竜騎士の末裔
ぽてち
第一章
第1話 告罪天使ナイジェル
ナイジェル・イスハークは避難していた岩山の窪みから抜け出すと腕の力だけでその長身を岩山の頂上に引き上げた。
フード付きの外套が風に
フードの下の頭には白地に大隊長の地位を示す三本線の刺繍がされた布を巻いて飾り紐で押さえている。
白い詰襟のシャツに青地に袖に縁取りのある長衣を纏い、腰には白のサッシュと細めの二本の革ベルト、白いズボンに足元は革の長靴というアジメール王国の兵士の軍装で、胸元の所属を示す紋章は飛翔する竜に交差する二本の剣。
エルギン辺境防備隊のものだ。
フードを下ろすと乾いた砂色の瞳を細める。
陽に焼けにくい体質なのか兵士でありながら、肌は驚くほど白い。細めた目は切れ長で細い鼻梁と薄い唇は整ってはいるが、やや冷たい印象を与える。
瞳と同色の前髪を風が弄っていく。
砂嵐は去ったが、まだかなり強い風が吹いている。
上空は目の覚めるような青空になっていた。
さっきまで、太陽は中天を指しているのにもかかわらず真夜中のような暗さだったのだが。
足元にはこぶし大の石が無数に落ちている。この地を吹き荒れていた砂嵐が運んできたものだ。その一つを手に取り、眉を#顰__しか__#めた。こんな重い石を運んでくるほどの砂嵐など尋常ではない。
「ナイジェル、無事でしたか」
ナイジェルと同じ年くらいの男が必死に岩山をよじ登って来て、にこやかに話しかけてくる。
肩までの長さの銀色の髪が風に揺れ、白い端正な顔を彩っている。
灰青色の瞳は底知れぬ知性を感じさせ、対峙する者を落ち着かなくさせる不思議な力があった。
「まあな、それより他の者は大丈夫なのか?」
「今、貴方の部下が確認に回っていますよ。大丈夫だと思いますが」
そう言って秀麗な眉を顰める。
岩場の上にも乾いてひび割れた大地にもナイジェルが持っているような石が無数に散らばっている。
遥か南西の空を見ると、遠く蠢く砂の雲が生き物のように地表を嘗めていくのが分かる。
「ユタ、これはお前の予測の範囲内か?」
「……いいえ、予想以上ですね」
ユタと呼ばれた男は形の良い指を顎に当てて考え込む。
「〝虚無の砂漠〟北辺の都市で起こる砂嵐は春先にアジメールの王都を襲うものとそう大差ありませんよ。数日に渡って砂が舞うくらいで、農作物の被害はかなりのモノですが、人的被害は目やのどが痛くなる程度。負傷するほどの石が飛んでくる砂嵐など聞いたことがありません」
「厄介だな。こんなものが度々起これば、人死にも出る」
腰に結わえた革製の水筒を外すと一口含んで吐き捨てる。
口の中にまで砂が入り込んでいて不快だった。
ユタにも水筒を渡す。ユタは短く礼を言うとナイジェルに倣い、口を漱いだ。
「ナイジェル隊長!」
岩場の下からナイジェルを呼ぶ声がする。
声のする方を見下ろして、確認するとナイジェルは軽く助走して四バー(8m)の高さある岩の上から身軽に飛び降りる。
普通の人間であれば、飛び降りる気すら起きない高さを何の迷いも無く宙に身を躍らせ、途中突き出た岩場を蹴り、地表に危なげなく着地する。
ナイジェルと同じ軍装に身を包んだ男が二人立っていたが、突然真上から飛び降りてきたナイジェルに年若い方の男は呆気にとられたように目を丸くした。
年輩の男は見慣れているのか、表情すら変えない。
「スライ、状況を」
「はい、護衛隊には負傷者はおりません。全員無事です」
ナイジェルに視線を向けられ、スライと呼ばれた年輩の男は淡々と報告する。
ナイジェルほどではないが長身でがっしりとした体格をしており、鉄灰色の髪のこめかみの部分だけ白くなっている。陽に長年晒された顔は如何にも歴戦の兵士といった風貌だ。
