第4話 盗賊・砂の狼

 日干し煉瓦を積み上げた建物は人が住まなくなってだいぶ経つのだろう半ば崩れ落ちているものが多かったが、その中のいくつかに誰かが手を入れて住んでいる様子があった。

 屋根には継ぎ接ぎだが板が張られていて、井戸の釣瓶には真新しい桶がつけられている。


 その様子を少し離れた小高い丘の上から望んでいるのは、ナイジェルとスライ、案内役のカリーム、それになぜかユタがついて来ていた。

 十人ほどの護衛隊は丘の反対側の岩場に潜んでいる。

 ユタはそれら様子を四カブタ(約32㎝)ほどの長さの物を取り出して覗き込んで、ナイジェルたちに説明していた。

「旦那、そいつはなんですかい」

 カリームは物珍しそうにユタが手にしている物を見詰めている。

「ああ、遠眼鏡だよ。王立学問院の専属の工房に何年か前から東方から来たお客人がいるのだが、その人がとても器用でね。持ち歩ける大きさに作っていたのをちょっと借りてきた。時間がなかったから、断れなかったけど」

「ユタよ、それは盗んできたと言うのだ」

 呆れたようにユタを見るナイジェルに悪びれることなく言い退ける。

「一応、代金は養父ちちに請求して下さいって書き置きをして来ましたよ」

「マーティアス小父さんも気の毒にな」

 ナイジェルは大分変わり者だが人の良いユタの養父を思い浮かべて、溜息をついた。



 ナイジェルもユタも両親がいない。

 ナイジェルの母親はバスター・ガーランドの妹のセリーナで未婚のままナイジェルを身籠り、父親の名前を言わないままナイジェルを生んだ時の産褥熱で呆気なく亡くなった。

 バスターもセリーナが亡くなる前もその後もかなり念入りに調べたのだが、結局ナイジェルの父親が誰なのかは判らなかった。


 その後は、暫くはバスターの妻のアイーシャに育てられたが、子供のいなかったセリーナの妹のマリアがたってと願って妹夫婦の養子となったのだった。

 バスターにも子供がいなかったのだが、その時は歳の離れた末弟のニールが存命で彼を跡継ぎにと考えていたので、バスターもナイジェルを妹の養子にすることに承諾したのだった。

 その後、マリアは思いがけず男の子を出産したのだが、それでもマリアも夫のハイル・イスハークも実子と同様にナイジェルを可愛がり育ててくれた。


 ユタは、バスターがフェルガナ帝国に使節として派遣された時に立ち寄った村で、殺されかけているところをバスターによって救われた。

 ユタの親は旅商人でこの村で行き倒れてしまい、ユタは村人によって育てられていたのだが、成長するにしたがって奇怪な言動が増えていった。

 動物と喋っているところを目撃されたり、天候を言い当てたりと最初は多少不気味に思っても子供のことだからとさほど相手にされなかったのだが、村の有力者の子供で評判の乱暴者に石で殴られた時にユタを庇うように犬や鳥たちが一斉に襲い掛かると言う事件が起きた。

 その子供の傷は大したことがなかったが、この事で村からユタは爪弾きにされ、酷い苛めが始まった。

 最初は小突き回す程度の暴力だったが、小さな村の中でユタを庇うものがいない状態では段々それは酷さを増し、遂には面白半分に村の塵を捨てていた穴に生き埋めにされてしまった。

 頭だけを出して埋められ、虫の息の状態の所をバスターが村人を説得して助け出したのだ。

 バスターがこれまでの養育費としてかなりの金を渡したので、ユタが村を出ていくのを村人たちはすんなりと認めた。

 バスターに連れてこられてガーランド家で養育されていたのだが、なぜかナイジェルにユタはひどく懐いて離れようとしなかった。

 昔からバスターとは親交があり、王立天文台の所長をしていたマーティアス・ツツェロが、ユタを気に入り養子に行くまで、結局マリアがナイジェルと同様にユタの面倒を見て二人は兄弟のように育てられた。



