「え?」


 唐突な話題にぱちくりと目を瞬かせた莉央だったが「そうですね……」と即座にその姿を思い浮かべたようだった。


 ディノは自分の思考に没頭しやすい質であることを自覚している。そのため今のように唐突に話題を出すことも少なくはない。しかし莉央はそこに触れない。妻であった女は「いきなりなんなの」とまず理由を問うことが常であったから、莉央の素直さはディノにとって面倒がなく、そこも好ましい。


(しかし、どうしたのか。長く忘れていたあの女のことを最近はよく考えるな。正反対の娘と一緒にいるからか。まあ、あれも今思えばそれほど悪い女ではなかったかもしれぬが)


 そう考える自分が忌々しいと苦い顔をしたディノだったが、莉央が口を開けばもう妻のことなど頭から飛んでいた。


「ええと、とても綺麗なお顔立ちをなさっています。すっきりとした切れ長の目で、眉も綺麗に整えられています。鼻は筋が通っていて、とてもこの国の方らしいと思います。そうですね……、鼻の形はディノ様と似ていらっしゃいます」


「ふむ。この鼻はこの国の者の特徴かもしれぬな。それに比べ君の鼻は少々低いか。連れの少年はどうだったか……」


 悪気のないディノの言葉に莉央は苦笑する。


「私の国の人はみんなこんな感じです。諸外国の人に比べてのっぺりしているというか……。そのためか好まれるのは、目鼻立ちのはっきりした彫りの深い顔立ちですね」


「そうか、しかし見目の醜美は結局のところ全体のバランスによって決まる。確かに君の顔はのっぺりしているが、別に醜くはない。むしろまとまりがあってなかなかのものだ。ご両親に感謝するんだな。君の容姿はこの国の基準でもそれなりだ」


「ありがとうございます」


 喜ぶべきか悔しがるべきなのかの判断が付きかねるディノの評にまた困ったような笑みを浮かべた莉央は、「あ」と付け足した。


「顔立ちが似ているわけではないんですが、エルヴィラ様のお部屋にある肖像画に、たまにそっくりだと思うことがあります。なんていうか、表情とか」


「ほう」


「連作なんですが、建国神話の登場人物を描いたものらしくて、その中の一つに」


「何という画家のものか、タイトルは分かるか?」


「分かりません。でも大体でよければどんな絵かは再現できると思います。絵を描くのは得意なので」


「そうか! ならばケチるわけにはいかぬな。紙も筆も盛大に買い込もう」


 ディノの楽しそうな笑いに莉央も笑う。道中は時折堅苦しい講釈を交えながらもそんな様子で穏やかに進む。


(そういえばあのときも)


 葵と二人馬車に揺られていたときもこんな時間を過ごしたことを思い出す。


(葵くん、どうしてるかな。会いたいな……)


 たった三日の道程だったが莉央と葵の距離はあのとき確実に縮まっていた。縮まるというよりは過去に戻ったとでもいうべきか。莉央は久しぶりに互いの顔を見て話していると感じた。それまでの互いに一方通行を繰り返していたのとは違う、幼い頃と同じ、守られている感覚。それを思い出せば、他の諍いに幾度となく憤ったことなど些細なものだと思えてくる。特に、長く離れているからなおさらだ。


「遠い目をしおって。なんだ、少年を思いだしているのか。君は彼に恋慕しておるのだな」


「違います。会いたいとは思うけど、そんな意味ではなくて、どちらかと言えば思慕の方だと思います」


「そうか」


(自分の顔を見てみろと言いたいところだが、見たところで当人にはわからぬのだろうな)


(ディノ様って、意外と恋バナ好きなのかな。ちょくちょく奥様のお話をなさるし)


 それきり二人は口をつぐんで、揺れに身を任せた。まもなく大きな時計塔周りの広場にたどり着き、馬車での行程はひとまず終了となった。


 馬車を降りた後は徒歩での移動となる。仕事を離れて一人歩くことがまれだというディノは道案内には全くと言っていいほど役に立たなかった。社会的地位のおかげで、何かを頼めば大抵誰かがやってくれる環境にいるため用は足りる。莉央が借りた奥方の衣装も、ディノ自身が購入するために店を回ったわけではなく、たまたま城に来ていた行商人を見つけて買っただけなのだという。


