第4話 衝突からの転換

 第二話の冒頭部で、しらばっくれたさつきに早坂がキレていますが、不自然だったので少し書き換えました。どうしてしらばっくれたのか、と不思議に思う程度に変更しました。


 それでは、本編です。



 ****


 時刻は五時を少し回った頃。

 夕暮れ迫る二年一組教室の窓側一番後ろの席。その席の前に蹲るのは、紺色のブレザーの背中。その背中には黒髪のハーフアップが流れている。


 教室の後ろのドアから、中を窺い見た俺は思わずガッツポーズをかました。


 斉藤さつきは何らかの理由から、例のノートの受け取りを拒否した。俺はその理由を知らないからなんとも言えないが、だからと言って、赤の他人にそれをそのままくれてやろうなどとは考えないだろう。もしそう考えているんだとしたら、ちょっと人間性疑う。


 斉藤さつきはあのノートを取り戻したがっている。そう仮定するなら、彼女が次に取る手は何か。それは実力行使、つまるところ盗むという手段だ(もともと彼女の所有物なのだから、盗むという言い方はおかしいのだが)。


 だから、俺はを撒いた。

 まず、昼休み。隼人にホームルームの後、一組に来るように頼む。そして言われた通り一組にやって来た隼人に、以下のようなことを話した。


「いつも通り、この教室で隼人の部活が終わるまで待つが、少し用があるから、荷物だけ置いて席を外しているかもしれない。その時は、先に帰ってくれ」


 それも斉藤さつきの前で、聞こえよがしに。

 これで、斉藤さつきは俺のリュックが少しの間、無防備になることを知ったはずだ。


 準備は万端。

 そして、案の定俺が教室を去ってすぐ、斉藤さつきはやって来た。

 今も、俺の黒いリュックに手をかけている。


 よし、そろそろ謝りに行くか。

 その言葉を舌の上で転がした瞬間、急に心臓が緊張を訴え始めた。なんてこった。まあ、それもしょうがないのかもしれない。なんせ今から俺は、一回も口頭で会話したことのない同級生に「あなたのノートの中身を勝手に読んでごめんなさい」と謝罪しなければならないのだから。


 しっかし、よくよく考えてみれば、謝罪のためとは言え、なぜこんなしちめんどくさい手に出てしまったのだろう。他に手はなかったのか。


 頭の中であれやこれや考えていると、斉藤さつきが例の水色のノートを手にするのが見えた。


 今を逃すとまずい。

 俺は静かに教室に足を踏み入れた。


 まずは教室の中ほどまで足を進めてみるが、斉藤さつきが俺に気づく気配はない。ノートが無事かどうかの確認に勤しんでいて、周りに注意が向いていないらしかった。


 もう少し近づく。ついに蹲って丸まった背中との距離は一メートルを切った。

 もうこれ以上近づけないというのに、彼女はまったく気付いていないようだった。


 一応脳内シミュレーションでは、斉藤さつきが振り返ったところに「やあやあ、こんにちは。これは、どうも斉藤さんではないですか」的な感じで入り、その流れのまま謝罪を敢行するつもりだった。それが、まったく振り返る気配がない。みじろぎする気配すらない。


 はあ。自分から行くしかない。

 俺は意を決して、その背中に声をかけた。


「あの、」

 すると、

「うわああああああっ‼︎」

「えっ」

 声掛けが急すぎたのだろうか。斉藤さつきは誰かに狙撃されたかのように肩を跳ねさせて驚いたかと思うと、勢い余って手にしていたノートを空中にぶん投げた。そして、その行動に驚く俺。


