第2話 遺跡調査団

「ユタ、汚れる」

 ナイジェルの肩に寄りかかってきた男に顰めつらしい顔を向けて言う。

「誰の所為でこうなったと思っているのですか?」

「お前は笑いのつぼに嵌まると長いからな、邪魔にならないように脇に転がしただけだ」

「……それが幼馴染に対する態度ですか」

「お前の方こそ、相変わらず性格が悪い。人の失態がそんなに面白いか?」

「いえ、さほど面白くはなかったのですが、滅多にないジェイン殿の失態なので取り敢えず笑っておこうかと思っただけです」

 悪びれる風も無く言い切った男に呆れたような眼差しを向ける。

「ジェインとは仲が悪かったのか?」

「いいえ? 大して話したことも無かったですね。まあ嫉まれていたかもしれませんが、才のある者はそういう運命にありますから」

「……王立学問院の連中の気持ちが少し分かるな」

溜息をつくと部下たちの方を振り返った。


「マレンデス団長はどこにいる」

 調査団の団長の名前を言う。

 調査団団長のミゲル・マレンデスは、人の良い初老の男でそこそこの才能とそこそこの世渡りの良さで公証人ムフティーの地位にありそれなりの人生を送っていたのだが、数年前書記カーティブを飛び越して、導師イマームに抜擢された。


 その幸運をもたらしたのは娘だった。


 王立学問院の導師長の息子に見初められ、身分違いだったが結婚した。

 息子の舅となる者が地位が低くては困るという導師長の意向で導師に推薦されたのだった。

 望外の幸運にマレンデスは有頂天なったが、その幸運も娘の死とともにマレンデスの手のひらから零れ落ちていった。


 娘は初めての身籠った子供と一緒に亡くなってしまったのだった。

 その息子は暫くは嘆き悲しんでいたが、父親の娶せた遠戚に当たる美女と見合いをするとその美女をあっさりと後添えに貰った。


 そうなるとマレンデスの立場は微妙なものになった。

 導師の地位を奪われることはなかったが、閉職に追い込まれた挙句この調査団の長にされた。

 無事に帰還したとて、今回の調査の落ち度を理由に処分されることは明白だった。


 溺愛していた娘の死と地位を追われたことによる無力感でマレンデスは抜け殻のようになった。

 今回の調査の事前準備でも元から実務能力は優れていた人物だったのだが、指導力を発揮することなく、ユタの提案にただ頷くだけの状態だった。


「あちらの岩陰に座り込んでます」

 若い方の部下ファルハードが少し離れた岩場を指さす。

「そうか」

 そう言うと部下が指差したほうに向かう。

「マレンデス団長」

「……なんでしょうかな、ナイジェル隊長」

 生気のない表情で見上げてくる男に苦笑する。長い顎鬚にも砂がついて呆然とした様子は群れに置き去りにされた山羊やぎのようだ。


 マレンデスの顔を見て吹き出しかけるユタをナイジェルは視線で黙らせた。

 本人もさすがに悪いことだと思ったのか咳払いで誤魔化していた。ユタは無理に咳払いした所為か気管に砂でも入ったようで、咳が止まらなくなってしまっている。


 身体を折って咳き込む男にナイジェルはどちらにしろ煩い男だと思いながら、マレンデスに向き直る。

「負傷者が三人ほど出ていますので、一度ツグルトに戻るべきかと思うのですが、マレンデス団長の意見をお聞かせ願いたい」

「私の意見ですか?」

 マレンデスはどこか自虐的に笑う。

「ナイジェル隊長がそうおっしゃるならそれでよろしいですよ。意見なぞ有りません」

「ちょっと待ってください」

 漸く咳込みから解放されたのか、蹲っていたユタが突然起き上がると口を挟んだ。

「この近くにかつての宿場町だったところがあるのです。井戸も枯れてはいないそうです。建物も多少は崩れているとのことですが、風除けにはなるでしょう。引き返せば、それだけ時間を取られますし、あの砂嵐のことを考えると早く調査を終えたほうが賢明かと。引き返すのはあまり得策ではないと考えます」


