「県伯」6

<6>


 北部州北西県伯は、名を緑延(りょくえん)と言った。


 他の県伯と同じく州試を及第した緑延は、38歳の若さで郷主となり、42歳の時には北西県の副県伯になっていた。

 先の政変では当初劣勢と見られていた南部州侯派である北西州侯支持を表明し、賭けに勝って政変後に北西県伯となった。

 

 当時45歳。

 いずれの州の局長となることは確実。あるいは、国試出身者が務めることが通例の副州侯にまでなれるのではないか。

 そう噂されるほどの人物であったが、同時に悪評もまた多かった。


「何がどうなっているのか問われても、答えようがありませんな」


 詰めかけた商人連合会の代表たちを前に、緑延りょくえんは吐き捨てるように言った。

 その態度は当然のごとく相手を怒らせる。


「何だと!それが県伯の言いようか!」

「こちらの苦労をなんだと思っているのか」


 それらの言葉に、緑延が大きなため息をつく。


「あなた方の苦労など知らぬ。だいいち、退去命令が出てからまだ3日ではないか。城に入れないからといって、あなた方の商売にそれほど影響が出ているとは思えぬ。具体的に何が困っているのか。それを伝えてくれれば対処の仕様もあるが、単に『不安』なだけでは何もできぬ」


「だから、その不安を抑えるのが県伯の役目だと言っている!」

「現に怪しげな流言が出回り始めているのだ!」


 流言という言葉に緑延が興味を示した。


「ほう。流言とは、どのような流言か」

「『県伯が城から追い出されたのは、州侯に歯向かったからだ』という噂や、『県城での不祥事を隠そうとしている』との噂だ」


 その答えに緑延が再び大きなため息をつく。同じ南部州侯派の北部州侯に、なぜ自分が逆らうと思うのか。


「そんな噂が何だと言うのか。くだらぬ。言いたい奴には言わせておけばいい」


 緑延の言葉に年配の商人たちがますます頭に血を上らせる。そんな彼らを制して、中年の商人が穏やかに言った。


「人は不安になれば、あらぬ噂をたてるもの。それだけ市民は不安がっているのです。その不安は、当然、我らの商売に直結する。買い控えであったり、不要な買い占めであったり。彼らは情報を欲しがっているのです。正しい情報を」


 まっすぐな視線に緑延が頷く。


「なるほど。あなたの言葉はもっともだ。だが、今は何も分からぬ。『分からぬ』という情報を出すことに価値があるとは思えぬ。繰り返すが、まだ3日だ。何を焦るか、としか今は言えぬ。市民の間に不安が広がっているのであれば対処はしよう。が、まだそれほどとは思えぬ。商人のほうが先に不安がり、それが市民にも広がっているというのであれば、その不安を鎮めるのはあなた方の役目であろう。身内の統制もできず、何のための商人連合か。あなた方は何のために存在するのか。役所に文句を言うだけが役割ならば、商人連合など不要であろう」


「な…」


 これには中年の商人も言葉を失った。年配の商人たちは痙攣(けいれん)を起こさんばかりに顔を紅潮させている。


「情報が欲しければ、門が閉じた理由を知りたければ、あなた方も独自に調べに行けば良い。退去命令を出したのは王だと分かっているのだ。都へ行け。誰も止めぬ」


 言うだけ言うと、緑延は、これで終わりだと商人たちを追い払うように手を振った。


「あなたは…」


 中年の商人が一歩前に出ながら何かを言いかけ、緑延に先を越された。


「皆様がお帰りだ。次を呼べ」


 緑延が県伯の執務室として設けられた幕舎の入り口に声をかける。


 怒号を上げ、罵声を浴びせる商人たちをなだめながら、県伯付きの役人たちが商人たちを押し出していく。

 その姿が見えなくなると、緑延はもう一度吐き捨てるように言った。


「雁首揃えて無能な奴らめ。まったく時間の無駄だったな。次は誰だ。今日はあと何人いるのだ」


 その問いかけに側近が答える。


「午前の予定はあと8組です。閣下」


「たまらんな。午後は内部の者のみ通せ。外部の者は後回しだ」


 意を受けて側近が頷く。

 晨鏡しんきょう緑延りょくえんが正門前広場に着いたのは、ちょうどその頃のことだった。

 

 

 


 

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