第5話 ギャント公爵領の紛争 前編

「メルヴィン王子、どういうことか説明して頂きたい」

 御前会議が終わり、「青の間」から出てきたところでバスターに捕まった。

 真剣な面持ちで、はぐらかすことは無理そうだった。

 助けを求めるようにオスウィンを見るがこちらも普段の傍若無人ぶりはどこへやら、居た堪れないのかバスターから視線を逸らせている。

「ここでは話せませんから」

 メルヴィンはそう言うとバスターを誘って中庭に出た。



 モザイクタイルで装飾された四阿に落ち着くと侍女にお茶を持ってくるように命じた。

 バスターは視線をメルヴィンに当てたまま、彼が話し始めるのをじっと待っている。

「ファッハード候はどこから聞いたのですか?」

 バスターの無言の圧力に、居心地が悪いのかオスウィンに話を振る。

「ギャント公爵の小姓が喋っていたのを家来が聞きつけたのです。何しろ未来の娘婿に関することですからな」

「ファッハード候、勝手に決められては困る」


 オスウィンには三人子供がいるが全て女子で、長女は十七歳になる。

 アナイリンという名で容貌は父親に似て赤茶色の巻き毛で楚々とした風情の可憐な美少女だった。性格は母親似なのだろう、控えめで大人しい性質だ。

「何を言うか! 儂に似て美しく慎ましいアナイリンのどこが不満だというのだ」

「アナイリン殿の美質は同意できるが、ファッハード候に似ていたら容貌はともかく性格は慎ましい女子にはならんだろう。それとナイジェルは結婚を承諾したわけではない。ナイジェルにはガーランド家を継いで欲しいと思っている」

「ふん、ならば最初からハイルに養子に出さなければ良いのだ」

 バスターは眉間に皺を寄せて、顔に苦渋の色を滲ませた。


 バスターはあまり過去を顧みない男だが、もし一度だけやり直したいことがあるとしたらナイジェルを養子に出したことだろう。

 ナイジェルは実の伯父だというのに今まで、甘えたり頼ったりしてきたことはなかった。

 子供のいない自分にとっては実子同然に慈しんでいた時期もあり、他にも血を分けた甥はいるが彼には特別な思いがあった。それなのに、いつの頃からか、礼儀正しい態度を崩すことなく一線をひかれているようで、バスターは寂しかった。

「ファッハード候、言葉が過ぎましょう」

 メルヴィンが美しい眉を顰めてオスウィンを非難する。

「そうですな、済まないバスター。口が過ぎた」

「いや、確かにな。あの時は最善の選択だと思っていたのだが、……後悔している」

 黙り込んだバスターに二人は掛ける言葉も無く、沈黙がその場を支配した。


 丁度侍女がお茶を運んできた。

 侍女が頭を下げて下がっていくまで、三人とも押し黙ったままだった。

「先ほどの件ですが、ファッハード候の言ったように耳が穢れる様な話でしてね……」

 そう前置きしてメルヴィンは話し始めた。




 事は三カ月ほど前に遡り、フェルガナ帝国と国境を接するギャント公爵の領地で発生した強盗事件に端を発する。

 フェルガナ帝国との国境はベンネビス山脈を水源とする川によって国境線が引かれているが、所々飛び地のようにこちらに飛び出しているフェルガナ帝国支配下の領地も少なからず存在する。

 そんな飛び地とギャント公爵の領地は接していて、度々揉め事を起こしていた。

 ギャント公爵の領地の周辺は土地が肥沃なため、王国にとっても重要な穀倉地帯なのだが、ギャント公爵はそれをいいことに領民に重税を課していた。

 国境線が引かれている付近は暗黙の了解として耕作地にはしないものなのだが、領民たちは何とか収穫量を増やそうと飛び地に大きく入り込んで畑を勝手に作っていたのだった。

 飛び地の領主は何度となくギャント公爵に苦情を申し入れていたが、自分の懐に入る物なので、ギャント公爵はのらりくらりと言い訳をして聞き入れなかった。

 そのことに怒りを感じた飛び地の領主の家来が、土地から領民を追い出そうと仲間と図って武器を手に追い立てたのだった。


 しかし、領民は税を払えなければ家財を取り上げられた上に住み慣れた土地から追い出されてしまう。

 切羽詰った領民は武器を奪って斬りつけ、ついでに家来が持っていた金品まで奪ってしまった。

 ここまでされて流石に堪忍袋の緒が切れた領主は周辺の領主たちに応援を請い、帝都には自身の正当性を主張する手紙を送った上でギャント公爵の領地に攻め込んできたのだ。


 慌てたギャント公爵は自身も軍勢を整え、攻め込まれた経緯は自分に都合の言いように捏造してエルギン辺境伯に増援を頼んだのだった。

 そこに派遣されたのがナイジェルの大隊だった。

 ギャント公爵は自分より遥かに年下のナイジェルの進言を無視して、敗走する振りをしたフェルガナ軍に言いように翻弄され、戦列が伸びたところで挟み撃ちにあい、壊滅寸前に陥った。

