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 先頭を女が行き、莉央が後に続く。その横に葵が添い、最後を金髪の男が歩いた。


 葵はスニーカーなのでまだましだが、莉央は学校指定のローファーだった。雨が降った様子はなかったが、所々にあるぬかるんだ坂に足を取られて何度か滑りかけ、そのたびに葵が体を支えなければならなかった。


 道の悪さだけではなく、疲れや精神的なものもあるのだろう。心なしか青ざめた莉央は先ほどから足下しか見ていない。前を行く女の様子も、後ろを進む男の様子も、すぐ側を歩いている葵のことですら目に入っていないのだ。何しろ目の前でもう一人の幼なじみが武器を携帯した男にさらわれているという特異な状況、自身の置かれている状況も不確かで、混乱していないわけがない。


 そのぶん葵は気を張りつめていた。女がまだ武器を隠し持っていないか、後ろの男が突然切りかかってくるのではないか。一方に意識を向けると、もう一方が気にかかる。しかしその合間に莉央がバランスを崩しかけ、意識を引き戻される。


「ごめんね、葵くん」


 支える度に莉央が小さく呟くが、声を出す気になれず葵はただ頷いてみせた。葵自身も疲れてきている。慣れない森の道、緩めることのできない緊張の糸、そしてどこへ向かっているのかも分からないまま進まなければならない不安。


 だが、それはまもなく終わることとなった。


 鬱蒼とした木々が拓け、黄土色の土壁が顔を出す。その壁の向こうには一階建ての大きな建物が三棟建っていた。外見しか分からないが作りは簡素で装飾などはない。入り口には二本の旗が掲げてある。


「国境駐屯地よ。ここは森の中でもかなり奥まったところだから規模は大きくないけれど、それでも常時十五から二十の陸軍員がいる。僻地ということもあって若い独身の男の子が多いからお嬢さんは気をつけたほうがいいわ」


 女はそう言いながら門をくぐり、建物の扉近くに立つ男と二言三言交わすと葵たちの方を振り返った。


「今隊長が来るわ。そうしたら少し話をしましょう。もうすぐ夕方だし、話の後に食事を。今夜はここで一泊します」


 口を挟む猶予も与えられず、女はさっさと姿を消した。


 少しだけ緊張が緩む。相変わらず後ろに男がいるが、こちらには言葉が通じないようなので話に気を使わなくてすむ。相手が分からない今、うかつな発言をするのは危険だと葵は警戒していた。


 そんな葵の表情の変化を読みとったのだろうか。まだ不安げなまま莉央は葵に話しかける。


「ここどこなのかな」


「知るわけないだろ」


「そう、だよね……」


 分かりきったことを聞かずにはいられない幼なじみの心境は葵にも分かる。しかしつい素っ気ない言葉を返してしまったせいで莉央は再び口を噤んだ。


「どっか、外国なんだろうな。聞いたことない国名だったけど」


 取り繕うように葵は言葉を足した。ここがフォルスブルグエンド領だと女は言っていた。


 建物に掲げてある旗はおそらく国旗と陸軍の紋旗だろう。どちらも見覚えがないマークだ。そもそも軍事用の建物の割に造りは脆そうな土壁。道路の舗装もなく、車なども目に入る範囲には確認できない。


「あの女、日本語ペラペラだったな」


 見かけは白人らしかった。体つきは華奢で頬の赤みが強く、身長はそれほど高くない。後ろの男はもっと北欧寄りな顔立ちに見える。同じ金髪でも色素が薄く、長身で痩せ型だ。


 意識を失うまではよく知った場所にいた。自宅に近く、普段から通い慣れている道だった。普通ならば突然こんな森の中で目を覚ますはずはないし、外国人に話しかけられ連行されるのも不自然である。女が言っていた誘拐という言葉が一番しっくりくるのかもしれない。


 誰かが、何かの理由で三人を誘拐した。


 わざわざ外国に?


