第8話 旧印刷室②

 読み始めてどれくらい経ったのだろう。俺は四編目を読み終えた。


 読み終えた四編は全て短編小説だった。

 昨日見たノートの中身も全て短編だったし、多分短編を好んで書いているのだろう。


 一話あたりの長さはまちまちだった。

 短いものだと一ページ半、長いものでも見開き三ページを超えるか超えないか程度。


 主人公は俺たちと同じくらいの、要するにティーンエイジャーの少年少女で、内容は現代ドラマからファンタジーまで多岐に渡る。

 ただ、意図しているかは分からないが、恋愛物は一切なかった。


 そこここに埃が舞う、全体的に黄ばんだ旧印刷室で、ただ時間だけが進んでいる。

 斉藤が操るボールペンがノートを滑る音を聞きながら、俺は最後の一編に目を通し始めた。


 五編目も、案の定短編だった。

 十五歳の少女と一人の老婆の話で、終盤、少女が老婆に大声で感謝を告げるシーンが出てきた。


 少女は、歳のせいで耳が遠くなってしまった老婆のため、近くにいるものの、大きな声で叫ぶ。

『ありがとう‼︎』


 そのシーンに目を通した瞬間、全く関係ないシーンながら、昨日の叫び声をまたもや思い出してしまった。

『返してください‼︎』


「……なあ」

 斉藤の下がった後頭部を見ながら、俺は静かに口を開く。


「何ですか?」

 斉藤が顔を上げずに言った。


「一つ、訊いていいか?」

「どうぞ」

 斉藤は顔を上げない。ボールペンを握る手だけが淀みなく動き続けている。


「どうして」

 ——あんなに必死だったんだ?


 続く言葉は出てこなかった。

 なんとなく、易々と訊いて良いものではない気がした。


 俺と斉藤はたまたまクラスで前後の席になっただけの間柄で、斉藤の小説でその間柄が少し上塗りされたが、結局それまででしかない。


「いや、何でもない。忘れてくれ」

「そうですか。——あの」

「ん?」


 ノートに目を戻そうとしていた俺は、その声で、再度斉藤に目を向けた。

 今度は、斉藤は顔を上げていた。手も止まっている。


「一つ、私も訊いていいですか?」

「『私』って、俺は最後まで訊いてないけどな」

「許可を出したんだから、同じことです」

「あっそ」


 それから、少し間が空いた。

 俺はその沈黙に耐えかねて、ノートに目を戻す。


 視線が文字を上滑りしていく。それでも強いて文字を追おうとしていると、ほんの微かな呟きが鼓膜を掠った。


「……んですか?」

「え?」

 つい視線を上げて、斉藤を見遣る。


 斉藤はじっとこちらを見ていた。

「私が小説を書いていること、誰にもバラす気はないんですか?」


 なんだ、そんなこと。

 俺はノートに視線を戻して言い切った。

「当たり前だろ」

「……本当に、ですか?」

「悪いけど、俺、人が隠したいと思ってることをバラすほど、落ちぶれてねえんだよ。

 あ、そう言えば、ちゃんと訊いてなかったけど、小説書いてることは隠したいって認識で合ってるよな? 流石に」


 確かめるように、斉藤に目を遣ると、

「……はい、そう思ってもらって間違いないです」


 俺は見た。

 少し、ほんの少しだけだが、斉藤が安堵を表情に滲ませたのを。


 それを見て、なんとなく確信した。

 斉藤は、過去に自ら書いた小説がらみで、があった。


 しかも、バラすバラさないという話が直接関わってくるような。


 そのまま思考の海に沈んでいきそうになっていると、急にけたたましいアラーム音が思考を切り裂いた。


「ひゃっ‼︎」

 斉藤が驚いて悲鳴を上げる。


 斉藤は驚いているから、アラームを掛けた人物ではない。そして、俺は目覚まし以外でアラームをセットすることはない。

 とすると、まさかこの場に俺たち以外の誰かがいるのか……? バレたくないという確認をしたその直後に……?


 ぴりっと空気に緊張が走った。かと思うと。

「え、嘘、もうこんな時間⁉︎ 私、そろそろ帰らないと」

 斉藤が自らのスマホを取り出して、画面を操作していた。その途端、鳴り止むアラーム音。


 いや、お前かい。自分でアラームセットしといて、何で自分で驚いてんだよ。

 どうやら、緊張していたのは俺の周りの空気だけだったらしい。不平等だ。


 まあ、俺も考えすぎだな。こんな旧校舎にいて、誰かに見られることなんて、にもありえない。


 そんなことを考えている内に、斉藤は漢文のノートやら筆箱やらをリュックに詰めて、「じゃあ!」と印刷室を出ていった。


 一人残される、俺。

 って、待て。俺、また謝り損ねたのでは……? というか、あいつ、ノートも置いていった。これは、明日に延長なのか?


 と、ふと腕時計が目に入った。

「あ」

 時刻は下校時間間近を指していた。


 もしかしたら、隼人はもう部活を終えて、俺を迎えに、一組に向かっているかもしれない。

 だとしたら、早く一組に戻らねば。


 何も、隼人を待たせるのが嫌とかそういうわけではない。中学からの付き合いだし、隼人も俺が遅れたところで、多分気にはしない。


 問題はそこではない。

 待っているはずの俺がいなかったら、隼人は不思議に思うはずだ。そして、必ず俺に訊いてくるだろう、どこにいたんだ、と。


 席を外していた言い訳ならいくらでも思いつく。だから、俺がヘマをして、その流れで斉藤との関わり、及び斉藤の小説の件がバレることはないと思うが、念には念を入れよ、だ。

 俺は走って、一組に向かった。



 幸い、一組教室に隼人はまだ来ていなかった。

 弾む心臓を深呼吸で宥めていると、すぐさまいつもの明るげな声が飛んでくる。

「創ー、帰ろうぜー」


 振り返ると、一組教室の入り口付近に体操服姿の隼人が立っていた。季節はまだ四月だというのに、汗だくだ。ちなみに、隼人はサッカー部員である。


「ああ」

 俺は自分のリュックを背負うと、隼人のもとに向かった。


 二人で並んで、階段を下る。

 二年生の教室は二階にあるので、階段は一階分しかない。短い階段を黙って下っていると、隼人が「あ」と声を上げた。


 下る足は止めずに問う。

「どうかしたか?」

「あんさー、間違えてたらあれなんだけど。

 ——創さあ、今日の放課後、旧校舎にいた?」


 その発言に足が止まる。ついでに心臓も止まりかけた。


 何で。

 何で、隼人がそのことを知っている⁉︎


 俺は、どうやら例の「」とやらを起こしてしまったらしかった。

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