 ギャント公爵の本陣にまで間断なく矢が射こまれ、包囲される直前に疾風のような行軍でその場に到着したナイジェルの大隊によって救われたのだった。

 それでも被害は甚大で城まで逃げ帰ったギャント公爵の私兵は半分にも満たなかった。



「カールーン、被害の状況は?」

 返り血に染まった皮製の兜を脱いで、無茶な行軍と乱戦により疲労困憊で地に倒れ伏す部下たちを見渡してナイジェルは砂色の瞳を翡翠色に煌めかせた。

 カールーンと呼ばれた男はナイジェルの副官で長身のナイジェルより頭一つ分も背の高い大男だ。赤銅色の肌に黒髪、髪と同色の目は細く常に鋭い光を湛えていた。

「はっ、我らの被害は死者が十五名ほど、動けぬほどの重傷者も多数います。ギャント公爵の軍はその比ではないようで、半分ほどしかここに辿り着けなかった様子です」

「そうか……」

 予想以上の悲惨な戦果に溜息をつくとナイジェルは死者を悼むように瞳を閉じて頭を垂れた。


「ナイジェル大隊長、お疲れでしょう。湯を沸かしますので着替えをしてください」

 ナイジェルの軍装は半ば血に染まり、腰の双刀にも乾いた血の塊がこびり付いていた。

 異様な姿なのは周りの反応でもわかる。

 心配そうな視線を送ってくる部下たちに微笑を返して、ナイジェルはカールーンの進言に従うことにした。

「そうしよう、だがまだ温かい季節だし水で十分だ。着替えを持ってきてくれ」

 ナイジェルはそう言うと井戸のあるところまで自分で歩いて行った。

 軍装をすべて脱ぎ捨て、裸体になると何度も水を被った。肌を滴り落ちる水は血の色に染まっている。

 すべて返り血で、鍛え上げられた白い体には傷を負った様子はない。

 傍らに控えたカールーンは安堵すると同時に畏怖の念を禁じえなかった。

 常に最前線に在って、誰よりも敵と切り結んでいたナイジェルの剣技の凄まじさを見た気がした。


「ナイジェル大隊長! ナイジェル大隊長はどこにいる!」

 金切り声を上げているのはギャント公爵だろう、カールーンは普段ほとんど表情を変えない顔を盛大に顰める。

 部下を引き連れて、ギャント公爵が顔を赤黒く染めて乱暴な足取りでこちらに向かってきた。ナイジェルに命を救われた立場だということを理解している様子はない。

「こんなところに隠れていたのか。貴様、ここは戦場だぞ! 呑気に水浴びなぞしおってから…に……」

 ギャント公爵は文句を言う形に口を開けたままナイジェルの裸身に目を奪われた。

 陽に焼けない白い肌はすべらかで水を弾いて煌めき、極限まで鍛え上げ引き絞られた筋肉纏った体は造形美の極致を体現したようだった。

 濡れた手で髪をかき上げる手を止めたままギャント公爵の方を振り返る。驚いたように見開いた砂色の瞳もほんの少し開いた口元もどこか無垢な表情を形作っている。

 白い身体から落ちた水がナイジェルの足元で鮮烈な血色の水たまりを作っていた。その奇妙な色の対比が酷く淫靡な光景を生み出していた。

 ギャント公爵は無意識にごくりと唾を呑み込む。怒りに歪んでいた顔に賛美と好色の色が浮かぶ。

 その表情の意味を正確に読み取ったのはカールーンとナイジェルの着換えを持ってきたスライだった。


「このような格好で失礼しました」

 ナイジェルはギャント公爵の表情を別の意味にとったようで、苦笑を浮かべるとスライから着替えを受け取り素早く服を身に着け始めた。

 残念そうな溜息を漏らすとギャント公爵はナイジェルの全身を舐めまわすような視線を送る。

「ナ、ナイジェル大隊長、貴様に話がある。すぐに儂の私室に来るように!」

「……承知しました」

 立ち去っていくギャント公爵の後姿にやれやれと溜息を吐くと部下たちの方に向き直る。

 途端にナイジェルは驚きに目を丸くさせた。

「カールーン、スライ、何かあったのか?」

 普段はほとんど表情を変えない副官と温厚で知られている中隊長が神話にでてくる魔神イフリートも斯くやという形相で立っていたからだ。

「いえ」

「……大したことではありません」

 ナイジェルは二人の返答に首を捻りながらも、ギャント公爵の傲慢な態度が気に入らなかったのだろうと一人納得していた。




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