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持ち手の先に楕円状の枠をつけた木製のスティックに等間隔に穴を開ける。そこに羊の腸を繊維状に加工したものを引っ張りながら通していく。たわみがあると上手く使えないのでそこは慎重に力加減を探る。
木工など技術の授業でやったきりだし、道具も勝手も違うのですんなりとはいかないが、軍での講義に小刀を使用しての木材の切り出し演習があったので案外手こずらなかった。もっとも羊の腸を入手するには少々苦労があったのだが、これも休暇の度に城下に通い、馴染みの店を作ることで融通を利かせてもらうことが出来た。最初に依頼したときにはそんなものを作ってどうするのかと散々訝しがられた。
「完成、かな」
手持ち部分には薄手の布を細く裂いて巻き付けていく。この作業で握りやすさが変わってくるので微調整を重ねる。なにもかも手作りのテニスラケットがようやく一対出来上がったところで、葵は大きく息をついた。
小学生の頃に読んだ初心者向けのテニス読本にちらりと書いてあった「ラケットの起源」の項目が、今更ここで役に立つとは思わなかった。ボールはこの世界でも使用されている革製のものがあったのでそれを使うつもりである。ネットの高さは何度も張ったから覚えているし、詳細なコートの広さまでは測れないが歩数でおおよその大きさはわかる。これでゲームらしきことが出来るだろう。
立ち上がり柄を両手で握りしめる。手にしっくりと馴染むことを確認するといてもたってもいられず素振りを始めた。少し重いが筋力が付いた今さほど負担にはならない。だが、空気を切る唸りにベッドでだらしなく横になっていたショウナは「外でやってよ」とつれない態度だ。
「ちょっと付きあわねぇ?」
訓練場から少し入り込んだところに丁度いい広場があるのは確認済みだ。ネットはないが堅い縄も入手済みで、それを結いつける木も目星をつけてある。あとは一緒にプレイしてくれる人間を捜すだけなのだが、一番難儀しそうなのはそこだった。
「せっかくの休みなのに何が悲しくて動かなきゃなんないのさ」
案の定つれない返事だ。体の小さいショウナは体力も葵に劣る。五日に一度の休日は大抵ベッドでだらだら過ごすことを知っている葵は、そこで無理強いも出来ずもどかしさに髪を乱暴にかき混ぜた。
「あー、莉央がいりゃ多少は打てるんだけどなー」
まだ始めたての小学生の頃はボールを打つことだけでも楽しくて、スクールのない日にはどちらかといえばインドアなタイプの莉央や晃流を引っ張りだして打ち合ったものだ。晃流は早々に逃げてしまったが、莉央はよく橙基と一緒につき合ってくれた。
必死な顔で打ち返し、たまのラッキーショットが葵のラケットをすり抜けていくと「莉央すげぇ! 兄ちゃんやっつけたじゃん」と飛び上がって喜ぶ橙基に照れたように笑っていたのを思い出す。
「あ、出たよ。キモ顔。またお姫様のこと考えてる」
「べっ、別にそんなんじゃ」
「いいって、いいって。あれでしょ。欲求不満的な。アオイの周り男しかいないもんね」
「お前だって一緒だろ」
「アオイほどじゃないよ。僕先週だってラレーさんに会ってきたし」
「それは俺も一緒だった」
「うん、でもアオイの興味はラレーパパが作ったその変な糸でしょ。二時間もそればっか見てる間、僕とチャルが何してたか全然気づかなかったの?」
冗談でしょと言わんばかりに顔をしかめ、もぞもぞと起きあがるとショウナは大きなあくびをした。
「何って、お前等店の奥で休憩してるって……、え?」
「いやー、よかったよ」
「何が!?」
「言わせる気?」
「……いや、いい」
こういったことは度々あった。羊の腸の加工品の入手に何軒もの肉屋を巡っていた葵に面白がってついてきていた二人は、出かける度に気づくと姿を消しておりしばらくするといつの間にか戻っている。男同士だしはぐれたところでそれぞれ適当に帰ることが出来るからとその行動を深く考えはしなかったのだが。
「あの人肉付き良すぎるんだけどその分胸もおっきいから色々楽しめたよ。今度葵も一緒にしようよ」
全く邪気のないショウナの笑顔を見ていると、その誘いはまるで「うちでゲームやろうよ」とでも誘われているかのような錯覚を覚える。だが、
