「県伯」8

<8>


「郷の…使者、ですか?」


 なぜ州試しゅうしを及第した人物が郷にいるのだろうか。

 星鉱せいこういぶかしげな視線に晨鏡しんきょうは自分自身を恥じ入る気持ちになった。


 しかし、郷の役人であることを恥じるということは、同じ郷の役人である陽河に申し訳ない。そう思い、晨鏡は臆せず答えた。


「半年前から深泉しんせん郷…北西郷への転勤を命じられておりまして、今は北西郷で郷主付き相談役を拝命しているのです」

「そうでしたか…」


 州試及第者が郷に出向になっているということは、ほぼ間違いなく出世街道から大きく外れたということ。星鉱はそのことを残念に思ったが、口に出しては言わなかった。


 代わりに言った。


郷城ごうじょうの様子はいかがですか?県伯閣下にはどのような」

「郷城は比較的落ち着いていますが、途中の支城しじょうは少し問題が生じておりまして」


 敢えて事態を過小に晨鏡が答える。


「ほう」

「それよりも、郷城では『退去命令』が出ていないのです。県城や出張所では、退去命令が出たと聞きました。そのことも県伯に問い合わせたく」


 焦点をずらすと、星鉱が応じた。


「『退去命令』が出ていない?ええと、門は閉じていない、ということですか?」

「いえ、閉じています。閉じているのですが、原因が分からないのです。ですので、対処法を県伯に問い合わせにきた、と、そういうわけです」


 星鉱が少しの間、顎に手をやり、じっと晨鏡を見つめた。

 言葉の意味を吟味されている。試されている。晨鏡はそう感じた。

 やがて星鉱が言った。


「分かりました。県伯閣下にお会いできるか分かりませんが、取り次いでみましょう。県伯閣下は事前に決めた人数としかお会いにならないのが通常でして。早急さっきゅうの用であっても、ねじ込むのに苦労すると言いますか」


 星鉱が苦笑する。


「ですが、側近に伝手つてがありますので、なんとか頼んでみましょう。県伯閣下の天幕はすぐそこですよ。ご案内いたします」

「ありがとうございます」


 晨鏡と陽河の二人は、星鉱に案内されて天幕を出た。

 向かった先で、県伯の側近という官僚を紹介される。名を楠祥なんしょうと言い、星鉱とは出身郷が同じらしい。


「深泉郷の使いだと?」


 楠祥なんしょうは走らせていた筆を止め、晨鏡を上目遣いに見る。


「はい。深泉郷郷主、高長こうちょうの使いで参りました。あいにく郷主印は城内にあるため、押印はありませんが、郷主直筆での書状を持参いたしました」

「そうか。城主印はここでもそうだからな。仕方あるまい。しかし、閣下はお忙しい。今日の面会は締め切られた。先ほどの2人で最後だ。もう誰も通すな、と言われている」


 肩をすくめて楠祥が言い、再び書類に筆を走らせる。


「そこをなんとかなりませんか。わざわざ深泉郷からおいでになったのです」

「星鉱の頼みなら聞いてやりたいが、何分気難しいお方なのでな。取り次いでおくから、明日また来てくれないか」


 既に視線も送らない。そのつれない返答に晨鏡が半歩踏み出す。


「明日では間に合いません。また、失われなくても良い命が失われるかもしれません」


 物騒な物言いに楠祥が再び筆を止め、晨鏡を見上げる。


「どういうことだ?」

「私たちは見ました。支城が炎上しているのを。支城で人が死んだのを」


 陽河が声を震わせる。

 星鉱と楠祥が顔を見合わせた。


「詳しく聞こうか」


 楠祥が筆を置き、はじめて晨鏡に正対した。

 

 

 

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