「県伯」9
<9>
「
郷からの使者は、南部郷、西部郷に続いて3つ目だった。緑延は最初の南部郷の報告こそ直接確認したが、西部郷の報告は側近に任せて自身では確認しなかった。
どうせ今回も同じだろう。
それが緑延の判断だったが、
「いえ、是非閣下ご自身で聞かれるべきかと」
珍しい物言いに緑延が驚く。
「どういうことだ?」
「又聞きよりも、直接聞かれたほうがよろしいかと」
生意気な言い様に緑延が即座に怒りを露にする。
「貴様、何様のつもりだ?この私に指図するとはどういう了見か」
しかし、楠祥は怯まない。
その目線に押され、緑延は言った。
「いいだろう。くだらぬ内容であれば、明日から貴様の居場所はここではないと思え」
通すがいい。
付け加えられたその言葉に楠祥が頷き、天幕の外に声をかける。
呼ばれて晨鏡と陽河の二人が姿を現した。そろって片膝をつき、頭を下げる。
緑延が先に口を開いた。
「北西県県伯、緑延だ。名乗れ」
晨鏡が応じる。
「深泉郷郷主、
「陽河と申します。見知りおきを」
二人の挨拶に緑延が頷く。
「いいか、最初に言っておく。私には時間がない。手短に話せ。ちなみに門が閉ざされている理由は知らぬ。理由が知りたいだけならさっさと帰れ」
晨鏡と陽河が顔を見合わせ、立ち上がる。
「では、単刀直入に申し上げます。我が郷城でも門が閉ざされておりますが、我が郷城では県城と異なり、『退去命令』が出ておりません。途中で立ち寄りました深泉郷南東支城、中央郷北西支城でも、いずれも『退去命令』は出ておりませんでした」
晨鏡の言葉に緑延が鼻を鳴らす。
「そんなことは言われるまでもなく知っている。南部郷から報告が入っている。他にもどこだったかな」
西部郷です、と楠祥が補足する。
「そう。西部郷だ。だから何だというのか」
緑延は苛立ちを隠そうとしない。
晨鏡は感情を押し殺した表情で続けた。
「『退去命令』なる言葉は、おそれながらこの県城に入って初めて知りました。ゆえに、二つの支城では多くの死者が出ました」
「何?」
「何が起きているのか分からない。ゆえに、調べようとした。それゆえ、多くの者が死にました」
晨鏡が真顔で言う。緑延はそれを制し、晨鏡に言った。
「待て。貴殿の言っている言葉の意味が分からぬ。貴殿は一体、何を言っている。死人が出た?一体、何の話だ?」
晨鏡は話した。郷城の扉が閉ざされたこと。郷城では誰も原因を知らなかったこと。守衛が眠らされていたこと。途中の支城も同じ状況だったこと。南東支城では中に入ろうとして多くの者が死んだこと。北西支城では街の半分が焼けたこと。そして、二つの支城で目撃された化け物のこと。
「鉄の怪物だと?俄かに信じられんな。何かそれを証明できるものはあるか?」
緑延の疑問はもっともだ、と晨鏡は思った。この目で見なければ、晨鏡自身もその話を信じなかっただろう。
「証明できるものはありません。この目で見た。それがすべてです」
緑延が肩をすくめた。
「それでは話にならん。だが、まあ、北西支城の惨状は捨て置けまい。守備隊を編成して派遣しよう。それで?貴殿らはその報告をしに来たわけではあるまい。用件は何だ」
「ご指示を、と。あるいは、郷主に全権を、と」
「全権だと?」
言い返して緑延は気が付いた。なるほど、郷主大権か、と。
「それほどの非常事態だと、貴殿はそう思うのか」
「はい。この二日間で見てきたものを思えば」
「ふむ…」
緑延は考えた。
「おいそれと全権はやれぬ。私は深泉郷の郷主の人となりを知らぬ。人となりを知らぬ人間に、強権を与えることはできぬ」
「ですが、郷では何も分からぬがゆえに、機能停止に陥っております」
「知らぬ。郷主に全権が与えられることと、郷の機能が停止していることは無関係であろう。郷にはどれだけの役人がいるのだ。機能停止しているのは、そ奴らが無能だからであろう」
晨鏡は言葉を失った。
「全権などなくともできることはあるはずだ。その頭はただの飾りか?」
言い方はともかく、言っていることは間違っていない、と晨鏡は思った。
自分は安易な道を選ぼうとしたのだろうか。それを叱責された気がした。
「他に用が無ければ下がれ。郷は、郷の役割を果たせ」
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