「ラレーさんはねー、右の胸がいいんだって! いっつも右ばっかりいじらせるからそっち側だけ大きくなってるんだよ。何がおっきいのか知りたくない? そりゃ、もちろんにゅうり……」
「わかった! わかったから黙ってくれ」
調子に乗って喋らせると、留まることをしらないためにどんどん露骨になっていく。
「えー、せっかく攻略法教えてあげようと思ったのにー。ここさえ攻めれば初心者でも何とかなるっていう」
「そんな気配りいらねぇし!」
興味がないことはない。むしろ興味津々である。だがあまり知り合いの生々しい話は聞きたくない。次に肉屋に行ったとき、娘の顔を見られなくなる。
「男の恥じらいは見苦しいってば」
ショウナに馬鹿にされるのが悔しく、葵はラケットをもって立ち上がった。
「いってらっしゃーい」
余裕を見せながら悪びれなく笑うショウナに、軽く手を挙げて部屋を出た。
チャルを誘うか、いざとなったら壁打ちでもするかと考えながらプラプラと廊下を歩いた。兵舎の廊下には窓がないため昼間でも薄暗い。城に隣接し、城壁のように巡らされている建物は要塞としての機能を備えるため、ガラスなどの脆く危険な建材の使用を避けているためだ。ただそれは外部に向かう側だけで、城側に向く居住エリアの室内には採光の為の窓が付いている。
結局人を誘うのも億劫になり、葵は訓練場に通じる出口から一人外に出た。天気が良く、眩しさに顔をしかめながらも建物を見上げ、自室の位置を確認する。
二本持ってきたラケットのうちの一本を地面に置く。ポケットから皮のボールを取り出し、先ほど出来上がったばかりのラケットの上で何度か弾ませる。思ったよりも弾力のある打ち心地に笑みをこぼしながら、ボールを頭上に高く上げ、全身のバネを使い体重を乗せ思い切り打ち込んだ。
ぶつかった壁はパーンと何かの破裂するような音を立てた。ノンプレッシャーボールに近い打撃感で、いつも使っていたものとはやはり感触が違うがそれでも十分だった。二度、三度と同じ場所を狙い打つ。
サーブを何発か打った後はストロークを始める。ボールの縫い目のせいで弾み方が不規則で同じ位置には戻ってはこないが、それはそれで面白い。サーブとは違いランダムに戻るボールを追いかけ、また同じ場所を狙って打ち続けているうちに夢中になる。とにかく長く続けようと慎重に、そして力の加減に気をつけながら丁寧に打ち返す。
「一体何の音だ、やかましい!」
自室に響くボールの跳ね返る音にたまらず窓を開けたのはチャルだった。いや、チャルだけではない。周囲の窓が軒並み開く。ただ扉を叩いただけでは出てこないだろう男たちを釣るために仕掛けた壁打ちの結果は上々だ。
「なんだ、アオイか。お前朝から元気だな」
「一緒にやんねぇ? テニスっていうスポーツなんだけど」
チャルやショウナ以外の同僚ともそれなりに仲がいい。誘えば何人かは窓から身を乗り出し興味深い様子で眺める。
「このラケットでボールを飛ばして」
言いながら手本を見せる。数ヶ月のブランクはあるがフォームはまだ崩れていない。小気味の良い音を立てラケットから離れたボールが壁に当たる瞬間には戻ってくる先を予想して半身を引いて構え直し、
「こうやって返す!」
思い切り打ち返せばまた気持ちの良い音が響いた。そうしてもう説明を忘れてボールに夢中になっている葵に皆の視線が集まる。
しばらく打ち続けたが、予想外の方向に弾み追いきれなくなったボールを諦めた。胸を荒く上下させながら建物の出口に顔を向ける。
「ラケット二本しかないから順番だけどいい?」
汗を拭って笑った葵の周りには何人もの同僚が集まっていた。
夕方近くまで続く強い日差しが容赦なく肌を焼き夏の跡を刻む。滴り落ちる滴がもうどこから湧き出ているのかわからなくなるほどに全身が濡れている。不幸中の幸いなのは湿度が低いことくらいだろうか。おかげでかいた汗の分だけきちんと熱が発散されている。
結局ショウナを除いた今日の非番組の七人が集まり交代で打ち合った。ルールを教え、ゲームらしきこともやった。それだけで今日のところは収穫があったと葵は鼻歌を歌いながらラケットを確認した。自分の力だけでやったのでぴっちりとは張り切れなかったガットがすでにたわみ、少々伸びていた。だが大の男が何人もで力一杯打ち続けたのだから仕方がないだろう。切れなかっただけましだ。