 誘拐だというのならそれは不自然だ。三人とも生活レベルにさほどの差はない。一般的な中流家庭であるといえるだろう。身代金を取るにしても海外へ生きたまま運ぶなどリスクが大きすぎる。


 ならば無作為な拉致行為なのだろうか。それにしても、町中では容易なことではない。あの路地の出口は、大きな通りに面していた。


 そんなことを考えているうちに女が戻ってきた。少し息を切らせているところを見ると、走ってきたのかもしれない。


「待たせてごめんなさい。さあ、あちらの建物に移動しましょう。隊長はもういらしているから」


 左手に見える建物に誘導される。近づくと後ろにいた男がするりと前に回り扉を開いた。女はそれに礼も言わず中に入る。莉央と葵は小さく頭を下げて中に足を踏み入れた。


 中には大きなテーブルがあり、年輩の男性が一人だけ座っていた。髪は見事に白く染まっているので一瞬年寄りのようにも見えるが、顔つきは精悍で年齢を感じさせない。


 その男は女に対して何か言い、莉央と葵に対しても言葉を発した。


「言葉、わからないでしょう。私が通訳します。まず座ってもらえる? この方はここの隊長さんよ。お世話になるからご挨拶をね」


 促されて挨拶をする。こんにちはと言ったところで通じもしないが素直に従った。頭を下げればそれなりに分かるらしい。向こうは笑みを浮かべ軽く応じた。


 不思議なことに、女の言葉は互いに通じているようだった。葵と莉央には女の言葉が日本語に聞こえている。隊長に話している言葉もすべてだ。しかしそれに答える隊長の言葉は聞き慣れないものだった。こちらにはわからない。それは相手も同じようで二人が女に何か答えても、それをまた女の口を通して伝えられなければ理解できない様子だった。いくつかの問答のあと、「説明しましょうね」と女は体ごと二人の方に向かった。


「貴方たちはバロックと呼ばれる存在なの。こちらの世界には不定期ではあるけれど、外部から落ちてくる人間がいるのよ。それがバロック」


「落ちてくる?」


 比喩なのか、それともそのままの意味なのか計りかね葵が聞き返した。こちらの世界という言葉にも違和感がある。


「ええ、ごくたまに穴が開くのよ。今回は何故かこんな辺境の地だったのだけれど。数日前からこの辺の磁場に異常が見られたので私たちが視察に来ていたの。タイミング良く貴方たちと会えて幸運だったわ。どこに現れても迎えに行くのは私たちだったから手間が省けたわけだし」


「迎えって、ここからどこかに行くってことですか?」


 おずおずと莉央が質問する。女は堂々とした笑みで答えた。


「ええ、王城よ」


「おうじょう?」


 ぴんとこない様子で繰り返す莉央に浮かべた笑みを苦いものに変えると女は話を続ける。


「この国には強い魔力を発するスポットがいくつかあるの。そのせいか引き寄せやすいらしくて、過去にも何人か落ちてきているのよ。けれども貴方たちと同じようにここに来たバロックたちは何故ここに来たのか分からない。あてもなくさまよって、盗賊や獣に襲われ命を失う者も少なくなかった。或いは訳の分からない言葉を操る異国からの不法侵入者として処刑されたりね。それを保護する法律ができたのが六年前。この国の王子が政権を握った頃のことよ」


「王子……、王城って王様のお城ってことなんですね」


「ええ。貴方たちの国は王政ではないのかしら。聞き慣れない言葉だった?」


 頷く莉央に女は目元を優しげに緩めた。


「心配しなくていいわ。私たちにはノウハウがある。貴方たちを助けるためのね。だから安心してちょうだい」


 莉央から葵に向けて視線を流す。女は話術に長けているようだった。口を閉じている相手もおろそかにしない様は学校の教師か何かのように見える。


「あの、俺たちの連れはどうなるんですか」


 その視線に後押しされるように口を開いた葵の隣で莉央の肩が小さく揺れた。自分たちの身の安全が確保されたとしても、もう一の幼なじみもそうだとは限らない。


 案の定女は口を噤み少し考えるように目を伏せた。


「元々バロックはスポットそのものに落ちてくることがほとんどなの。以前は言葉が通じず冷遇されていたのだけど、異世界に理解のある王子が政治を取り仕切るようになってから彼らは手厚く保護されるようになったわ」