「ユタ、それを寄越せ」

「ひどいな、取り上げる気ですか?」

「お前じゃあるまいし」

 ユタの手渡してきた遠眼鏡を覗き込んで、人影が動くのを確認した。

「さて、あいつらが本当に盗賊かどうかだが」

「彼らに聞いてみたらどうですか?」

「……お前の頭の螺子が弛み切っているのは解っていたが、想像以上だな」

 ナイジェルの言葉にさすがに抗議の声を上げようとしたユタをナイジェルが手を上げて黙らせる。


 北の方角に砂煙が上がっているのが見えた。遠眼鏡で覗き込んでみると二十人ほどの馬に乗った集団だった。荷物を積んだラクダを数頭引いている。

 その一頭には人が二人乗っていた。姿が確認できるほどに近づくと二人とも女性でおそらく母娘なのだろう。蒼褪め震えて抵抗する気力もないようだった。

「金さえ払えば、何もしないのではなかったのか?」

「わっしが話を聞いたのは素直に金を払った連中で、払ってねえ連中から話は聞いてないんでね」

 眉を顰めて問い詰めるナイジェルにカリームは半笑いを浮かべてわざとらしい仕草で肩を竦める。

 カリームの話からも金を払わなかった者がどういう運命を辿るのかは明白だった。

 ナイジェルは外套を脱ぐとスライに手渡し、腰に差した剣の収まり具合を確認した。ナイジェルの剣は他の兵士が差している物とは形状が異なり、緩く反った細身の片刃でそれを二本差していた。

「スライ、後は頼んだぞ」

「はい」

「ナイジェルの旦那、旦那がどれほど強いか知りませんが、四十人を一人で相手にするのは死にに行くようなもんですぜ。あの母娘は気の毒ですが、ここは見逃したほうがいいじゃねえですかい。正義感が強いのも善し悪しってもんだ」

