「あいつ、あの後大泣きしていたからな。変態どころか人間のくずくらいに思ってんだろ」


 落ち込むチャルを追い込むように嘘をつく。葵は未だにその行為を許してはいなかった。莉央自身が逆にチャルに気を使っていたにも関わらずである。


「アオイ、偉そうにいってるけどお前だってお姫様に振られていただろうが。言葉は分からなくても雰囲気くらい読める男だぜ俺は」


 思わぬ反撃に葵は口をつぐむ。宿屋のことは、確かに振られたと言えなくもない出来事だった。


「あーあー、当人抜きにしてくだらないこと言ってたって仕方ないでしょ」


「でも本人には確かめられないだろうが。そもそも王族の居室側は近衛の中でも幹部クラスしか入れないんだ。俺たちみたいなペーペーなんか」


「アオイがいるじゃない」


 ね、と話を振られてもすぐに頷くことはできなかった。一度離されてしまった二人が面会するには煩雑な手続きと王子の許可がいると聞かされている。うまく申請が通ったとしても会うまでに最低一週間はかかるのだ。


「さすがに異世界なんて不確かな世界から一緒にきた幼なじみをないがしろにはしないでしょ。面会の許可くらいもらえるよ」


「俺はあいつがどうしようが興味ねえし」


 気にはなるが無関心を装った。自覚し認めかけた気持ちだったが、莉央と離れ数日過ごしてみれば、自分の中では今まで通りの関係性に落ち着いている。


 元の世界にいたときだって、ろくに会いはしなかった。一方的に視界に入っていた美術室の窓際の席も、葵と同じテニス部に所属している男子からの告白の一件以来莉央が座ることがなくなり、ますますその姿を目にする機会は無くなっていた。


 ただそんな淡泊すぎる付き合いから一気に濃密な数日を過ごしたせいで、勘違いをしただけだったのだろう。そう納得していたのだのだから、会えなくなってもそれほど支障はない。


 ろくに知らない世界に置かれた者同士、多少の気がかりはあるのだが、それは晃流に対しての気持ちと変わらないはずだ。


「寝言で名前呼んでたくせに?」


「は?」


「今朝」


 思ってもみなかったことに分かりやすく赤面する。


「何言って……!」


「取り繕おうとしたってそんな顔していたら無駄だよ。アオイ、お姫様を好きなんでしょ?」


「違う。あいつにはちゃんとつき合っている男がいるんだよ!」


「嘘だ!」


 ムキになった葵とからかうようなショウナの掛け合いにチャルが口を挟む。


「あのお姫様が王子以前に男を知っていたなんて!」


「なんでいきなりそうなるんだよ。まだ高一なんだからせいぜい手を繋ぐくらいだろ」


(キスくらいはしているかもしれないけどな)


 一瞬考えはしたが何となく想像したくなくて口に出さなかった。


「え?」


 葵の台詞に二人が揃って声を上げる。


「な、なんだよ」


「っていうかアオイがだよ。何それ」


「手を繋いで付き合うって、キスしたら結婚ってことか」


「舌を絡ませたら子供が出来ちゃうんじゃないの」


 大笑いする二人に馬鹿にされていることを感じて苛立ちを覚える。


「そりゃ、夢だけで赤面もするよね」


「足触られて、恥じらうわけだ。それじゃ噂もガセだな。あー、ホッとした」


「何だよ一体」


 一人訳が分からないでいる葵に対して、三つも年下のショウナがしたり顔で説明する。


「アオイの世界の定義は知らないけれど、男女の仲で付き合うっていったら体の関係からだよ。そこまでしないと異性に対しての拘束力はない。手を繋ぐくらいで安心してたらあっと言う間に他の男にかっさらわれちゃうよ」


「キ、キスは」


 口にするには照れくさい単語だ。同級生と下品な猥談は出来ても、改めて言葉にするには少々抵抗がある。あっさりと「男の恥じらいは見苦しい」とチャルに笑われるのが屈辱的である。


