第10話 校外

 翌日。

 本当は休みたくて堪らなかったが、隼人に旧校舎にいたことがバレた旨を、斉藤に伝えなければならない。

 俺は嫌がる足をむりやり学校へ向けさせた。



 ホームルームの最中に、個人面談用のアンケートが実施されたので、それの回収に合わせて、メモを斉藤の机に置く。文面は『旧校舎にいたことが俺の友達にバレた。放課後、その件について話し合いたい』。


 それにしても、たったの三日しか経っていない割には、目立たないように机にメモを置く技術が向上してきた気がする。


 どうでも良いことに一人満足しながら、アンケートを回収していると、後ろからガタッと派手な音が聞こえた。


 思わず振り返る。

 そこには、自分の席で、口を両手で押さえながら立つ斉藤がいた。顔はすっかり青ざめている。どうやらメモの内容に対する衝撃のあまり、椅子から立ち上がってしまったらしい。


 阿呆か、あいつは。

 俺のメモを置く技術をものの見事に相殺しやがった。

 衝撃を受ける気持ちはよく分かる。が、もう少し抑えてほしかった。


 と、周りが俄かに騒つき出す。そりゃそうだ。急に、クラスメイトが立ち上がったら驚く。

 斉藤の隣の席の女子が、窺うような調子で問うた。


「さつきちゃん、どうしたの?」

「あっ、その、えっと……」

 焦りから、続く言葉が出ないようだ。


 ……まったく。

 俺は一つ溜息を吐くと、斉藤のもとへ向かう。

 近寄ってきた俺を見て、斉藤が目を見開くが、それは気にせず、俺は呟いた。


「名前」

「え?」

「アンケートに名前書き忘れてたから。はい」

 俺は斉藤に、回収したアンケートを手渡す。もちろん、これは嘘だ。ちゃんとアンケート用紙の上部には『斉藤さつき』と記入されている。


「あっ、えっと」

「斉藤さんも、自分で名前書き忘れてたのに気づいたから、俺のとこに取りに来ようとしてたんだろ」

「あ、……はい、そう、です。……ありがとうございます」


 周りを横目で窺うと、斉藤が立ち上がったことはもう誰も気にしていないようだった。

 直接訊いてきた、斉藤の隣の席の女子も「ああ、そういうこと」と呟いている。


 斉藤は筆箱からシャーペンを取り出すと、アンケート用紙に名前を書くふりをしてから、それを俺に丁寧に手渡した。

「ごめんなさい。あと、ありがとうございました」

 斉藤はほんの小さな声で、囁くように言った。



 その後、アンケートを担任に提出し、すぐに一限の古典が始まった。それに伴ってメモの返事が返ってくる。

 そこには、面白いほど震えた字で『校内は怖いので、場所は校外にできますか』とだけあった。



 ****



 放課後になった。


 俺は、自転車でバイト先に向かっていた。バイトしに行くわけではなく、客として。


 校外で話し合いに使える場所。

 そこで俺は自らのバイト先である『一条』を提案したのだ。


 『一条』は、駅前に居を構える本屋併設の喫茶店だ。もともとは普通の純喫茶だったらしいが、今の店主が先代から店を受け継いだ時に、本屋併設にしたのだそうな。


 最近流行っているとかいう『本屋カフェ』と並べるには、些か渋すぎる店構えに加え、昨今の読書離れもあり、客は白髪頭の紳士ばかり。

 それに、駅前とは言え、少し路地を行った先にあるので、そもそもの人通りが少ない(哀しいかな、客も少ないのだが)。


 要するに『一条』なら、限界まで清北の生徒を避けることができるというわけだ。



 昨日と同じく、俺たちは時間差をつけて『一条』に向かうことになった。一つ違うのは、今日は俺が先ということぐらいである。ちなみに順序が入れ替わった原因は掃除当番だ。


 店の横に自転車を停め、深いコーヒー色の木製扉の前に立つ。扉の上部にはめ込まれた、青いステンドグラスを見ながら、俺は曇った真鍮のドアノブを握って、扉を開けた。


 案の定、店の中はがらんとしていた。手前の窓側のボックス席に一人だけ、白髪頭の紳士がコーヒー片手に読書をしているのが見える。……今日は、いないのか。


 店内の両サイドには、天井に届く本棚。その中には、所狭しと本が詰め込まれている。いつ見ても、この光景には圧倒される。


 と、

「あれ? 今日、早坂くんバイト入ってたっけ?」

 男性にしては、やや高めの声を投げ掛けられた。


 見ずとも分かる。

 声につられて、店の中央にあるカウンターの奥に目線をやると、やはり小野おのさんがいた。


 小野直人なおひと。俺のバイト先の先輩だ。現在大学二年生で、バイト歴は五年目に突入。と言っても、店主の甥だそうで、この『一条』との付き合いは軽く十年を超えるらしいが。


 俺は静かに首を振る。

「違います。今日は客です」

「あ、そうなんだ」

「後で、もう一人客が来るんですけど、良いですか」

「全然構わないよ。何か飲む?」


 俺はカウンターの上に掲げられたメニュー表示を見る。あまりコーヒーは飲んだことがないが、多分飲めないこともないだろう。

「じゃあ、コーヒー一つ」

「うん」


 俺は奥の方に陣取って、斉藤とコーヒーの到着を待った。

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