「正義感?」

 不思議なものを聞いたというようにナイジェルは目を見開くと微笑を浮かべた。

「俺は単に目の前にいる邪魔な者を排除しようとしているに過ぎない。そういう風に見えるのなら、カリームお前は悪人面の割に存外人が良いな」

「な、なんですと?」

 カリームの皮肉っぽく歪めた顔が瞬時に凍り付く。

 表面だけ見れば、波紋ひとつ立たない穏やかな湖面のような静かな微笑がナイジェルの白い端正な顔に浮かんでいるだけだ。

 それなのにカリームは体の底から湧き上がる恐怖を覚えた。どっと滝のような汗が流れ、陽に焼けた顔を濡らす。

 ナイジェルは冷や汗を流し続けるカリームのことはもうすでに眼中にないのか踵を返して、丘を降りて行った。

 その後ろ姿には何の気負いも感じられなかった。

「なんなのでしょうかね、あの人は」

「……告罪天使という異名はあの人を良く表しているな。天使の名は優しげに聞えるが、その本質は気高く残酷だ。ユタ殿、カリーム、貴方がたはここにいて下さい」

 スライはぼそりと独り言のように呟くと二人に忠告した後、部下を引き連れて丘を回り込んでいった。

「言われずとも付いて行きませんよ」

「わっしは出来れば、逃げたいんですがねえ」

 カリームが不本意そうにぼやいた。



 ゆったりとした歩調で丘から降りてくるナイジェルに盗賊たちは気づいていたが、あまりにも悠然とした仕草だったのでオアシスと間違って迷い込んだ旅人だと思い込んでいた。

 ナイジェルがただ一人だと分かるとなおさら警戒心を解いた。

「よお兄さん、こんな砂漠の真ん中で迷子かい?」

 髭面の大男が馬鹿にしたような口調でナイジェルに話しかけた。

 小狡そうな瞳でナイジェルの全身をジロジロと眺めている。

 ナイジェルの腰の剣を多少警戒しているようだが、一人では大したことは出来ないと高をくくっているのだろう。

 ナイジェルは薄く笑うと盗賊たちを問い質した。

「まあな。それよりお前たちは“砂の狼”という盗賊だな?」

 ユタをあげつらった割に自分も似たようなことをしているなとナイジェルは心の中で苦笑する。

 その言葉にナイジェルを頭が可笑しい奴だと思ったのか、盗賊たちは黄ばんだ歯を剥き出しにして下卑た笑い声を上げた。

 囚われていた母娘は一瞬助けが来たのかと顔を輝かせたが、ナイジェルが一人だと分かるとすぐにその顔には絶望の色に染まる。

「隠してもしょうがねえな、まあそういうことなんでな兄さん。金を払えば、命だけは」

 助けてやると続けようとした盗賊がナイジェルの肩に手を伸ばした体勢のまま崩れ落ちていった。

 抜く手も見せずにナイジェルの剣が正確に耳下の動脈を切り裂いていったのだ。

 噴き出してくる血飛沫を避けると逆手でもう一つの剣を引き抜き、反転しながら母娘を拘束している綱を持っていた盗賊の脇腹を切り裂いた。

 仲間を呼ぼうと声を上げかけた男は口と心臓を同時に刺し貫かれた。


 瞬きをする間に三人が絶命した。


 余りにも鮮やかな手練に茫然としていた盗賊たちは三人が地に崩れ落ちるのを見て、漸く我に返ると次々と武器を手にナイジェルに襲い掛かろうとしたが、ナイジェルの方が早かった。

 目の前にいた盗賊の首と武器を持った右手を両断すると盗賊たちに向かってその体を蹴り飛ばした。飛んできた死体に盗賊たちが一瞬怯んだ隙に母娘を縛っていた縄を切ると耳元で何かを囁いた。

 呆然とナイジェルを見上げていた母娘が頷く前に身を翻すと、かつて石の道が機能していた時は大きな隊商宿だったと思われる建物の前にいた二人の盗賊を切り捨て扉を蹴破って、建物の内部に走りこんだ。

