6 変化

※※※




 イルデブランドの要人たちをもてなした日から一ヶ月ほどが過ぎた。


 二日ないし三日おきにはあったエルヴィラからの呼び出しはぱったりと途絶え、魔法省の人間からの指導も、いつまでも変化のない莉央に匙を投げたのかめっきり減った。最初の一週間はそれに安堵し心穏やかな日々を楽しんでいたが、日を重ねるにつれ、不安を感じるようになる。


「楽しめばいい。仕事も無く遊んで暮らせるのだぞ。私ならば踊り歩く」


 普段仏頂面ばかりのディノが踊り歩く様を想像しようとしたが間髪入れず「冗談だ」と話を切られてしまい、莉央は頬を膨らませた。


「城下にでも出たらいい。君にとっては珍しいものも多かろう」


「だって、勝手に出るわけにはいきません」


「なんだ。王子にそう言われているのか」


「そんなことはありませんけど……」


 行動を制限するようなことを直接言われはしなかったが、そんな自由は与えられていないだろう。下手に行動をして自分はともかく葵の身に何かをされるわけにはいかない。そう思えば慎重にならざるを得ない。


 最近のディノはすっかり授業に飽きたらしく、毎日時間を取りはするがもっぱら雑談で終わってしまう。この教育係に言わせれば「座学で学べることなどたかがしれている」そうで、資料で学ぶべきことはもうあらかた終わっており、あとはこの世界の、この時代の常識を学ぶべきであるから会話が大切なのだとしたり顔で言われれば、莉央はそれに従わざるを得ないが、それはそれでなかなかに楽しい時間ではあった。


 いかに人見知りだ、対人関係を築くのが苦手だとは言っても、毎日気安く接してくれる人間に対していつまでも壁を作り続けるほうが難しい話で、口調も二人だけの時には以前よりも砕けている。そんな莉央の変化をディノもおおむね好意的に受け止めていた。


「では君は、今日もこの後の予定はないのだな」


 手元の手帳を眺めながらのディノの問いに「はい」と返す。いい年をした大人にも関わらず、椅子に腰掛けていながらも上半身は机の上に投げ出し寝そべっていてだらしない。最初の頃の厳しげな様子はすっかり消えてしまっていた。それを言えば「それはそうだ」と吐き捨てる。


「王子の手駒となれ合う気などなかったからな。私は単純に自分の知識欲を満たすためだけに君の教育係を買って出たのだ。そうでなければ誰がこんな面倒事を引き受けるものか」


 相変わらず辛辣だ。ディノの言葉には遠慮がない。だからこそ嘘がないことも分かるので分かりやすいと言えば分かりやすい。愛想笑いが標準装備の莉央にとって、裏表のなさはこの世界で一番の救いとなるものだった。だからこそ二人の幼なじみにも見せられなかった甘えをこの男の前では出してしまう。


「予定は無いし、部屋に戻ってする事もないです」


「趣味は」


「道具がないから」


「ああ、絵を描くと言っていたか。シイナ殿に頼めばよかろう」


「紙ってわりと高価だと聞いたので……」


 言葉を濁す莉央にディノは盛大なため息を吐いてみせる。


「王子の側に仕える女性としてそのくらいのわがままは通せるだろうが」


「だって、余計なことをしたら葵くんが……」


 うっかり口を滑らせた莉央は黙り込んだがディノは耳ざとくそれを拾った。


「ああ、なるほど。ようやく合点が行った。君はあの幼なじみを盾に王子に従わされているということか。どおりで君ならばやりたがらなそうなこともやっていた訳だ。全く、私はそういった単純な謀をいつも見抜けなくて困る。自分が手数だと思うことは発想として出てこんのだ。まあいい。紙は私が用意する。画材も。希望はあるか」


「あ、なんでも」


 思わぬ提案に莉央の声が弾んだ。


「そうか。私は詳しくないから君の希望するものはよく分からないが……」


 矢継ぎ早に続いていたディノの言葉がふと途切れる。莉央は怪訝な顔をして目の前の男を見つめる。


「やはり紙を用意するのは止めた」


「え?」


 あからさまに消沈する莉央を見て、ディノは口角をあげた。


「分からないものを用意してやるなど面倒の極みだ。一緒に見に行くぞ」


「え?」


 おなじ「え」という音の響きにも関わらず全く違う。前者を発したときの莉央はまるでこの世の終わりであるかのような沈痛な面もちであったが、数秒後の後者では幼い子供のように目を輝かせている。口角をあげただけで堪えきれなくなったディノは盛大に笑い出す。