「だってキスじゃ子供出来ないんだから誰としたって変わらないじゃん。むしろ最初の相性チェック的な? 挨拶みたいな?」


「そうだな、良い女だったら取りあえずな。本当はお姫様にもお願いしたかったんだけど、でもあそこまで初な反応をされると、時間をかけて陥落ってのも新鮮で良いかなって……思ってたのに、まさか会えなくなるとは、俺何のためにあっちを離れたんだか……」


 そこまで言って肩を落とすチャルに憤ることも忘れ葵はしばし呆然と立ちすくんだ。


「……逆にやばくないか、それ」


 莉央から誘うことはまずあり得ない。だが、男女の関係に対しての倫理感が違うこの世界では、たとえ莉央が元の世界でしていたように相手を拒否したとしても、それが相手に通じるかどうかすらも怪しい。簡単に丸め込まれてしまいそうだ。ましてや、王子は莉央を召し上げるとはっきり宣言している。


「王子相手だったらむしろ安全かもよ。周りが歓迎していないんだから。それより教育係の候補だったおっさん達の方が危険だったりして。宮内府長官殿なんかいかにもエロおやじっぽいし、知識の一環として知るべきだとか何とか上手いこと言ってさ。でも年齢的にもう枯れてるかな。それより大法官府長補佐殿のほうが危ないか。結局あの方が教育係になられたんでしょ? 確か何年か前に奥方とは離縁されているから色々溜まっていそうだよね」


「ありそうだわそれ。あー、勘弁してくれよぉ」


 根拠のないショウナの適当な話にいちいち頭を抱えるチャルを横目に見ながら話の全容を理解しようとする葵だったが、早口でまくし立てるような言い方では分からないところが多すぎる。


「チシキ、の、イッカン? カれル? 悪い、もっと簡単な言葉で言ってくれよ」


 ショウナはその問いににっこりと笑うと、あっさりと話をまとめた。


「ま、なんだかんだ言ったって、アオイが心配する必要はないんじゃないかなってこと」


「……説明するの面倒になったんだろ」


 言葉は分からなくてもそのくらいは察する。数日を共にすれば相手の性格もある程度は見えてくる。


 おしゃべりで知識過多なこの少年は、しゃべるだけしゃべると後は電池が切れたように大人しくなる。今が多分そのタイミングだ。


「とにかくアオイ、どんな関係だったとしても大切な相手には違いないんだろ。変な意地は張らないほうが良いぞ」


 先ほどまでの鬱陶しさを消したチャルが真面目な顔で言う。その表情でいれば、軍の中堅どころという言葉にも重みが増す。


「何だよそれ」


「お姫様がお前を頼りにしていたことくらい誰の目にも明らかだった。一見拒否しているように見えたときですら、お前の目線を避けてお前を見ていたのは皆知っている。お前だって、気づいていただろう?」


「そりゃ、でもあいつは元々そういう奴だから」


「お前、自惚れすぎだな。実際のところ、女なんて男を知れば変わるもんだ。考えたくはないが王子に取り込まれれでもしてみろ。お前なんか簡単に捨てられるぞ」


「なに言って……」


「警戒心の強い女は一度それが解けると全てを許す。お姫様みたいな女は絶対初めての男ってのに依存するぞ。弱い女ほどそうなるもんだ。だからこそ俺が初めてを狙ってたってのに。あの胸で俺だけだって言いながら甘えられでもしてみろ。うは」