「ただ、調査団の学者が三人飛んできた石に当たって負傷したようです。骨は折れていないようですので、問題はないかと。今、医学の心得のある者に治療をさせています」
「そうか、ご苦労だったな。……ユタ、どうする一旦ツグルトまで戻るか?」
スライの報告に僅かに眉を顰めると半ばずり落ちるように岩場から降りてきたユタに水を向ける。
彼らは西の大国アジメール王国から来た調査団で、目的は大陸の南半分を占める“虚無の砂漠”で発見されたアジメール王家の始祖に関わる遺跡の調査だ。
大陸諸国には「石の道」と呼ばれる大陸各地を結ぶ整備された道が敷設されている。
現在ナイジェルたちがいる場所は数百年前の“大災害”以前に敷設され今は旧道と呼ばれているかつての「石の道」から少し南に入った岩山だ。
一応、街道の体はなしてはいるが、“大災害”によって虚無の砂漠が北進したことによって水源が干上がり、人が住むことが出来なくなった。
街道沿いに在った宿場町は廃墟と化し、途中水や食料の供給ができなくなった為旧道を使う者はほとんどいなくなった。
朝、発ってきたツグルトからはさほど離れてはいないが、砂嵐をやり過ごすために旧道からかなり南へ逸れた岩山に避難した上で、砂嵐が通過する間動けなかった為、だいぶ太陽は西へ傾いている。
ユタが口を開こうとした瞬間甲高い声に遮られる。
「ナイジェル隊長、これはどういうことだ!」
本人は威厳を込めて叱責したかったのだろうが、見事に声が裏返ってしまい周りから失笑が漏れる。
それでも、発言した相手に気兼ねしているのだろう声自体は小さなものだ。
横にいたユタはつぼにはまったのか、遠慮の欠片も無く盛大に吹き出し笑い転げている。
砂まみれになって汚れることも気にせず、ゲラゲラ笑い転げるユタを冷ややかな目で見降ろす。
そういえばこいつ笑いのつぼに嵌まると長かったな。
ナイジェルはそう思うと、足で砂の上を転がり廻るユタを邪魔にならない場所まで転がす。
転がす途中で少なくない数の石にユタは乗り上げたようでえ、ちょ、いた!痛いですよ!と騒いでいたが岩場にぶつかったあたりで静かになる。
やれやれと溜息をつくとジェインに向き合う。
「なんでしょうか? ジェイン・ミューザー殿」
怒りで赤くなった顔を屈辱で蒼くさせた男は自分の失敗を遠慮なく笑い、転げ廻るユタとそのユタを荷物のように足で転がして、表情すら変えないナイジェルに毒気を抜かれ、叱責の言葉がどこかに行ってしまったようで一瞬押し黙る。
口を半開きにして、いつまでも沈黙しているジェインにナイジェルは不審そうに首を傾げる。
その邪気のない仕草で現実に戻されたのか、ギッと睨み付けて激しく言い募る。
「な、なんでしょうかではない! こんなに負傷者を出すなど、護衛隊の怠慢だと思わないのか!」
ナイジェルは僅かに目を見開くとゆっくりと唇を笑みの形に変える。
西に陽が傾いたとはいえ、日差しはきつく汗ばむほどなのに、辺りの空気が凍り付き、気温が一気に下降したような錯覚を覚えた。
「……
ナイジェルが放つ凍るような殺気にその場にいた者は息を呑み、大陸諸国に知れ渡っているナイジェルの綽名を呟く者もいる。
当年二十五になるナイジェルの剣技を上回る者などアジメール王国にはいない。
十代から戦場を駆け巡って起てた武功は数えきれないほどだ。
それ故に嫉まれることは多々あった。
ナイジェルにとってこの遺跡調査の派遣は、懲罰的な意味合いがあるものだと思っている。
ナイジェルを護衛隊隊長に推薦したのはある王族だった。