城下に下れば大浴場がある。汗を流しついでに肉屋にまた羊の腸を注文しにしこうと考えながら皆と別れた。チャルだけがついてくる。
「いやー、結構面白かったな」
「だろ?」
「お前はこれが得意なんだな。訓練の時より百倍動きが良かったもんな」
「百倍って、普段俺どれだけ動いてないんだよ」
「いやいや、なんかのびのびしてるっていうの? 全身で動いているっていうか。いや、そうだな。体に馴染んでいるって感じだった」
「そっか」
利き手である右の手を何度か握ったり開いたりしてみる。体に馴染んでいる。その言葉を頭の中で反芻する。
自分たちがいなくなって向こうではどうなっているのだろうか。幼なじみが三人揃って失踪など不自然なことこの上ない。莉央は有名人だし何かしらの報道はあっただろう。ただの家出扱いにはならないはずだ。事件に巻き込まれたなどというならまだましだが、三角関係の果ての痴情のもつれだなんだと好き勝手なことを言われていては堪らない。そんなことはすでに何度も考えていた。
だがそれも、ここから無事に戻れればの話で、戻れなければどう言われていても関係ないのだとも思う。結局のところ、何をどう考えたところで今どうにもならないのならば、ここでそれなりに生きることを考えるのが一番だ。
男らしく割り切りが早い葵はたまに元の世界のことを考えても、すぐに思い直す。こうしてテニスも出来たし、過ごし方など意識次第でいくらでも変えられるのだから。
しかし莉央がそうできないことを知っているからたまらなくなる。晃流にしても、イルデブランドにいることはわかっているがその処遇がわからない為に不安もある。
そしてまた、晃流を案じることで気づく、残された家族や友人の心配。せめて現況を伝えることが出来ればというもどかしい思いは常にあった。
単純に好きなテニスを出来れば楽しいだろうと思っただけだったのだがこうして考え込む要因になってしまうならば不要だったかもしれない。莉央と一緒にプレイすれば多少の慰めになるかもしれないとの思いもあったが、逆効果になる可能性もある。
(そもそもあいつが、まだ帰ることを望んでいるのかだって俺には分からないわけだし)
初仕事の折りに見た莉央は堂々と立っていた。まるでその場所が自分のいるべき場所であると確信しているかのように。憂いなどは見えす、葵の知る莉央とはまるで別人のようだった。見知った幼なじみのはずなのに、別人のように綺麗だと思えた。
ーー警戒心の強い女は一度それが解けるとすべてを許す。
いつかのチャルの言葉が頭を掠めた。
腰に回された手。それに対し浮かんでいた笑顔。自分のときとはまるで違う。葵を前にする莉央は、いつだって怯え、しかしわずかな抵抗を見せていた。城に向かうたった数日の馬車の中。あの時だけだ、莉央が葵に気を許したと思えたのは。城での生活の中で莉央はまた葵に対し壁を作っていた。それがどういった類のものかは理解できなかったが、少なくとも少し前の険悪なものと違うことは分かっていた。まさかそれが莉央の嫉妬心からくるものなどとは想像出来るはずもなかった葵は、無関心を装った。莉央との距離が自分にもたらす影響などまるでないと自分に言い聞かせるように。
「で、肉屋は風呂の後でいいんだな?」
突然話を振ってきたチャルに目を向けた。いや、突然ではなかった。ずっと何かを言っていたのだが、頭には入っておらず生返事を返していたことに気づく。
「あ、いや。先に親父さんに注文していけば風呂上がりに取りに行くだけで済むからまず肉屋に行きたいんだけど」
「お前聞いてた?」
「ん?」
「だからぁ、ラレーさんはお前みたいな細いのが好みなんだと」
「は?」
「俺だと筋肉ありすぎで、ショウナはチビすぎるんだってよ」
「へえ」
肉屋の娘の好みなんかどうだって良い話だと適当な返事をする。チャルやショウナがどうだろうと、別に自分には関係のない話だ。
「アオイ、お前は妖精さんでも目指しているのか」
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