第4章「機兵」

「機兵」1

第4章「機兵」


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 晨鏡しんきょう陽河ようがの二人が深泉郷しんせんごうに戻ったのは、二人が郷を発ってから5日目の夜だった。

 出迎えた南信なんしんは、深泉郷東南支城で別れたときと同じ、今にも泣きだしそうな表情をしていた。

 怪我をした左腕の具合を尋ねると、まだ痛みが残っているが、生活に支障はないとの答えが返ってきた。


 途中、三日目の夜を中央郷北西支城で過ごし、孔鶴こうかくと情報を交換してから、晨鏡と陽河は南東支城を経由して郷城に戻った。

 北西支城では上級官僚が行方不明のままだったが、半分が焼失した街を孔鶴はよくまとめていた。

 県城から守備隊を派遣するとの県伯の言葉を晨鏡が伝えると、孔鶴はありがたいようなありがたくないような、そんな顔をしていた。


 南東支城では郷城に報告に行った支城長の陸剛りくごうが戻ってきていた。

 市民にも多くの犠牲者が出た。その責任を負うものがいない支城と、いる支城と。

 辞任という選択をすることもできただろう。だが陸剛はその道を選ばなかった。


 陸剛は犠牲者を出した家の一軒一軒を回り、頭を下げて回った。

 補償を約束したかったが、できなかった。

 支城の予算は春先に決まっており、陸剛が自由に動かせる資金は少なかったからだ。


 郷に報告に行った際、陸剛は臨時の予算を願い出たが、郷の税務課は首を縦に振らなかった。

 支城での出来事は支城長の責任であって、郷の責任ではない。それが郷の結論だった。


 南東支城での死者は29名。仮に私財を投げ打ったとしても、満足な補償は不可能だった。

 陸剛は遺族に頭を下げ、謝罪し、街の再建に、生活の再建に力を尽くすと、それしか言えなかった。


 そうだ。金だ。


 晨鏡も思った。金で何もかも解決できるわけではないが、金がなければ何もできない。

 県伯からは徴税の権利を得たが、むやみやたらと行使できる代物ではない。


 深泉郷に戻った晨鏡と陽河の二人は東門付近の仮天幕に顔を出すと、早速会議の場でそのことを話題にした。

 既に陸剛から支城の様子を聞いていた高長こうちょうは、今にも倒れそうな白い顔をしている。


「そうか。全権は与えられなかったか」


 どこか安心した様子で高長が答える。

 何から手を付けて良いのか分からない。何をすれば良いのか分からない。だから、全権を与えられても困る。

 そんな様子にも受け取れた。


「突入見送りはやむを得ないとして、晨鏡様がおっしゃられるように資金繰りは問題になるでしょう。郷の予算は限られている。仮役場を作るにしても、1から揃えるとなるととても足りません」


 皆の意見を代表するかのように発言したのは財務課長の沓謙とうけんだった。


「土地は収用権を得たのだ。手ごろな建物ごと収用すればよかろう」


 土木課の伊魁いかいが発言する。伊魁は4日の間に城壁の頂点に届くやぐらを1台、突貫工事で完成させていた。車輪も付けてある移動式の攻城櫓に、晨鏡は伊魁を見直した。


 県伯の命令により今のところ無駄になったが、いずれ役立つことは間違いないだろう。

 かなりの手間になるが、支城まで運んで利用することもできなくはない。


「それはそうかもしれませんが、完全に無償、というわけにもいかないでしょう。どうでしょう。『郷債ごうさい』を発行するというのは」


 沓謙が提案する。


「郷債?借金をしろ、ということか?」


 伊魁が確認すると、沓謙が頷く。同じ課長職だが、沓謙のほうが7、8歳若く、陽河とあまり変わらない。


「ええ。県伯から徴税権を得たのですから、債務を発行することも可能でしょう。『取れる』のだから、『借りる』ことは当然できる、と」


 その発想を晨鏡は面白いと思った。郷債について県伯に確認したわけではなく、県伯から何か言われたわけでもない。だが、より強い権利を得ているのだから、それより弱い権利については確認するまでもないという考えは理解できる。


 しかし、郷主はどうかな。

 少しばかり意地の悪い視線で高長を見ると、案の定、郷主は目を白黒させていた。


「それは、しかし、名言されたわけではないのであれば…。そもそも、発行といっても、どのように…。前例が…」


 郷債と聞いてすぐにそれが借金と理解できるように、その言葉自体は珍しい言葉ではない。財政の安定しているこの国では滅多に発行されることはないが、複数年にわたるような公共事業を実施する際は、県の許可を得て債務を発行することがある。


「城外の機能は正常なのですから、郷債を刷ること自体は問題ないでしょう。偽造を防ぐ必要はありますが、さほど難題ではないかと」


 沓謙が説明するが、高長はそれでも首を縦に振らない。

 そこに南信が手を挙げた。


「あのう、よろしいでしょうか。郷に戻ってからずっと考えていたのですが…」


 会議は係長以上の役職者で構成されていたが、南信は事情を良く知る者として出席を許されていた。

 真っ先に反応したのは伊魁だった。


「またお前か。郷試上がりは引っ込んでいろ!」

 

 

 


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