 ユタの意見にナイジェルは考え込む。

 元から、成果など期待されているか疑わしい調査だ。とはいえ、名目上はアジメール王国の始祖に係わる遺跡の調査だ。あまりいい加減に終わらせるわけにもいかない。

 小さな町ほどの規模の遺跡だというから、大まかに調査するだけでも数日はかかるだろうと見込まれている。


 それなりの資金は持たされているが、潤沢というわけではない。

 その上、ツグルトの隊商宿で王都から来た調査団だと分かると踏んだくれると思われたのか通常の宿賃の数倍の値段を吹っかけられそうになった。

「ここは王都と違って、水も貴重だし、物資もそうそう安い値段で手に入りませんでねえ」

 にんまりと愛想の良い笑顔で上目づかいにそうのたまったのは、隊商宿の物資不足の割に矢鱈と割腹いい親父だった。


 だが、護衛隊の隊長が「告罪天使」ナイジェルだと知れると厚顔な宿の親父もさすがに慌てた。

「貴方の武名がこんなところで役に立つとはねえ。ナイジェル様々です」

 面白そうに笑うユタをむっつりと不機嫌そうに睨んだ。

 ナイジェル本人に会った隊商宿の親父はやや疑わしそうにこんな若造が?という不躾な視線を寄越してきたが……。


「親父さん、明日も明後日もその首が繋がっていたいと思いませんか?」

 という脅迫以外の何物でもない言葉をにこにこと笑いながら言うユタとナイジェルに対して不躾な視線を向ける隊商宿の親父にナイジェルの後ろから無表情に腰の剣に手を掛け見据えるスライに怯えて、渋々正規の料金に戻したのだった。


 庶民を脅して金を毟り取る地廻りにでもされたようで不本意だったが、自分の武名が役に立つというなら良しとするしかない。

 これほどの砂嵐は想定外で、ここで足止めされては資金が尽きてしまい、調査ができないうちに王都に引き返すことになるだろう。

 そうなれば、団長であるマレンデスはもちろん、護衛隊長であるナイジェルも何らかの処罰を受けるだろう。


 ナイジェルの脳裏に王太子であるロークの顔が浮かんだ。

 ローク・エドベルト・アジメール。

 アジメール王国第一王子で第一位王位継承者でもある。やまいの床にある現国王エドボルト三世に代り、摂政サドラザムとして政務を行っている。

 王太子として過不足のない政治手腕を発揮しているが、いささか猜疑心の強い男だ。


 ナイジェルは、エルギン辺境伯配下の十人しかいない大隊長の一人で最も年若い。

 辺境伯配下の騎兵は五千人で一人の大隊長が五百人の騎兵を統率する。

 王都にいて政務を行う王太子と最前線の国境で任務に就くナイジェルの接点など、普通なら無いに等しいのだが報告などで王都を訪れると必ずと言っていいほど呼び出しを受ける。


 最初はエルギン辺境伯であるナイジェルの伯父に係わることなのかと思っていたが、どうもナイジェル本人に興味があるらしい。

 同僚たちには羨望の眼差しで見られるが、ナイジェルにとっては王太子との面会はひどく気を使う。

 一言一言に忠誠心を試されているようで気疲れするのだ。


「ナイジェル、どうかしましたか?」

 黙り込んだナイジェルに不審そうにユタが声をかける。

「いや、何でもない。確かにさっきのような砂嵐に遭遇したくはないな。早く調査を終えることが出来るのならそれに越したことはない」

「そうですな。ユタ殿、場所の正確な位置はわかるのですかな」

 マレンデスも納得したように頷き、元の宿場町の場所を聞いてくる。

 その対応は先ほどとは違い、冷静だった。元から公証人として実務には長けた人物だ。


「カリーム!」

 ユタは直接マレンデスの質問に答えずにこの調査のために雇った現地人の案内役を呼ぶ。

 カリームと呼ばれた男は日に焼けた顔には深いしわが刻まれていて、顔半分を強い髭で覆われている。太い眉毛の下から除く瞳はどこか油断ならない光を浮かべている。

「何かご用でしょうか、旦那方」

「カリーム、君が話していた宿場町の場所をマレンデス団長に説明してくれないか?」

「はあ……本当に行くんですかい?」

「何か問題があるのかね。それにしても事前の打ち合わせではそんな宿場町の存在を言っていなかったように記憶しているがね」

 木で鼻を括ったようなカリームの態度にムッとしたような表情になったマレンデスだったが、事前の打ち合わせでは放心したようにただ頷いていただけのマレンデスがちゃんと聞いていたか疑わしかった。

 マレンデスの気の毒な事情も聞き知っているだけにカリームは嘲りと憐みの混じった笑顔になったが、一応は雇い主なので丁寧に説明し始めた。


「聞かれませんでしたからね。……ここからだと二ファルサフ(約12㎞)ほどでしょうな。旧道に沿って東に向かうんで、まあ迷うことはないはずなんですがね」

 どこか奥歯に物の挟まったような言い方だ。

「その宿場町に何か問題でもあるのか」

 今まで黙って聞いていたナイジェルが口を挟む。カリームは首を竦めるとナイジェルを値踏みするような眼で見る。

 ナイジェルに初めて会った時も似たような眼で頭からつま先までジロジロと不躾なくらい見ていた。

「ここらでも有名な〝砂の狼〟っていう盗賊団の根城だってゆう噂なんでさあ。そんな噂のある場所に武器も持ったこともねえお偉い学者様たちを連れていくわけにもいかねえんで、黙っていたんですよ。まあ、あの告罪天使がついているんなら大丈夫かもしれませんがねえ」