「その私が自ら出向こうというのだから盛大に感謝してくれてかまわないのだぞ」


 恩着せがましい物言いだが莉央は素直に礼を告げた。外出できることは喜ばしいに違いなかった。


 足下に敷かれる石畳はどれも平らに磨かれていて踵がとられることはない。一つ一つは小さく、密に並べられているので車上でも揺れが少なく快適に過ごせた。見回せば区画は規則正しく区切ってある。莉央の自宅マンション付近と同じいかにも新興住宅地といった分かりやすい町並みである。


「用途地域が定めてあるから商業街や住宅地などが分かりやすい。私のように不慣れな者でも少し調べておけば歩けるから助かるな」


 元々町の外壁は高く頑丈に作られており、敵の侵入を許さない。しかし以前の木造建築主体の町では城壁を越えて火矢でも射られればひとたまりもない。そのために石造りの建造物を増やし、区画を整理して道路を太くし延焼被害を最小に押さえるように計画した。先ほど馬車を停めた広場も、そういった事態の際に避難できるように作られた場所なのだという。時計台の脇には大きめの水くみ場があった。消火活動に使用するほか、飲み水の確保も大きな目的なのだろう。


 結局ディノが口にするのは講義めいた話題ばかりだったが莉央は退屈しなかった。今歩いている町がどのような理由で作られたのかを知るのは思ったよりも楽しかった。自分なりに、道々に眺める建物の小さな汚れや傷にも想像を働かせる。


 散策をしながら住宅街を抜け商店を目指す。どうやら東西を間違えたようで遠回りになってしまったらしかったが気づかない振りをした。ディノとしてはまだ説明の時間が必要だと考えているのかもしれない。案内されている莉央が口を挟むことではない。


 それでもさすがに一時間以上も歩いていると疲れが見え始めた。普段城の中を移動しているだけの莉央は日差しを受けるのも久しぶりだ。ましてや夏の陽気である。


 その歩調が弱まったのに気づいたディノは自分の状態と照らしあわせ疲れたのだろうとまでは察したが、しかし莉央の不調の原因にまでは思い至らなかった。


「なんだ情けない。もう少しだぞ。気力で歩け」


「はい」


 こんな時、弱音を吐くことを莉央はしなかった。自分のせいで予定どおりことが進まないのは申し訳ないと思ったし、それで過去に文句を言われたこともあったからだ。せっかく連れてきてくれたのにと頭痛と軽い吐き気には目を瞑る。もう少しならば我慢できるだろう。自分をだましながら重い足を引きずる。


「ん? 莉央、向こうは道が混んでいるようだな。こちらから回るぞ」


 曲がり角を先に曲がりかけたディノは、遅れる莉央にじれたのだろう、その腕を遠慮なく引っ張った。しかしそれで簡単によろけたのを見て眉を潜ませる。


「どれだけ体力がないのだ。君の場合は座学より体力だな」


 実際のところ、疲れがあるのはディノも同じだった。普段執務は城でこなし、屋敷への道中は馬車の中。しかし、それでも莉央よりは健康的な生活を送っていた。わずかな時間でも外気を浴び、太陽の恩恵を受けている。なにより元々の体力の違いもある。だが莉央との環境の違いを考察するに至らなかった。


「仕方ない。どこかで休むか」


 ようやく休める。徐々に強くなる頭痛に顔を上げるのも億劫になっていた莉央だったが、弱く頷いた。しかしそれが莉央の意志で出来た最後の動作だった。そのまま膝が落ち、前方に倒れ込む。


「リオ?」


 とっさに受け止めたディノはまず呆気に取られて固まった。次にその体の持つ尋常ではない熱に気づく。


(日に当てられたか、なんと虚弱な。いや、私のせいか。城に籠もりきりの娘を連れているというのに久しぶりの外出に浮かれていた。それにしてもなぜ具合が悪いのならば言わなかった)


 対処に迷い愚痴めいたことを考えながら周囲を見回す。莉央がたとえ具合が悪くても言えないだろうことはディノにもわかっているからこれはただの言いがかりだ。だからこそ本人には言わない。


「ええい、仕方がない。リオ、もう少しだけ我慢せよ」


 声もなく頷くことすらままならぬ様子の少女を抱え上げると、その重みにふらつきそうになる自身の体力の無さを叱咤しながらディノはよたよたと足を進めた。






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