「県伯」7

<7>


 県城の正門前広場に着いた二人は、そこに広がる光景に目を丸くした。

 大小100近い天幕が、所狭しと張られている。

 仮の役所を広場に設けた、と出張所の守備隊員は言っていたが、その規模は二人の予想を大きく上回っていた。


「これでは…どこに誰がいるのか分かりませんね」


 陽河ようがが呆れた様子で口にする。

 県の役人は総勢3500人を数え、県城守備隊も3000を数える。


 城内には出張所もあり、外壁もあることから、守備隊員は各所に散っているとはいえ、それでも半数は県城に残っている。

 役人の数も郷に出向している人数を含むが、これまたやはり半数は県城に残っている。


 ゆえに、県城には常時3000を超す役人、守備隊員がいることになるが、どうやらその全てがこの正門前広場に陣取っているように見えた。


 県城の正門前広場は、そこに何もなければ5000人を収容できる広さを持つ。

 その広さを、天幕が埋め尽くしている。


 仮の役所というより、そこに役所が丸ごと引っ越してきたような、あるいは野営地が忽然と現れたような、そんな印象すら受ける。


「とりあえず、片っ端から聞いていくしかありませんね」


 苦笑交じりに晨鏡しんきょうが言い、手前の幕舎の布を跳ね上げる。

 中には30人ほどの役人が慌ただしく動いている。


「失礼。県伯にお目通り願いたいのだが、どちらに行けば良いだろうか」


 晨鏡の声掛けに、近くにいた若い役人が足を止める。


「県伯ですか?さあ…。ちょっと我々にも。何しろ今朝からこんなですから、何がどこにあるのか、何をどうしたら良いのか我々にもさっぱりで」


 正直に答える若者に陽河が尋ねる。


「今朝、ということは、昨日まではどうされていたのです?」

「昨日までは自宅待機を命じられていました。それが、今朝になって、仮の役場をここに作るから、と。そう言われても、一切合切は城の中ですから、とりあえず形だけでも整えよう、と。そういうことになりまして、もう、椅子も机も足りなくて」

「そうでしたか。忙しいところ失礼しました。ちなみに、ここはどこの部署になるのですか?」


 案内板も目印もない。陽河の質問に若者が答えた。


「こちらは教育局初等教育課第二分室になります。県伯の所在なら総務課にお尋ねになるとよろしいかと思います。総務課の幕舎には黄色い旗が立っていますから、目印になるかと思いますよ」


 そう答えてくれた若い役人に礼をいい、二人は幕舎を後にする。


「黄色い旗、ですか」


 なるほど見れば天幕の頂上に旗がたなびいている。二人が入った幕舎の旗は緑。

 若い役人はどこに何があるか分からない、と言っていたが、周辺の幕舎の旗も緑ばかりで、部署ごとに固められていることは確かなようだ。


「県伯がいるとなると、やはり真ん中でしょうか」

「城に近いほう、という可能性もありますね」


 進んでみましょう。晨鏡の言葉に陽河が頷く。

 上を確かめながら歩くのは案外堪こたえたが、黄色い旗の幕舎はそれほど苦労なく見つけることができた。

 最初の一つで尋ねてみる。外れだった。


 次の二つも要領を得なかった。

 先が思いやられる、と思った四つ目で当たりを引いた。


「もしや、晨鏡様ではありませんか?」


 入り口付近の役人に話しかけていた晨鏡に、横から声をかけた役人がいた。

 晨鏡と同じ年頃の役人に、晨鏡が怪訝けげんそうな目を向ける。


「やはり、晨鏡様だ。私は星鉱せいこうと申します。晨鏡様とは州城学校で同級だったのですが、ご記憶にはないでしょうね」


 言われて晨鏡が慌てて詫びる。


「も、申し訳ない。あいにくと…」


 星鉱せいこうと名乗った若い役人は、その返事を聞いても穏やかな笑みを浮かべたまま続けて言った。


「構いません。何しろ州城学校の同期は1,000人もいたのですから、晨鏡様が私を覚えていなくても当然です。私ももちろん、全員を知っているわけではない。あなた様は同期の誇りだった。だから覚えているのです」


 州城学校は県試けんしを合格した者が入学できる。3年間で政治学、法律学、経済学のほか、文学、美術、音楽、馬術、剣術、弓術、体術と幅広い分野を学ぶ。


 3年間で所定の単位数を修めるか、州試しゅうしに合格すれば卒業でき、卒業すれば県の役人となる資格を得る。

 州試は北部州であれば年に100人前後しか合格できない難関の試験であるため、大半の者は州城学校を卒業すると自分の出身県に戻って県の官僚となる。


 州試の受験機会は州城学校在学中の2年次から卒業後3年まで。その5年間の間に合格できなければ、二度と機会は与えられない。

 卒業後1年目で合格する者が半数を占め、次いで卒業2年目が多い。在学中3年次と卒業後3年目が同数程度おり、在学中2年次に合格できる者は年に1人いるかいないかだ。


 そのいるかいないかの1人に、晨鏡は入った。

 州城学校2年次に、しかも三席(第3位)で合格した晨鏡は、同学年の英雄となった。


 どんな奴がその偉業を果たしたのか。

 ひっきりなしに誰かが自分を見に来たことを晨鏡は覚えていた。一人一人の顔は覚えていなかったが。

 星鉱もその中の1人だった。


 どんな男なのか。講義を見に行き、討論の様子に感動した。

 自身も州城学校を卒業したら州試に挑戦しよう。そう思っていた星鉱だったが、晨鏡の姿に次元の違いを思い知らされ、受験を断念。北西県に戻って県の官吏となった。


 その後、人伝ひとづてに晨鏡が国試を失敗したと聞いた。

 どうしているのだろう。気になっていた。

 その男が現れた。嬉しくなって声をかけた。そして、意外な返答を聞いた。

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る