「あれ、ちょっと待って」


 葵が話の途中で戸惑ったように口を挟む。莉央と女は怪訝そうに表情を伺う。葵の慌て振りはそれほど滑稽だった。


「異世界ってなに」


 莉央も「あ」と抜けた声を出した。先ほど感じた違和感はこれだった。こちらの世界。通常ならば外国とでもいうところだろう。異世界などと言う言葉は一般的に使わない。聞くとしてもファンタジー小説か、或いはゲームの世界でか、とにかくフィクションやオカルトのジャンルである。


「言葉の通りよ。この世界に貴方たちは存在しない。逆に貴方たちの世界にこの国も存在しない。空間か、次元か。どんなものかは分からないけれど、そういった何かを隔てた場所に互いの世界がある。痕跡のない行方不明事件、神隠し。そんな話、全く聞いたことない?」


 答えに詰まる葵。バミューダトライアングルだとか、聞いたことのあるオカルトチックな話が頭に浮かぶ。


 横に座る莉央は首を弱々しく振った。自分の身近にいた。突然消えて突然戻ってきた恩師、蒔田。莉央は蒔田が自分と同じ境遇だと考えたわけではない。こんな異常な事態がそうそうあるとは思えない。しかしあれは確かに神隠しにも似た失踪事件であった。


「現在は王城内に人工的に魔力を集めたスポットが作られていて、着地の際にはそこに誘導されるようになっているの。今回貴方たちが何故こんな辺境に落ちてきたのかは分からないのだけれど。まあでも、そんなふうにこの国がバロックを手厚く保護していることをすでに近隣の国も知っているわけ。バロックには何かしらの価値があると考えている者たちもいるでしょう」


 女はそこで大きく息を吐いた。


「隠してもいずれ分かることだからはっきり言うわ。貴方たちのお友達、彼は政治的に利用される可能性が高い。先ほどの男は隣国の女王の腹心。それが自ら動くほどに向こうはバロックの存在を重要視をしている」


 莉央はまだぴんとこない様子で女を見ていた。だがそれは葵も同様だった。たかが一介の高校生が突然政治的要人になったと言われたところでああそうですかと納得できるものではない。


「じゃあ、晃流くんはどうなるんですか」


 ぴんとこないまま、莉央は口を開いた。だったらどうだというのか。知りたいのは立場ではなく処遇である。


「彼は外交的切り札。だから無事でいる可能性が高い」


 間髪入れずに葵が問うたのは、一番の核心についてだった。


「俺たちは貴女を信用していいんでしょうか」


「逆に聞くけれど」


 葵の問いに女はうっすらと笑みを浮かべた。随分と余裕を感じさせる、勝ち誇るような自信に満ちた笑みである。


「信用しないでどうするの。私以外言葉が通じない、見知らぬこの世界の中で貴方たちに何が出来る? 自力でお友達を助けに行くつもりかしら。でも彼の元にたどり着く前にのたれ死ぬのがおちよ。私たちの保護を受けないということは、この国の助力を拒否するということでしょう」


 言葉に詰まる葵を莉央が不安そうに見つめる。女はゆっくりと言葉を続けていく。


「貴方、さっきあの男の一撃で呆気なく倒れていたわね。お嬢さんも特に何が出来るということもなさそう。そうね、私を疑ってここを出るのもいいでしょう。そうしてこの辺を根城にしている盗賊にでも遭遇したらどうなるのかしら。貴方はすぐに殺されるでしょうし、女の子は売られるか、なぶられるか。怖いわね」


 一片の感情もこもらない棒読み口調。だがそういうことがありえるのだと目で雄弁に語る。そして葵はそれを否定できなかった。

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