Magia VI
その日の夕方、私は園庭の桜の木の下に葉太の姿を見とめた。向こうも私に気がついて、腰を下ろしたまま左手を上げて合図する。
「ごめん葉太。待った?」
「いや……でも、良かった。避けられてんのかって、心配にさ、なってたから」
言葉を切りながら言う葉太は、私をまっすぐ見ようとしない。この間のことを考えたら当たり前だけれど。
正直に言えば、このまま学年末報告なんてせずにいなくなってしまおうかと迷っていた。でも学園長と話しているうちに、学園長の魔法のせいなのかしら。気まずいままに終わるのは後悔しそうで。
日が暮れて徐々に宵闇が広がる中、桜の花の白が目に明るい。葉太から呼び出しを受けて
「ううん、えと、この間は……ごめんね……」
「あ、うん。いやいいよ。こっちこそ突然……えっとまぁ、はじめるか……って言っても、成績とかに問題はあまりないんだよね。
軽く頭を掻いて髪の毛をくしゃりとさせ、葉太は気まずげな表情をすぐに真顔に変えて話し始めた。私みたいに気持ちでぶれたりしないで、自分の責任はしっかり果たす。根っから真面目なのだ。そんなところも……好き。
「あとは学園内で困ってることとか、上手くいかないことがあるかってくらいかな。あっ、これは、
背高く伸びた草が風に撫でられてさわさわと音を立て、私のブーツを軽く叩いていく。学園の他の桜は地面を桃色に彩り始めてしばらく経つのに、ニホンから来たこの園庭の桜の木の下には、まだ花びらひとつ落ちていない——白い花びらが地面につかないままで冬に戻れば、悩みなんてないもかもしれないのに。
「……私ね、どうしても
下を向くのは怖くて、葉太より一歩桜に近づき、枝を見上げた。どこを見ても花が溢れんばかりに咲き誇っている。
「ん、前も言ったけど、
斜め後ろから、耳に葉太の声が入ってくる。もうずっと前から聞き慣れた、魔法のことになると真剣になるテナーの声。
「そっかぁ……じゃぁやっぱり難しいのね」
この桜は冬に花を開く種属ではない。春の盛りを告げるのだもの。
「私ね、雪兎になりたかったんだぁ」
「雪兎?」
「そう」
冬の寒さに眠ってしまうことなく、銀白の原で遊ぶ雪兎——ううん、違うな。夏にはお日様に向かって伸びる向日葵になりたかったし、秋には
闇はいよいよ深くなり、宵の紫がかった色から夜の濃紺に変わっていく。すると園庭の池が薄水色に輝き出し、水面の一部が桜を映して淡く桃色の光を発した。
葉太が池の方へ顔を向ける気配を感じて、私も夜しか現れない光景にしばし見入った。
「この桜、今年は長いね」
「うん……葉太の防護魔法、上達したんじゃない?」
私が初めてこの園庭を見わたした時、葉太はまだバカロレアの一年生で、顔を上気させて学期末に合格をもらった防護魔法をかけにきたのを覚えている。そのあと毎年毎年、魔法をかけに来てくれた。触れると柔らかくて、静かだけれど強い優しさに、いつしか私は惹かれて、私達に話しかける葉太と、私も話したいと思った。
そして去年、花が蕾をつける頃、いつもなら私達の方へ向けられた顔を見下ろしていただけのはずだったのに、私は葉太の前に立った。葉太は私よりちょっと背が高くて、その顔を初めて少し下から見上げて話をした。
「私ね、嬉しかったの。初めての時はとても短かったけれど、葉太の声を聞いてるだけじゃなくて、言葉を交わせて」
去年の春、やっと葉太と話せたと思ったら、それは桜の花が散ってしまうまでだった。花びらが全て地面に落ちたら、私のこの姿はここから消えた。
でも、想いが強すぎたのかしら。再び私が意識を持った夏を過ぎて、秋から冬になる頃。花を咲かせる準備が出来ても、寒さを前に私達は眠りに落ちる。でも皆が次々に意識を閉じていくのと違って、私の意識は皆から離れて
「もう無理だと思っていたのにね。しかも今度は、学園にまで一緒に通えた」
私を見つけた学園長が私を学園に入れて、葉太が受講を希望していた
「今年は去年よりたくさん話ができたのは、長く一緒にいられたのは、葉太の魔法のおかげよね」
それも、もう終わり。季節の巡りには、春の嵐には抗えない。今年も桜の花は散る。そうしたら私の身体はまた、葉太の前からたち消える。
だから、葉太の気持ちを知ってしまって、自分の想いに歯止めが効かなくなるのが怖くなった。
「この間は、ごめんなさい……でも、とても嬉しかったの。嬉しくて……」
辛かった。
あの時、顔じゅうを赤くした葉太。去年のことを話して、そして今の
二度も三度も繰り返す奇跡なんてあるはずない。またもう一度、彼とこうして並んで話すことができるかなんて分からない。そんなことわかってるから、彼の言葉を自分の言葉で否定した。先を拒んだけれど、それでも——
分かってしまった。唇の動きで。その表情で——「好きだ」と言葉が続くのが。
桜の花は、春には散るのに。一緒にいられるのはそれまで。もし万が一もう一度奇跡が起こっても、それは一年のほんの一時だけ。
耐えられない。
「ありがとう葉太。ずっと見ていただけの葉太と話せるなんて。私も葉太と話していて、すごく楽しかった」
私、何言ってるんだろう。ありがとうとお別れを言いに来ただけのはずなのに。
そう頭では思うのに、するすると言葉が口から出てくる。
「もう一度があるなんて、前の春には思わなかったの。でも今日で最後なの。ありがとう。前の私も……今の私にも、優しくしてくれて」
表の硬い皮を破って花びらを外の空気に広げる時みたいに、話すのを止めようと思っても止めることができない。
「桜……子……? もしかして、おまえ……」
葉太の綺麗な漆黒の瞳に、驚きの色が走る。ああもう、姿がなくなるなら知られないままでって思ってたはずなんだけどな。もう——しかたがないな。
「せめてお別れくらいは笑って言いたくて」
風がびりびり電気を孕んで揺れている——嵐が来る。
「ありがとう、葉太」
涙が浮かばないようにして、できるだけの笑顔を作る。
「さようなら」
葉太が立ち上がってこちらに手を伸ばす。その指先が私の頬に触れる直前に、私はその場から身を消した。
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