 髭に隠れた唇を歪めて笑う。どこか馬鹿にしたような笑い方だ。


 ナイジェルの武名を知りナイジェル本人に会った者は大概似たような反応をする。

 大陸中に響き渡っている武名とは裏腹にナイジェルの容姿はその武名を想像できないものだった。

 あまり陽に焼けない体質なのか色が白く、なかなか整った顔立ちで、長身だが他の護衛隊の男たちと比べると細く頼りない印象だった。他者を威圧したり、声を荒げることなどほとんどなく、部下に対しても穏やかな物言いを常にする。


 それ故にナイジェルの武名を疑いの眼差しで見るのは良い方で、大抵馬鹿にしたような見下したような笑いを浮かべるか、あからさまにがっかりしたような顔をする者が多い。

 ナイジェルも慣れているので、特に表情を変えない。

 ナイジェルの部下たちも時折カリームと似たような表情をしている。

 護衛隊は二十人ほどだが、大隊長をしていた時の部下はスライただ一人であとは報酬を約束されて集められた者たちだった。

「その盗賊たちはどれくらいの規模の集団か知っているか?」

「四十人くらいの集団だと言う話ですなあ。脅されますが、素直に金を出せば殺しはしないそうです。狙われるのが、隊商や旅人なんで奴らまとまった金を持ってる上、土地の人間じゃねえから役人連中も真剣に追わねえの分かってるんでさあ」

「隊商たちも護衛を雇っているでしょう。それでもお金を渡すものでしょうか?」

 ユタは首を捻りながら聞く。

「四十人もの集団ですぜ。腕っぷしも相当強い奴らばかりだそうで、護衛だって人間でさあ、金で済むなら渡したほうがましでしょう。それに身包み剥ぐほど持ってかねえんで、皆払うんですよ」

「なるほどな、賢い連中だ」

 ナイジェルは微かに笑みを浮かべた。

「本当に行くんですかい」

「別にお前に付いて来いとは言っていない。場所を教えてくれればいい」

「こちらの護衛隊の倍はいるんですぜ」

「ナイジェル隊長、調査団を危険に晒すような事は止めて頂きたいのだが」

 厄介ごとに巻き込まれるのは御免だと言わんばかりに渋るカリームにマレンデスも盗賊の人数に不安なのかナイジェルを非難する。


「カリーム。その連中は旧道を拠点に盗賊行為をしているんだろう?」

 ナイジェルは笑みを浮かべたままカリームを見据える。

 ユタとスライが同時に首を竦めた。ナイジェルの砂色の瞳が翡翠色に煌めいたのが見えた。

 彼は感情が昂ぶった時に瞳の色が変わるからだ。

「へえ……まあ、そうですが」

 カリームも突然雰囲気の変わったナイジェルにびくりと体を震わせる。

「こちらも遺跡に行くまでに旧道を通らねばならん。油断しているところを来られてはそちらのほうが調査団に被害が出る」

「しかし、金を渡せば――」

「そして、ロクな調査もせずに帰ることになり、処分される口実を与えることになるだろうな」


 ナイジェルの言葉にシンと静まり返った。

「単なる自然災害で、撤退するならばまだ言い訳もたつが、盗賊に襲われて調査ができませんでしたでは、護衛隊の面目が立たない」

「ですが、ナイジェル隊長」

 不満そうに声を上げたのは、スライと共に報告に来たファルハードだった。

 まだ十代なのだろう浅黒い顔は幼さの残った顔立ちで納得いかないといった表情を浮かべている。

「安心しろ。盗賊たちを相手にするのは俺一人だ。護衛隊の半分は調査団に残すから、離れた場所に隠れていろ。半分はスライお前が指揮して弓で俺が取りこぼした連中を始末しろ」

「はっ」

「伊達に高い報酬をもらってるわけじゃないんだ、その分は働いてもらう。それに……」

 不満そうな護衛隊の兵士たちをゆっくりと冷ややかに見渡した。

「見たいのではないのか? 大陸全土に響き渡る告罪天使の剣技をな」

 ナイジェルの視線に当てられた護衛隊の兵士たちは首筋を抜身の剣が撫でて言った感覚に襲われた。

 硬直する兵士たちを前にナイジェルは穏やかな笑みを浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る