第3話 全ての始まり、斉藤さつきの場合
どうしよう。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
どうしよう!
私はぎゅっと閉じた目を片方だけ薄く開いて、手の中のメモに目を落とす。
『ロッカーの隙間に水色のノートが落ちてたんだけど、斉藤さんのじゃない?』
だめだ、何度見ても文面は変わらない。
昨日は、本当にうっかりしていた。
まさかアレを落とすだなんて。しかも、誰かに拾われてしまうだなんて!
様子を窺おうと、後ろの席をそーっと振り返ろうとして、すんでのところでやめる。目が合っても、気まずいだけだ。
代わりに頭の中で思い描いてみる。
早坂君。下の名前は……なんだっけ。眼鏡をかけていて、ちょっと身長が高めなこと以外は、多分そこまで目立たない子だった。はず。多分。
もう一度メモに目を落としてみる。
心臓の音がどんどん早まってゆくのを落ち着かせるために、一度大きく深呼吸をした。それから、ぐっと顔を上げて、状況をざっくり整理する。
まず、昨日。
いつかは分からないが、私はアレを落としてしまい、運悪く私が拾う前に早坂君に拾われてしまった。
そして、今日。
アレを失くしたことに気付いた私は教室中をさりげなく探すも見つからず。嘲笑うように、早坂君によって、このメモが机に置かれた。
さて。
どうしよう?
アレに名前は書かなかった。それなのに、早坂君は私にあたりをつけている。
やっぱり中身……見られてる?
いや、もしかしたら見られていないかもしれない! ……いやいや、そんなの絶対にありえない! じゃないと私だと分からないはず! 確実に見られている!
いやいやいや、そうとも限らないのでは? 何か他に私だと特定できる要素があったとか? 例えば……場所とか! 私のロッカーの後ろに落ちていた、とか! 絶対そうだ。そうに違いない!
……いやいやいやいや、そんな都合良くいってたまるか!
一人で堂々巡りを繰り返し、一人で頭を抱える。
だめだ、心臓が保ちそうにない。もっとポジティブな方向で考えていこう。
もう一度大きく深呼吸をして、頭をお花畑にする。
……。
……。
……わー、お花畑だー。チューリップも生えてるし、たんぽぽも生えてるー。他にもいろいろ咲いてるー。
よし、お花畑完成。その頭のまま、考えていく。
早坂君は多分、中身を見ているだろう。この事実は変わらない。
しかし! ここからが重要だ。
早坂君が別に何か言ってくるとも限られないのではないか!
もしかしたら、早坂君は凄く良い人で、大人の対応ができて、「ああ、これ落としてたよ、どうぞ」ぐらいしか言わないのではないか!
きっとそうだ。授業が終わったら声を掛けよう。『メモに書いてある通り、アレ、私のです』と。
その時、ふと耳に甲高い声が蘇った。
——斉藤、お前何書いてんだよ! え、小説? 俺にも見せろって! なあ。なあってば!
その声が引き金となったように、もう一つ、困ったような柔らかい男性の声。
——えー、斉藤、ですか。その……何と言いますか、何を考えてるか分からなくて、ちょっと扱いに困るというか……。
喉がひゅっと鳴った。身体が一気に血の循環をやめたように、指先が冷えてゆく。頭の中で色鮮やかに咲き誇っていたお花畑も、阿呆らしいとでも言うようにみすぼらしく枯れ果てていった。
ポジティブに考えることと、頭お花畑は意味が違う。……きっと早坂君も……。
手の中で、くしゃりとメモが潰れる音がした。
その音をきっかけに、私は口を閉じたままルーズリーフを取り出すと、端に定規を当ててちぎる。机の上に転がったままの水色のシャープペンシルをぎゅっと強く握って、一文字一文字綴った。
『何の話ですか?』
これで、いい。
私はそのメモを、前から回って来たプリントに紛れ込ませて、早坂君の机に置いた。
しかし。
メモを置いた後に、一つ重要なことに気付く。
「じゃあ、どうやってアレ取り返すの……?」
思わず口から漏れる言葉。
そうだ、取り返す方法考えてなかった!
こめかみを冷や汗がだらだら流れていく。
そうだ、忘れていた! 忘れていた‼︎
己のぽんこつぶりを呪いつつ、すっかり枯れ果てた花の残骸を蹴散らしながら、頭をフル回転させる。
……よし、盗ろう。
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