Magia V
それから葉太と顔を合わせるのが気まずいまま、時間だけが過ぎていった。校内で彼を見つけると、前よりもっとそばにいきたいという気持ちが強くなって——前よりもっと、怖くなった。
幸い学年末考査の季節に入り授業もなくなったので、必然的に会う機会は減った。
その後、採点の期間になると葉太も忙しくなったのだろう。会わず話さずの日が何日も過ぎた。機会があるとすればあとはもう、学年末の
学園の敷地内では眠りから目覚めた小動物が姿を現し、
身体の中からお日様の温もりが湧き上がるみたいに、命の息吹を感じる。
敷地内のそこここに咲く桜はもう、ほのかに色付いた白い花をいっぱいにつけていた。中には悪戯な春風に吹かれて散り始めている木もある。けれど園庭の桜の花びらはまだ一つも枝から離れていない。葉太がかけてくれた魔法のおかげだと思う。
でもそれも長くは続かない。今日の夜には春の嵐が来ると空占いが言っていた。
桜の花が散れば、学園の一年も終わり。
私が
***
「先生、失礼します。いまよろしいですか」
その日の夕方、私は学園長室を訪ねた。
「今日は、ご挨拶に来ました。
窓辺に立っていた学園長がこちらに顔を向けた。乳白色の床に影が長く伸びる。
「……そんなに寂しいことを言わないでおくれよ」
ゆっくりと口を開くと、学園長は目を細めて柔らかく微笑みながら言った。
「彼には告げたのかい」
私を真っ直ぐ見て問う学園長の瞳が受け止められず、私は首をわずかに振った。
「彼の気持ちは、聞いたのだろう?」
「……あの人が……あの人の気持ちが分かったからこそ、言えません……」
桜の枝が蕾をつけたあの日、「去年の春に会った子」について語ったあと、慌てて私のことを付け加えた葉太の様子が頭に甦る。
こちらを見ないようにして、顔じゅう真っ赤になって言葉を紡ごうとしていたのを思い出す。
その先を奪ったのは私だ。聞くことが耐えられなくて、叫んでかき消した。でも、聞かなくたって葉太の顔を見るだけで分かった。私も同じ気持ちを持ってるんだもの。
だから自分じゃどうしようもないことに、身体が引きちぎれそうだった。
「先生も仰ってたじゃないですか。『奇跡みたいなことだ』って」
——一緒にいられないのに、彼の口から「好き」なんて言葉を聞いたら……耐えられないわ……
無意識に目線が下がってしまう。茜色の美しい夕空の向こうに、鼠色の不気味な雨雲が層を成している。嵐が来る。
「ねえ桜子くん、恋っていうのはね、魔法みたいなものなんだよ」
突然何を言い出すんだろうと顔を上げたら、優しい瞳とぶつかった。学園長は書見台の椅子に腰掛けると、肘をついて目の前で指を組む。
「魔法のこつは、対象の本質を知ること。見かけだけでなく中身も。そしてそれと心を通わせること。それで初めて、強い魔法が発動する」
魔法は誰しもができることではなく、どの対象相手にもうまくいくとは限らない。でも相対するものと真っ向から向き合った時ほど、成功する可能性は高くなる——そう、学園長は続けた。
「未知の魔法はなかなか難しいし、知っての通り未確認魔法が失敗したときの代償は大きい。実行は怖いよね。奇跡みたいなものさ。それでも僕らはやらずにはいられない。ね、似てるだろう」
言いながら、学園長は指で宙に術式を書き、発生した虹色の粒子を人差し指で弾いて私の方へ飛ばした。
「だからきっとほんのきっかけで、恋の力っていうのも知らずに動いてしまうものだよ」
飛んできた色とりどりの粒子が私を一巡りして弾ける。あまりに驚いて目を見開いたら、私の顔を見て学園長が笑い出した。
何でだろう。これは魔法のせいなのか。さっきまでの気持ちが消えたわけではないし、息が詰まる感覚も残っている。でも、ずっと胸の内で鳴っていたざわざわいう音が止んだような気がした。
「先生はずいぶんと、お詳しいような言い方ですね」
ちょっとした仕返しのつもりで言ってみると、学園長はおどけて両手を挙げた。
「そりゃそうさ。これでもそれなりに恋してきたからね」
悪戯な青年みたいに、にやりとした学園長につられて、私の頬が緩んだ。微笑み方すら、ずいぶん長いこと忘れていたみたいだった。
——そのすぐあと、私は学年末の報告をするよう葉太に呼び出された。
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