その王族は、隣国フェルガナ帝国との国境に係わる紛争にナイジェルが派遣された時の総大将だったが、ナイジェルの進言を無視して軍を進めて罠にかかった挙句、危うく自軍を壊滅の憂き目に合わせにかけた。
ナイジェルがその場に急行して敵を押し返すことに成功したが、結局王族直属の私兵の半分は死亡、ナイジェルの部下たちにも少なくない犠牲が出た。
言い訳できないほどの敗戦の結果にあせったギャント公爵は敗走の失態を言いがかりのような理由でナイジェルに着せ、大隊長の地位剥奪をエルギン辺境伯に要求した。
ナイジェルは部下に絶大な信頼があり、ナイジェルよりは遥かに年上の同僚たちも畏敬の念で対している。
統率力に優れ、比肩する者のない剣技を持つナイジェルを処分すれば、強力な戦力を失うこととなる。
同輩たちにとってナイジェルを失うことは戦場において自分達の命がより危険に晒されるということだ。
エルギン辺境伯はこの理不尽な要求をきっぱりと跳ね返し、敗戦ではあるので何も処分を行わないとどこから不満が出るか分からないので軽い減俸処分に処した。
それすらも不服とし反対する者が多かった。
結局、その王族は無様な醜態をさらす結果となり、王族としての権威もそれなりに持っていた影響力も失墜した。
何重にもナイジェルに恥をかかされることになったと逆恨みをして取った行動が、遺跡調査の護衛隊隊長への推薦だ。
砂漠で死んでくれればと願ってのことだろう。
調査団の学者たちも似たような理由で選ばれた。
王立学問院では主流派ではない学者や上の者に嫉まれている者などがほとんどだ。
ユタも王立学問所創立以来の天才児と称されているのに派遣されたのはその歪んだ性格ゆえに他の導師たちから嫌われているからだろう。
ジェインは貴族の出だが、誰彼構わず議論を吹っかけて噛みつく為、王族に連なる導師に嫌われたからだという話だ。
そんな状況は分かっているだろうに失態でもないことでナイジェルを詰ってくるジェインが片腹痛かった。
「それは申し訳ありませんでした、ジェイン・ミューザー殿。しかし、護衛隊の任務は盗賊などから貴方がたを守る任務だと思っていました。天候に関しては貴方がたの管轄だと思っていたのですがね」
冷ややか口調で淡々とナイジェルに反論され、言葉を詰まらせる。
何とか言い返そうとするジェインの肩を叩いて止めた人物がいた。
先ほどまで、盛大に笑い転げていたユタだった。
砂の上を転がっていたので、外套にも髪にもジェインの肩においた手も砂まみれだった。
色々な意味で顔を顰めるジェインを気にせず、ナイジェルを宥める。
「まあまあナイジェル隊長。ジェイン殿も悪気はないのですよ。王立学問所の俊秀と言われたジェイン・ミューザー殿でも神ではありませんから天のことをすべて知ることは出来ません。ねえ、ジェイン殿」
にこりと笑いながら、ジェインを持ち上げるが、当の本人は不愉快そうだった。
「まあ、そうですね。失礼致しました」
ナイジェルはあっさりと引き、謝罪の言葉を口にした。
元から腹を立てていたわけではない。ただ、この手の人間は下手に出れば、際限なく増長するので、予め釘を刺しておいただけだった。
彼らの要求に際限なく応じていれば、任務に支障をきたす。
下手をすればナイジェル自身や部下たちにも危険が及ぶだろう。
「頼みましたよ、ナイジェル隊長」
些か捨て台詞めいた言葉を残して、ジェインが去っていく。
冷ややかな微笑を口元に張り付けたまま、ナイジェルは見送った。
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