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※※※



 さほど広くもない部屋だった。入り口から見て右手側のカウンター越しに厨房らしき景色が広がる。八人掛けの長テーブルが四台狭い間隔で並べられており、莉央と葵が掛けるように勧められたのはその中で出入り口から一番奥のものだった。


「もめ事があったんですって?」


 食事の乗ったトレーを莉央の前に置くと、ネルは薄い笑みを浮かべながら向かいの席に腰を下ろした。


 莉央の隣に座る葵にはヤンナがトレーを運び、ネルの前にも同様に置くと自らは少し離れた壁際に立つ。


「彼からだいたいの話は聞いたわ。災難だったわね」


「あ、はい。いえ……」


 なんと答えてよいのかわからず莉央は曖昧な返事を返した。


 先ほど上着を掛けてくれたヤンナに支えられたまま、直接食堂に連れてこられたために葵とはまだ話をしていない。今のところ葵は口を閉ざしたままだが、恐らく部屋に戻り二人になれば今の出来事について追求され、責められるだろうと思うと口を開くのも億劫だった。


「怖かったでしょう。あなたたちのこと、皆には隊長さんから伝えてもらうつもりだったのだけれど、それより彼らに会う方が早かったのは計算外だったわ」


「すいません」


 居たたまれない気になって莉央は詫びる。迂闊に外に出た自分が悪かったのだと素直に反省した。未だ状況を理解し切れていないのに一人で部屋を出たのがいけなかったという自覚はある。


「あ、責めているのではないのよ。聞きたいだけ。あなたが服の中に何かを隠し持っている様子だったので不審に思ったらしいの。だから、それが何なのか気になったのよ」


 莉央は答えることが出来ず口をつぐんだ。どうしても隣に居る葵が気になる。何を言っても罵られそうな気がした。トイレに行きたいと嘘をついて部屋を出たこと、痛みがあるのを黙っていたこと。自分が同室になることを望んだにも関わらず、そんなことで外に出たなどと何をやっているんだと怒りかねない。


「あ、もしかして男性の前では言いづらいことなのかしら」


 黙る莉央に閃いた様子で言うネルに弱々しく頷く。無意識のうちにまだ羽織ったままのヤンナの上着を握りしめた。それを葵が横目で捉えたのは一瞬であったため、莉央は気づかない。


「リオ、一緒に私の部屋に行きましょうか。食事はそこですればいいわ」


 その提案に素直に乗っていいのか分からず、意識的に逸らしていた葵に目を向けた。これ以上勝手なことをするなと言われそうで怖かった。しかし葵は黙って立ち上がりトレーを持ち上げた。


「じゃあ俺部屋で食べてます。ここで一人食べるのも落ち着かないし」


「そうね。出来れば今詳しい話をしたかったのだけれど、また後にしましょうか」


「あ、私大丈夫です!」


 これ以上迷惑をかけたくないと思っての言葉は、思ったよりも大きな声になってしまいとっさに口に手を当てた。その動きで莉央には大きすぎる上着が肩から滑り落ちる。


「お前……!」


 隣に座ったままだったならば恐らく見えなかっただろう。開いたままだった服の袷から覗いたキャミソール。上から見下ろす形になっていた葵にはそこから直に覗く膨らみが目に入った。


「あ、わ、違うの!」


 慌てて服を取ろうとするより早く、既に後ろに回っていたヤンナが静かに上着を掛け直す。そのまま莉央の後ろから肩越しに見下ろす形に首もとの詰まった上着のボタンを上から掛けていく。動揺し震えた指ではセーラーのホックを掛けることが出来なかったので大人しくそれに任せたが後頭部、髪に掠るヤンナの気配に恥ずかしさを覚え莉央は顔を赤く染めうつむいた。


「……で、何が違うんだよ」


 ガチャンと音がするほどに乱暴にトレーを戻し勢いよく座り直す葵に対してびくりと震えた肩に大きな手が添えられた。が、葵の怒りを買ってしまったと思う莉央はその感触を感じながらも顔を上げることが出来ない。


 ヤンナが莉央の肩に手を添えたまま何か報告をする。それを受けたネルはふぅとため息をもらし莉央に向かう。


「痛みは?」


「え、あぁ。今はそんなに」


 葵がいぶかしげな顔で三人を見る。一人状況が分かっていない。


「案内していたときにあなたが少し前かがみに歩いているように見えたので気にしていたのですって。怪我していたのね。なぜすぐ言わなかったの?」


 葵の椅子がカタンと音を立てたので驚いたのだろうと莉央は察したが自身も驚いていた。確かに痛みはあったが自分でも曖昧なものだったのだ。それをヤンナが気づいていたとは。


