「県伯」10
<10>
「お言葉ですが、閣下」
話を終わらせようとする
露骨に嫌そうな顔をする緑延に晨鏡が言った。
「郷の役割には限界がございます。郷は単独で、郷城や支城の開門を図ることが可能か否か。あるいは県の助力を得るべきか否か」
晨鏡の真剣な目は、緑延がこれまで見てきたどの官僚の目とも違うように見えた。
郷主付き相談役と言った。そのような役職は通常存在しない。体よく飛ばされたと容易に想像できる。しかし、目の前の男は、そのような男には見えない。
こんな男がなぜ辺境の郷にいるのか。
そう思いながら、隣に目をやる。
なんだ、こいつらは。
緑延は尋ねた。
「郷単独で、勝算はあるのか?」
晨鏡は即答した。
「支城ならば、あるいは」
そして続けた。
「ですが、多くの死者が出ましょう。死者を出してまで開城を図るや否や。城外にて城の機能を維持するなら、その手法は。その場所は。全権を頂けぬのであれば、ご指示を」
晨鏡の問いかけに緑延が小さく笑った。
「いいだろう。門が開くまでの間、郷に県の許可無く人と物を収用する権利を与えよう。死者が出るというのであれば、郷単独で開門を図ることは許さぬ。支城についても同じだ。県の指示を待て。他に欲しいものはあるか」
「徴税の権利を」
晨鏡がまたも即答した。
なるほど、人、物、金か。
緑延が答えた。
「いいだろう。好きにするがいい」
「ありがとうございます」
一呼吸あってから、晨鏡が言った。
「一つ、質問させていただいてよろしいでしょうか」
「許す」
「『退去命令』というのは、どこから出たのでしょうか。州侯でしょうか。それとも、王国宰相からでしょうか」
晨鏡の問いかけに、緑延が口の端を片側だけ上げて笑った。こいつは政治の状況を良く知っている。
「考え方は悪くないな。だが、そのどちらでもない。命令を出したのは『王』だ」
「王?なぜ『王命』と分かったのですか?」
「国王
王政が形式的なものとなって久しいとはいえ、先代の王まではそれでも「形式」は残っていた。法や規則、命令は王の名で出されていたし、儀式や祭典も王の主催で行われていた。
しかし、現在の王となってからは、法や規則は宰相の名で発布され、儀式や祭典も宰相の主催で行われている。
名ばかりですらない王。
その御璽があったという命令書。
押したのは王か、それとも宰相か。いずれにせよ、それが本物であるならば一県伯に逆らう選択肢はない。
「それで、城から出た、と」
「そうだ。『7月6日の午前0時に近衛部隊が城門の開閉試験を実施する。城内にいる者は、7月5日の午後8時までに全員退去せよ』。と、まあ、そんな内容だった」
「開閉試験…」
晨鏡が考え込んだ。軍隊という軍隊を持たない国だが、王都には他の城と同じく警察組織を兼ねた守備隊がある。王都守備隊はその数実に10万。そのうちの2千が王直属の近衛部隊だ。
といっても、近衛部隊もやはり形式的な部隊に過ぎず、彼らの役割は儀式や祭典での王族をはじめとする参列者の警備に限られている。
その部隊が、わざわざ辺境の地に出張ってきて、わざわざ城門の開閉試験をするという。
晨鏡はその姿を想像することができなかった。
「貴殿も承知と思うが、建国以来、門が閉じた、という話は聞いたことがない。だがしかし、門だ。門であれば、閉じていてもおかしくはあるまい。たまには動くかどうか、使えるのかどうかの試験をするのか、と。そう思った。だが、その後が妙だ」
「と、言いますと?」
晨鏡が尋ねると、緑延が一つ頷いてから続けた。
「真夜中になるが、興味があったので近くで見ていた。この広場だな。てっきり近衛部隊が中から閉じ、また開けて出てくるのかと思った。だが、県城に来た近衛部隊はわずかに10人。それも、外に待機したままだった。それなのに、門が勝手に閉まった。近衛部隊の連中は、それを見届けると王都へ帰っていった。その後は貴殿が見てきたとおりだ。何も起きていない。放置されたままだ」
たった10人。それだけの人数で、城が無人になったことを確認できたのだろうか。
そう尋ねると、緑延は首をすくめるだけだった。
「さあな。行方不明になった、という話も聞いていないし、言われた通り皆外に出たのだろうよ。今思えば人が良すぎたかもしれんがな。出張所には近衛の見張りすらいなかったのだからな」
緑延が続けた。
「まさかその後、3日も開かないとはな。どうしたものかと、先ほど州城に使者を出したところだ。それゆえこちらも詳細は掴んでいないわけだが、貴殿の言う『怪物』とやらは気になる。しかし、城に入らなければ攻撃してこないのであれば、入ろうとしない限り害はあるまい。城門付近を閉鎖し、治安の維持を図れ」
話はそれで終わった。
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