第2話 全ての始まり、早坂創の場合②

『何の話ですか?』

 俺はその文面を見た瞬間、間抜けに口を開けた。


 俺は三限の日本史で、斉藤さつきの机にメモを置くことに成功した。

 そして、四限のコミュニケーション英語も終わりに差し掛かった頃。プリントを後ろに回す時、斉藤さつきからメモの返事が来たのだ。が。

 しらばっくれたのだ。


「……何で」

 思わず小声で呟く。あのノートは斉藤さつきのもので間違いないというのに。俺の文面の何が気に入らなかったんだ。ノートの中身を見たとは言っていないのに。いや、まあ、見てはいるんだが。

 もう一度メモに目を落とす。

 この素っ気ない感じが、余計に不思議さを増長させる。中を読まれているかもしれないのに、受け取りに行くのが気まずいのだろうか。


 と、コミュ英の田辺がぱんと手を打ち鳴らした。

「今日はこの辺で終わりにするわね。宿題は教科書の14ページから17ページまでの単語調べと、キーセンテンスの和訳、ぐらいにしとこうかしら。

 はい、じゃあ委員長、号令」

「きりーつ」


 メモを裏返して机に置くと、俺は慌てて立ち上がる。

「礼」

「ありがとうございましたー」

 首だけで頭を下げて、椅子に座った。


 俺と同じく席についた斉藤さつきの背中を、じっと見る。斉藤さつきは俺の視線など物ともせず、水色の弁当箱を持って級友のもとへと向かっていった。


 ……俺も昼飯食うか。

 と、それを見計らっていたように、扉から俺を呼ぶ声が聞こえた。

「創ー、食堂行こうぜー」

 この声は、俺の旧友の船出隼人に他ならない。俺は、机に掛けていたリュックから二つ折財布を取り出すと、席を立って隼人のもとへ行く。


「しょっくどー、しょっくどー♪ 早く行こうぜー。今日、唐揚げ丼出るんだってよ」

「ああ」

 教室から出る間際、もう一度斉藤さつきに目をやる。級友二人に向ける、どこか遠慮気味な笑顔が妙に気にかかった。



 *



 生徒でごった返す食堂にて。

「おばちゃん、唐揚げ丼一つ!」

「おばちゃんって言わないの! そっちの子は?」

「素うどんで」

 俺がそう言うと、隼人は呆れたような顔をした。


「またかよ」

「何が」

「金欠だよ。どうせ、また本買いすぎたんだろ」

「否定はしないな」

 俺は小銭を台に置くと、盆に財布を乗せて、のろのろ進む列についていく。


「創さ、バイトはしてんだよな?」

「ああ。駅前の本屋併設の喫茶店」

「うわー、創が接客してるとか、想像つかねー」

「しょうがないだろ。あの店なら、客が汚して店に出せない本、タダで貰えるんだよ」

「理由が創過ぎんだろ」

「何だ、その言葉」

 四つ前の女子生徒がオムライスを受け取った。列はのろのろと進む。


 隼人がはっきり俺の方を見ながら言った。

「バイトしてんのに、昼飯が素うどんになるとかどういうことだよ」

「小遣いとバイト代だけじゃ、新刊分賄えないんだよ。だから、昼飯代に手つけるしかない」

「将来、会社の金横領とかすんなよ」

「するか、阿保」


 そんなどうでもいい話をしつつ、おばちゃん、失敬、お姉さんから丼を受け取る。

 適当に席を見繕って座ると、そのまま黙って食べ始めた。男子の昼飯なんてこんなもんだ。旧友の場合なら尚更。特に話題などない。……いや。


「なあ」

 俺は机の中央に置かれた七味の瓶を手に取り、それを素うどんにかけながら、嬉々として唐揚げ丼をつつく隼人に声をかけた。


「ん?」

「俺のクラスに、斉藤さつきってのがいるんだが、お前知ってるか」

「知ってるけど」

「何で」

「自分で訊いといて、何その返事」

 ほんの世間話のつもりだったから、返事が来ることなど期待していなかった。


 去年、俺は隼人とクラスが一緒だった。そして、そのクラスに斉藤さつきなる生徒はいなかったのだ。だから、勝手に知らないものとばかり思っていた。


 隼人が、あくまで唐揚げ丼に集中しながら言う。

「有名な子だろ?」

「有名?」

「そうそう。可愛いから」


 うどんを適当にすすりながら、斉藤さつきの顔立ちを思い浮かべてみる。

 色の白い肌に、黒目がちのまん丸な目。

 まだぼんやりとしか浮かばない彼女の顔立ちは、なるほど確かに可愛いのかもしれない。その辺りの善し悪しを判断する感覚が鈍っている俺ですらそう思えるのだから、美少女であることに変わりはないのだろう。


「まー、そんだけじゃないけどな」

 隼人が苦笑いを浮かべる。

「そんだけじゃないって、何が」

 箸を止めて、訊く。


「知んない? トリプルコンボ事件」

「は?」

「去年、体育でサッカーやってる時に、ボール蹴るのミスって、そのせいでひっくり返って、そこに隣で試合してた男子のボールが飛んできて、おでこに当たってぶっ倒れたっていう」

「……なかなかだな」


 俺の言葉に、隼人がまたしても苦笑いを浮かべた。

「創も、人のこと言えないけどなー」

「俺のどこがだよ」

「自覚ないならいいや。まあ、人呼んでトリプルコンボ事件って言われてる」

「運動神経悪いのか」

 あまり活発そうなタイプではないが、まさかそこまでとは思わなかった。

 そう思って言ったのだが、隼人の反応は違った。


「いーや、別にそういうわけじゃないんだってよ。なんか、常にぼーっとしてて、何考えてるか分かんないって言われてるし、多分、その時もぼーっとしてたんじゃね?」

「ぼーっと」

「そうそう、掴みどころがないって。まあ、逆にそこがいいって言う奴もいるけどなー。かすみ草みたいに可憐な美少女、ってな」


 かすみ草。知らない言葉だ。「そう」と言うぐらいだから、くさなのだろうか。いや、普通美少女の形容に草なんか使わない気がする。

 そんなことを考えていると、唐揚げを丸ごと口に入れた隼人が、もごもごしながら言った。


「あー、あと、誰に対しても敬語で喋るってのでも有名かもな」

「敬語で」

 俺の箸は完全に止まっていた。その代わり、さっき見た斉藤さつきの遠慮がちな笑顔を思い出そうとしていた。

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