「やはり薄ら寒い愛想笑いよりもそっちの方がずっといいではないか。王子に対してもそうやって笑ってみせろ。彼がまともな人間ならばそれだけで君に無条件に何かをしてやろうと思うだろう。少なくとも私はそうだからな」


 少し驚いた顔をした莉央だったが、ディノのストレートな言葉はすんなりと受け取った。しかしその後に続いた言葉には少々慌てた。


「私は君が好きだ。君のような娘は他にはないからな。王子に相手にされずに拗ねているのならば割り込もうとも思わぬが、それを君は解放されたように感じていたのだろう。アオイという少年のことさえなければとっとと退散したいくらいにな。ならば私は君を王子の元から奪い取ろうと思う」


「何をおっしゃっているんですか!」


 愛の告白のようだが違う。この世界では長く、密度濃くつき合ってきた相手だ。好きだといってもそれは肉が好きだとか小動物が好きだと同じ次元の話であることは莉央も心得ている。だからこそ、そんな人間から軽々しい言葉を出させてはいけない。


「誰かの耳に入ったらどうするんですか。不敬罪っていうのがあるんでしょう?」


 いつかネルが笑いながら言っていたことだ。具体的な内容は知らないが王族への批判を許されない法律があるのならば簡単に口に出してもらうわけにはいかない。


「君は王子との関わりについて具体的なことを話すことを禁じられているだろう。だから何か深く聞こうとすると具合が悪くなった振りをする。違うか?」


 実際のところエルヴィラから受けた魔法らしきもののせいで核心を話そうとすれば咳込み酷く苦しい思いをするのだが、話題がそれれば途端に楽になるのでディノは仮病だとみていたらしかった。けれどもそれを訂正することも出来ず莉央は黙り込む。下手に話そうとすればまたしんどい思いをするかもしれない。エルヴィラに奪われた名の力がどこまでを制限するのか分からないためどうしても慎重になる。


「幼なじみの少年を盾にされているのならば仕方がない。君に話を聞けないならばこちらで勝手に動こうと思う。王子の思惑を推察し、君が彼に必要なくなるようにうまく働きかける。それで君が用無しとなれば少年もまた用無しだ。二人私の屋敷に引き取ってやっても構わないのだぞ」


 その言葉に対し悲しげな色を瞳に宿した莉央にディノは言葉を足す。


「惜しくはあるが、帰りたければ帰る手助けもしてやろう」


「ディノ様……」


「だからその情けない顔をやめよ。辛気くさいのは好かぬ」


 そして空気を切り替えるようにパンと大きな音を立てて手を打った。


「まずはこの後の外出だ。王子の許可は必要ない。教育係である大法官府長官補佐様の指示だからな。シイナ殿には私から言っておこう。教育については一任されている。まず王子から何か言ってくることはなかろう。紙も画材も好きなだけ買ってやろう。君への教育についての資金にはまずまずの金銭を預かっているのだから何を気にする必要もない」


 常に本を読みペンを握っているせいでかさかさに乾き所々堅くなっている掌が莉央の頭に乗せられる。人に触れることに慣れていないであろう強い力で、撫でるというよりは揺さぶられた。


「楽しめ、リオ」


 ディノは不敵に笑ってみせる。その笑顔が蒔田に被る。だが、ディノと蒔田は別である。蒔田は莉央に穏やかに添う春の日の光のような心地よい暖かさを持っていた。ディノは真逆でギラギラと照らし尽くし莉央を闇の中でも照らし出す。


「ディノ様、大好きです」


 素直に感情を伝えた莉央に照れたのか、ディノはまた莉央の頭を大きく揺さぶり、お陰でその髪は乱れて櫛を通すのにも難儀をし、外出前に思わぬ時間を割くこととなった。


 さて、一度自室に戻り準備をする事にしたが莉央には取り立てて用意をするものなどなかった。シイナや城内で見かけた女性、つまりは使用人達の服装は莉央のものとはかけ離れているため同じ年頃の娘が外出時に装う格好がわからなかったのが一番の理由である。また服や装飾品、靴は一通りあるものの、鞄などは与えられていない。仕方がないのでハンカチなのかナプキンなのか分かりかねる中途半端なクロスを申し訳程度に握りしめ、普段教室にしている会議室に向かった。