 夕暮れの中、宙を舞う水色のノートと、無駄にびっくりする高校生が二人。

 それは世にも奇妙な光景だった。


 そのことはさておき。

 やがてそのノートは不細工な弧を描き、俺の手元に収まった。ナイスキャッチ。


 ここで一つ言っておきたいことがある。

 人間とは追いかけられたら、逃げるものである。特にやましい事情はなくとも、追いかけられれば逃げる。それは本能だ。


 だから、俺の手に収まったノートに伸ばされた斉藤さつきの手を避けるため、ノートを持つ手を高く上げたのは、決して俺の意志ではない。本能だ。悪意など何もない。


 しかし、そのことが通じるはずもなく。

 意地悪されたと勘違いしたのか、半ばパニック状態になった斉藤さつきは俺を睨みつけながら叫んだ。


「それ、返してください!」

 とりあえず宥めて、状況説明するのが先だと判断した俺に、斉藤さつきはさらに浴びせる。

「返してください‼︎」


 素直に返してやれば良かったのに、この時俺は苛ついた。

 拾ってやったのに、その態度は何だ、と。

 そして、愚かなことに口に出してしまったのだ。

「拾ってやったのに、何だよそれ」


 その言葉が、火に油を注いだのは明らかだった。

「私、拾ってくれなんて頼んでません!」

「はあ?」

「よく言うじゃないですか! 落とし物を見つけたら、場所は変えずに目立つ場所に置く方が良いって!」

「なっ。じゃあ、このノート、黒板の前に置いときゃ良かったのか? これ、誰のですかーって!」

「それは……!」


 俺は、はんっと鼻で笑う。

 言い返せるはずがない。

 前も言ったように、名前を書いていないのはバレたくないからだろう。目立つところに置かれるなんて、針の筵だ。言い返せるはずがないのだ。


 それでも、彼女は言い返して来た。それも、今度は俺が言い返せないような内容を。

「あのノートを隠さないといけないって認識があるってことは、どうせ中身見てるんですよね?」

「それ、は……」


 一気に形成が逆転する。

「だったら、なんとなく察してそっと置いとくなりしてくださいよ! それなのに『これ、斉藤さんのじゃない?』とか、やり方が汚いです!」

「汚いって何だよ!」

「そのままの意味です!」


 口論は白熱していく。

 呆れたように斉藤さつきが言い放った。

「人のものとか勝手に見ちゃ駄目だって教わりませんでした? 小説も一緒です!」

「それは、そうだけど……」

 言い淀んだ俺に、斉藤さつきはなおも言い募る。

「『そうだけど』、何ですか?」


 目つきを険しくして、迫る斉藤さつき。そして、俺は愚かだった。

 腹が立つのに任せて、思ってもないことを口走ってしまったのだ。

「あんなの、小説の内に入んねえよ」

「……!」

 斉藤さつきが目を大きく見開くのが見えた。


 ……やってしまった!

 確かにぎこちなさや誤用は散見されたが、彼女が書いたものは、小説としての魅力を充分備えていたものだったのに。


 しかし、一度口に出してしまった言葉は取り消せない。ついでに言うと、一度付いてしまった勢いも止められない。

 さらに愚かなことに、俺は続けてしまったのだ。

「あーあ、あんたに書かれた小説は可哀想だよな!」


 斉藤さつきは、唇を噛み締めて肩を震わせると、やっとのことで言葉を発する。

「……そんなに言うぐらいなら、あなたは随分と小説お詳しいんですね!」

「ああ、そうだな! 今まで何冊読んだか覚えてないくらいにはな!」

「じゃあ、どこが悪かったか具体的に挙げてみてください!」


 俺は勢いに任せて、ぶちまけた。一応言っておくが、この具体例にそれほど嘘はない。

「まず、誤用が多すぎる! ちゃんと辞書引いたのか? あと、言い回しがぎこちない、硬い! もうちょっと小説読んで勉強しろ! 書くのにかまけて、読書の時間取れてないんじゃないか?」

「……え?」


 急にとぼけた声を出されたので、勢い込んで続ける。

「聞こえなかったか? まず……」

「聞こえてます聞こえてます! 指摘自体は、その、否定できませんが、でも、やっぱり小説じゃないという言い分には納得いきません! 明日過去に書いた他のものを手直しして持ってくるので、それも読んでください! 判断はそれからです!」

「ああ、望むところだ!」


 斉藤さつきは肩を怒らせて、教室を出て行った。


 そうして俺は、斉藤さつきの小説をさらに読むことになったのである。

 あとで思い返してみれば、どうしてこうなったのか甚だ謎だった。

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