「緊張してたせいか、自分でもよく分からなくて。それで外……、えっとトイレで確認しようと思って」


「何で部屋でしないんだよ」


 既に責め口調の葵にビクリと怯えた様子を見せた莉央は小さな声で答える。言葉尻はもう消え入りそうだった。


「だって、脇の上の方だったから……」


「あ、ああ。そうかよ」


 それだけ言うとゴホゴホと咳き込んだ葵は、気まずそうに、しかしまっすぐに莉央の方を向いたまま言葉を続ける。


「それで服……。じゃああいつ等に脱がされた訳じゃないんだな」


「うん。寒くて手がかじかんできちゃって、痛いところを確認だけは出来たんだけど服のホックが上手に出来なかったの。そうしたら人が来た気配がしたから急いで戻ろうとしたんだけど……」


 下を向いたままボソボソと答える莉央の顔がまた赤みを帯びてくる。ヤンナが来たから良かったものの、少しタイミングがずれていたら服の中を見知らぬ男の手で確認されていたのかもしれない。そう思えば平静ではいられない。ただでさえ、あの男の顔には莉央の苦手な表情が浮かんでいた。些細にも煩わしい、テニス部の男子生徒達と似たようなものだ。


「その場でヤンナも話をしたようだからもうそんな失礼なことはないと思うわ」


 ヤンナの一言で血相を変え頭を下げた男。思い返せば随分な影響力だ。だがネルと共にいる彼は従順でまるで召使いか何かのようであり、それほど高い立場にいるようには見えない。


「ヤンナさんって偉い方なんですか?」


「ええ、この人普段は王城勤務だもの。近衛師団長なのよ。簡単に言うと、王族や要人、城の警護が主な仕事。その中でも彼の率いる第一師団は王族の私的武団の色合いが濃いの。陸軍全体の中では単なる一師団長だけれど、皆それを知っているから気安くは出来ないでしょうね」


 軍隊組織自体に馴染みがない二人にはピンとこない話である。しかし王が私的に使うとなればやはりそれなりの立場なのだろうと莉央は納得した。


「食事しましょうか。痛みは大したことないようだしお嬢さんの怪我は後で診させるわ。アオイ、あなたも前を向いて。さあ、いただきましょう」


 さっさとフォークを手にし食事を始めたネルに言われ、葵は莉央に詰め寄らんばかりだった体をテーブルに向け直す。湯気の出ていたスープはすっかり温くなってしまったようだった。メインの皿には無骨な形の堅そうなパンとチキンのソテーにマッシュポテト、少しの葉野菜が添えてある。スープは野菜がたっぷりと入っていた。それから小さな木のカップに赤い飲み物が半分ほど。


「あの、ヤンナさんは召し上がらないんですか」


 いただきます、と小さな声で言った莉央が聞いた。ヤンナは既に莉央から離れてはいたが、その後ろの壁際に最初と同じように寄りかかりもせず立っている。


「ええ、彼は私たちより立場が下だから一緒には食べないわ」


 ヤンナのことなど全く意に介さず咀嚼をするネルだが莉央は居心地の悪さを感じ、どうにも食が進まない。


「私たちって?」


 ネルと同じように意に介した様子もなく肉を口に運びながら葵が聞いた。この室内には四人しかいない。


「私と、貴方たちよ。彼はこの後ここの常駐隊員たちと一緒に食事をするから気にしないで」


 赤い飲み物に口にし、その色素のついた唇を上品にナプキンで拭いながらネルが微笑む。それならばと幾分気が楽になった莉央はようやくパンに手を伸ばした。が、堅くてちぎれない。


「ああ、それはスープに浸して食べるの。ここ、肉や野菜類は自給自足なのだけれど粉挽きがないからパンだけは町から調達しているの。保存用に水分を抜いてあるから食べにくいのよ」


 ナイフでパンを一口大に切り、それを指で摘んでスープの皿に落としてみせるネルに莉央と葵も倣う。汁気をたっぷりと吸ったパンはホロホロと口の中で溶けて美味だった。


「おいしい……」


 意識もせずその一言を口にした途端、莉央の手からスプーンが落ちた。その音にネルと葵が顔を上げ、ヤンナが歩み寄る。しかしゆっくりと膝に下ろされた手が小さく震えているのを見て取ると、静かに元の場所に戻っていった。


「莉央」


 きっと泣き出すのだろうと葵は思った。困ったことがあれば、泣きわめくことはないまでも一人ひっそりと涙をこぼす、莉央がそういう子供だったのを忘れてはいない。それに苛立ちを感じていたこともまだ覚えている。


 一緒にいた幼なじみの一人が連れ去られ、自分たちもひとまずの身の安全は確保できたものの、特異な状況の中にいるのは変わらない。その上既に通常では体験しないであろう出来事を経ているのだ。今の状況で泣かない理由などない。


「まだ手がかじかんでいるようね」


 全く気にするそぶりを見せずスープを唇に運ぶネルが口にした言葉に反応してヤンナが新しいスプーンを取りに動く。泣くかと思われた莉央は


「行儀が悪くてごめんなさい」


 ばつの悪そうな笑みを浮かべ、差し出されたスプーンを受け取ると大したことはなかったように食事を再開した。


 それが、葵に少しの違和感を覚えさせたことなど気づかずに、莉央は静かにスプーンを口に運んでいた。


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