 最後は再び妄想が入り乱れているらしいチャロ、そして向かい側で口を押さえ赤面の色を強めた葵。それを見たショウナがからかうように笑った。


「まさか未経験って訳じゃないでしょうが。さっきから何その反応」


「……未経験で悪いか」


「ええっ!?」


 ふてくされたように呟く葵に、ショウナだけでなく自分の世界に入り込んでいたチャロまでが驚く。


「俺の年だったらまだ珍しくないんだよ!」


「えー、そうなんだー」


 三つも年下のショウナに言われるのが悔しいと言えば悔しいが、世界が違うのだから常識も違う。そう思ってやり過ごすしかない。


「女って、良いもんだよ」


「くそ真面目な顔して言うな!」


「いやでも、ほんとに。ねえ、チャル?」


「ああ。本当に良いもんだ」


 二人揃って頷く。それに対して葵が出来ることと言えば。


「お前等、いつどういう状況でそうなるわけ?」


 好奇心を満たす以外にない。からかわれてムキになったら余計に不快な思いをするのが分かっているからだ。


「え?」


 また声が揃う。


「あー、地域によって多少違いはあるだろうけれど、十四になる年の元旦に同い年の子供達がみんな集められるんだよね。で、そこでまず男女の体についての説明を受けるの。で、見本を見せられて、実践」


「見本? 実践!? 保護者監修の元か?」


「そりゃあね、下手に覚えて知らない間に子供でも作られちゃったら親どころか家の一大事じゃない。きちんと知識を身につけることは大切だよ。少なくともその重要性を知っていれば安全に行為を楽しむことも出来るでしょ」


 日本にだって性教育はあるがこの世界の教育法はよりオープンなものらしい。メリットはあるだろう。少なくとも親に隠れてする必要がないのでもしもの時には周囲に相談しやすいだろうし、何かがあっても受け入れ幅が大きいはずだ。


「ところ変わればってやつか」


 感嘆のため息にショウナが笑う。


「そうだね、逆に隣のイルデブランドはものすごく固いみたいだよ。年頃の男女が二人きりでいるなんてもっての他。女の子は結婚するまで貞操を守らなければならないんだって。だけど男までそんなこと言っていたら初夜が悲惨でしょ。だからそういう方面の商売が繁盛しているんだって。フォルスブルグエンドはその辺の自由度が高いから、反対にそっち方面の商売はほとんどないんだよね」


「ショウナが事情通なのはよく分かったけど、十四にして風俗ネタに詳しいってのもどうなんだよ」


「それがさっきの答えだよ、アオイ」


「え?」


 やや得意げな面もちで目線を寄越すショウナの言った意味がすぐには分からなかった。


「腕力はない、女顔、しかも対象年齢外。そんな僕が近衛の、しかも第一師団にいる理由」


 そういえば、この一連の会話のきっかけはそこだった。だいぶ遠回りしてきたが、ようやく核心にたどり着いたらしい。


「僕の武器はこの情報力なんだよ」


「いや、だとしたらお前情報漏洩しまくりだけど」


 チャロのつっこみに表情を固めるショウナの様子は完全に気がついていなかったと白状しているも同然だった。


「……情報管理についてはこれから学ぶ予定だし。でもアオイ助かるでしょ? 僕と一緒にいれば一般常識からちょっとマニアックでディープな裏情報まで網羅できるよ。何ヶ月か経てばきっと地元民よりフォルスブルグエンド通だね」


「いや、マニアックなのは別に」


「俺! 俺知りたい!!」


 何を期待しているのかチャロが勢いよく手を挙げる。それに笑みがこぼれた。


(いけ好かないと思っていたけど、憎めない奴なんだな)


 最初から良い印象が無かった男だが、話していれば人間味を帯び親近感も沸いてくる。少なくとも悪い人間ではない。


「あ、そうだ。アオイの名誉の為に言っとくね。さっきのは嘘だよ」


「さっきの?」


「寝言の話」


 せっかく色を戻した葵だったが再び朱に染まっていく。


「お前なあっ!」


「嘘って、情報戦略の基本でしょ?」


「……もういい」


「ところでコーイチって何? 情報収集も戦略の一環」


 気勢を削がれた葵は精神的な疲れを抱えたまま、日本の教育制度についての解説を始めなければならなかった。





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