第9話 何ですと

「何で……俺が旧校舎にいると、思ったんだ?」


 いつまでも立ち止まっていては怪しまれる。

 俺は、問いかけるのと同時に、再度階段を下り始める。


 それにしても、どもりはしなかったが、多少響きが硬くなりすぎた。

 続く隼人の言葉を戦々恐々としながら待っていると、隼人は軽い調子で、ほいと投げてきた。


「いや、今日さ。部活で、休憩時間に揉めたんだよ。二年と三年で」

「揉めた?」

 その事実がどう関わってくるのか分からないが、とりあえず静かに聞くことにする。


「そうそう、揉めたんだよ」

 まだ気は抜かずに、それでも気になったので、俺は訊いた。

「揉めたって、方向性の違いとかか?」


 俺は中高共に部活に入っていないから分からないが、大会に出るような部活だと、どこを目指すのかで揉めると聞いたことがある。

 確か中学の時、箏曲部が大会で良い成績を目指すか、楽しく音楽をやるか、でかなり揉めたとか。


 そう思って聞くと、

「いや、白菜のイントネーションの違い」

「は?」

「いやさ、白菜って二通りイントネーションあるじゃん? 平たいやつと、『は』を高く言うやつ」

「……」

 こんなくだらない理由で揉める高校生がいるなんて、誰か嘘だと言ってくれ。


 隼人は俺の様子など気にせず、続ける。

「そもそもは、三年の岸田って先輩と二年の村上って奴が揉めてたんだよ。村上は『は』を高く言う派だったんだけど、そしたら岸田先輩が『それ、北斎じゃん』って馬鹿にしてさ」

「……」


「で、村上に二年が加勢して、そしたら三年が岸田先輩に加勢し始めてさー。あ、でも安心してくれ。ちゃんと休憩時間中に和解したから」

「……」

 そんなくだらない理由で練習できなかったとか聞いたら、顧問が泣くわ。阿呆らしさで。


 ちょうど階段を下りきり、下駄箱に着いた。

 俺は一組、隼人は七組の下駄箱の前に行き、各々靴を履き替え、玄関で落ち合う。そのまま校舎の外に出た。


 春の日暮れは早い。外はかなり暗くなっていた。

 隼人も通学に自転車を使っているので、共に自転車置き場に向かう。その最中、「うあー、疲れたー」と伸びをする隼人に、再度尋ねた。


「それで、何で俺が旧校舎にいると思ったんだよ?」

「あ、そうそう。その揉めた時によー、村上率いる『は』高い派が怒りのあまり、その後の練習をボイコットするつもりでグラウンドから逃げたんだよ。俺は『は』高い派じゃなかったんだけど、面白そうだったから着いていって」

 顧問に全力で「ご愁傷様」と言いたい。


 自転車に鍵を差し込み、ロックを外す。ハンドルに手をかけながら、続きを促した。

「それで?」

「そんで、いろいろ逃げ回ってたんだけど、最終的に旧校舎の裏に辿り着いたんだよ。そしたら、二階の真ん中らへんだったかな? 窓から創らしき人物が見えたってわけ。顔見えなかったから、微妙だったんだけど。

 結局、あれ創なん?」


 白菜の話で緩み切った身体が、俄かに強張った。

 二階の真ん中辺り。印刷室の場所だ。


 どうする? 俺はどう答えれば良い? どう答えれば、怪しまれずに済む?

 一番筋の通った作り話を考えるため、頭をなんとか回転させる。しかし、焦りのあまり空回りしかしてくれない。何でも良いから考えろ、俺!


 ……いや、でも、待て。

 俺しか見えていないのなら、問題はないのでは?

 そうだ。斉藤がいることがバレていないのなら、危険度はぐっと下がる。


 そう考えた途端、かなり心に余裕が生まれた。そのお陰で、頭も着実に回り始める。

 隼人と並んで自転車を押しながら、ちゃんと回る頭で優雅に作り話を考えていると。


「あっ、そういや、もう一人女子っぽい影もあったんだよなー。顔は見えなかったんだけど、なんか見たことある感じの子でさー。

 あっ、斉藤さん! 斉藤さんっぽい感じの子だった!」


 ……何ですと。

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