 内部はここが住処になっていたのだろう何人もの盗賊が居て驚きながらも、武器を構えて襲い掛かってきたが、ナイジェルの敵ではなかった。


「お前たちの頭はどこにいる?」

 一滴の返り血を浴びることも無くこの場にいた盗賊をすべて薙ぎ払い、微笑む男にまだ若い盗賊は心底震え上がった。

 声も出せずに震える手で上の階を指差した。

「そうか」

 穏やかな笑みを浮かべる男の砂色の瞳が翡翠色に煌めくのを見えた。

 それが若い盗賊がこの世で見た最後の光景だった。


 二階で盗ってきた金を数えていた頭と数人の盗賊は扉を蹴破って入ってきたナイジェルに盗賊たちは暫く呆気にとられて反応できずにいた。

「何もんだテメエは?」

 割れ鐘のような凄みの利いた声で聞いてきた禿頭の男が頭なのだろう、四十人もの盗賊たちを束ねるだけあって中々の貫録だ。

 それに対してナイジェルは涼しい顔で笑って見せた。

「もうすぐ死ぬ人間に教えても意味はないだろう」

「なんだと? カシム達の姿が見えねえと思ったがテメエが何かしたのか」

 ナイジェルは首を傾げた。

 どうも階下にいた盗賊たちのことではないようだ。

 ナイジェルの態度に頭に血を登らせた頭は盗賊たちを怒鳴りつける。

「おい、何突っ立ってやがる! このイカレ野郎をさっさと始末しやがれ」

 頭の言葉に盗賊たちは慌てて武器を抜こうとするが、その時には盗賊の頭の首はナイジェルによって斬り飛ばされ、血をまき散らしながら絨毯の上にごとりと転がっていた。


 ナイジェルの白刃から辛くも逃れて外に出てきた盗賊はスライの指揮する護衛隊のアクゥアルで次々と射斃されて行った。

 盗賊に囚われていた母娘はその場にいた盗賊たちがナイジェルを追っていくと丘に向かって逃げ出していた。

 ナイジェルが丘に向かって逃げろと囁かれていたからだ。

 母娘は半信半疑ながら、丘を目指して走っていくと目の前に武装した兵士が現れて、ぎくりと硬直した。

 その兵士たちを指揮していたスライに丘の上を指差され、頷くと急いで丘を駆け上がって行った。娘の方はナイジェルが心配なのか、時々振り返っていた。

 建物の中からナイジェルが剣に付いた血を払いながら出てきた。

「スライ、何人斃した?」

「十人ほどですが」

「……可笑しいな」

 倒れている盗賊たちを見廻し、腕を組んで考え込んだナイジェルをスライは不審そうに見詰めた。

「カリームは四十人ぐらいの集団だと言っていたが、それにしては少ない」

 ナイジェルは頭も含めて十四人を切って捨てた。スライたちが斃したのは十人だとすると半分ほどしか倒していない。

「どこかに潜んでいるのでしょうか?」

「いや、上に上がって見渡してみたがあの建物以外ほとんど天井が抜けて壁も崩れて廃墟だった。隠れる場所があるとも思えないのだが」

「とりあえず、すべての建物を調べてみましょう。可能性がなくはありませんので」

「そうだな、頼む」

 ナイジェルが頷くとスライたちは探索するために散って行った。


 その様子を遠目に見ていて大丈夫だと思ったのだろう、丘の頂に隠れていたユタ達が下りてきた。

「ナイジェル、盗賊たちはどうなりました」

「ほとんど倒したと思うのだが、カリームが言っていたほど人数がいないな」

「そうなんですか? どっか行っちまったんですかねえ」

「……あの」

 ユタ達の後ろに隠れていた母娘がおずおずとナイジェルの前に出てきて助けてもらった礼を言った。

 母親の方はアミナ、娘の方はドニアザードと名乗った。母親も美しい女だが、娘の方は特に美しかった。

 艶のある黒髪と大きな瞳は浅黒い端正な顔の中で黒曜石のように輝いていて、小さな口元はアネモネの花びらのように可憐だった。

 娘の方は被衣クルテの陰からナイジェルを熱心に見ている。

 そこはかとない品のある母娘で着ている服も高価なものだった。


 身代金が払えないようには見えなかったので不思議に思っていると、どうやら何人かの商人が集まったかなり大きな隊商に入れてもらって旅をしていたとのことだ。

 隊商たちも護衛を雇っていた上、血気盛んな者も多かったのでこの程度の数の盗賊なら蹴散らせると思い、支払いに応じなかったらしい。

 奮戦したのだが、盗賊には敵わず護衛達は皆殺され、多くの者が逃げ散ってしまった。

 その際に盗賊も何人か殺されたようだ。

「随分と無茶をしたものだ」

 盗賊が少なかった理由はわかったが、ナイジェルは隊商たちの無謀さに苦笑を漏らす。

「さて、どうしたものかな」

 母娘をこの先どうするか、ナイジェルは考え込んだ。

 まだ遺跡にも到着していない状況なので、安全な場所まで送っていくこともできない。

「あの出来れば、ご一緒させていただけないでしょうか。私たちはアジメールの王都の親戚を頼って参る途中でしたので」

 控えめに母親の方がそう願った。

 交易商人であった夫を亡くして親族を頼っての旅だったが、隊商が四散したので二人だけで旅をするのは心許ないのだろう。

「仕方がないでしょう、ナイジェル。ここから二人だけで旅をさせるのもかわいそうですし、助けたのなら最後まで面倒を見ないとね」

「そうだな。ただ、ほとんど男ばかりだからその点は我慢して欲しい」

「はい、お世話になります」

 母娘は深々と頭を下げた。ドニアザードはナイジェルを見ながら嬉しそうに頬を染めた。



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