「ああ、予想通りだな」


 莉央の姿を見てすでに待っていたディノは開口一番にそう言った。


「どこの貴族だ。そんな格好で歩いてみろ。人目を引くだろう」


「クローゼットの中でこれが一番地味だったんですけど……」


「まあ王子に召される女性だからな。粗末なものも着せられぬか」


 意識を大きな手荷物に向け、中から荒い織りの布を引き出すディノを見ていた莉央は思わず「かわいい」と声を上げた。


「妻が置いていったもので悪いが、君と背丈は変わらぬから大丈夫だろう」


 明るい若草色の装束は軽く風を通し、今の時期にちょうどいい。丈の長い上着とすとんと落ちる幅の広いパンツの組み合わせは莉央には少々大人っぽい組み合わせにも思えたが、今までしていた格好よりもぐっとカジュアルで着心地が良さそうだった。


「着方がわからなければ声をかけよ」


 ディノはそう言って部屋を出ていったが単純な服だったので手間取ることはなかった。だが着てみれば少々気になる部分が出てくる。


「あの、ディノ様。何か羽織るものはありませんか」


 扉を開けディノを部屋に招きながら聞く莉央に「腹でも痛いか」と問うところをみると、莉央が気にするほどおかしな格好ではないのだろう。逆に「やはりこうでないとな」と頷く様を見ていれば恥じらうのほうがおかしいのかもしれない。しかし思っていたより開く胸元が気になるのはどうにもならない。


「女性はこういう装いが一番だな。私の妻はいい年をして緩急のない体つきだったからこんな服を着れば致命的に似合わなかった。せっかく贈ってやったのに当てつけがましく残していきおって」


 ぶつぶつと文句を言うディノの贈り物だという服は胸元が大きく開いていた。この世界に来たときに身につけていたカップ付きのキャミソールを着ていたのでまだしっかりと隠すべき場所は隠れていたがこの国で普及している下着だけでこの服を合わせるのは難しいのだろう。


「これが当世の流行りだ。あまり保守的な服は今の世にそぐわぬ。逆に浮くぞ」


 学者然として一見異性になど興味を持たないように見えるディノだが女性の装いに求めるものは奔放さのようだ。分かりやすい女性らしさとでもいうのだろうか。


「連れ歩くには申し分ないが、ま、悪目立ちしても仕方がない。これを纏っても構わないぞ」


 後出しのようにストールを出したディノにからかわれていたことがわかり莉央は「セクハラ」と呟く。


「ん? なんだそれは」


「性的嫌がらせってことです。私の国ではそういうことを言うと訴えられていっぱいお金を払わされた後仕事も失います」


「なんだ嫌がらせとは、誉め言葉であろうに。他者より秀でたところを皆に見せて何が悪い。頭が良ければ知識を広め、力があればその剛力を生かせばよい。見目が麗しければ役者にでもなればよいし、君のように女性らしい体つきならそれを披露して男達の羨望を集めればよいのだ。何の取り柄もない人間は世に溢れているのだぞ。その中で抜きんでいるものがあるのなら堂々と出せばよかろう」


 莉央にも分かっている。ディノに悪気はない。性的な発言にもいやらしい含みは皆無である。単純に長所を表に出せばいい、考えとしてはそれだけなのだ。けれども度々繰り返される王子からのからかいとも合わさって憂鬱にはなる。実際に品のない行為をされることはなかったが、莉央にとっては軽くあしらえる話題ではない。体型や顔立ちにそぐわない大きさに育った胸は逆にコンプレックスだった。


 ストールを羽織り念入りに胸元を隠しながら莉央はこっそりとため息をつく。しかしこれからディノに連れられての外出である。そのうえ画材も買ってもらえるのだ。拗ねてみせても仕方がない。大きく息を吸い込み気持ちを切り替えると楽しいことだけを考え顔をほころばせたが、その横でディノは少女の考えなど察することもなく、ただ、


(どこの世界の人間でも女というのは難しいことだ)


などと少々的外れなことを考えていたのだった。



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