「県伯」2
<2>
「郷へは私が出頭しよう。その間は副支城長に支城長代行を命じる」
「貴殿らはどうする。一度、郷へ戻るか?」
陸剛の問いかけに、
「いえ、予定通り県城へ向かいます。ただし、
晨鏡の言葉に南信が不満の声をあげる。しかし、晨鏡は認めなかった。
「いや、お前は駄目だ。言っては悪いが、その怪我では足手まといになる。郷に戻って、見たままを郷主に報告するんだ。県城へはおれと
南信の左肩は折れていなかったとはいえ、肘にかけてひどい打撲痕ができており、痛みなくして動かせる状態になかった。
無理はできない。南信も承知せざるを得なかった。
「ですが、必ず、必ず戻ってきてください」
「縁起でもない」
南信のまっすぐな視線に晨鏡は小さく笑った。
笑ったが、晨鏡自身も分かっていた。もはや、昨日までとは違うということを。
昨日までなら当たり前の言葉が、今日は当たり前でなくなっている。
「今日はもう遅い。3人とも休んでいくが良い。宿はこちらで手配しよう。私も郷へは明日の朝、立つことになるだろう」
「ありがとうございます。それでしたら…」
宿は目星が付けてある。馬を預けた宿。あそこはどうだろうか。
晨鏡が尋ねると、陸剛が周囲の役人に確かめる。
「『踊る仔馬亭』であれば問題ないかと」
役人の一人が答える。陸剛が頷き、晨鏡に言った。
「宿代は支城で負担しよう。何か必要なものがあれば何でも言ってくれ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、一つ、お願いしてもよろしいでしょうか」
「何だ?」
続く晨鏡の言葉は陸剛を驚かせた。
「もう一度、城壁に登らせていただきたい」
南信も消防隊長も、支城の役人たちも驚きの目で晨鏡を見る。
「貴殿、何を言っている」
正気か?陸剛の顔にそう書いてあった。
「確かめたいことがあるのです。最初、我々は30人が城壁に登った。その時、あの化け物は姿を見せなかった。奴が現れたのは、消防隊員が城内に降り立ってからです。消防隊員をなぎ倒した怪物は、城壁にいる我らも標的にした。最初は、標的にしていなかったにもかかわらず、です」
「どういう…ことです?」
南信が尋ねる。
「いいか、南信。おれたちは、二度城壁にいた、と考えることができる。城内に消防隊員が降りる前と、後と。降りる前は、怪物は現れなかった。だが、降りた後は、怪物は消えなかった。言っている意味が分かるか?」
「同じ城壁にいるのでも、攻撃されたときと、されなかったときがあった、と?」
我が意を得たり、と晨鏡が頷く。
「そうだ。そして、おれが『負け』を認めると、奴は攻撃を止めた。そこから考えられる仮説はこうだ。あの化け物は、城内に入らない限り攻撃をしてこない。城内に入る意思を示さなければ、化け物は出てこない」
30人のうち、4人が城内に入った。相手からすれば侵入者だ。
残り26人のうち、2人は降下の途中だった。相手からすれば、侵入しようとしている者だ。
だから攻撃の対象となった。
では、残りの24人は?
敵か味方か分からない。だから排除の対象となった。
晨鏡が負けを認めたから、抵抗を止めたから、城にとっての脅威は無くなったと判断された。
そうだとすれば、単に城壁に登っているだけなら、中に入る意図を示さなければ、攻撃の対象とはならない。
「それはそうかもしれませんが…」
危惧する南信に晨鏡が言った。
「攻撃が止んだ後、遺体を回収する際も攻撃はなかっただろう?」
生存者が救出される間も、城壁上の遺体を回収される間も、確かに何も起きなかった。
「おれたちが来る前に守備隊が城壁に登ったときのことは憶測でしかありませんが、城壁から2人が飛び降りたと聞いています。彼らは直接攻撃を受けたのかもしれないし、恐怖の余り飛び降りたのかもしれない。しかしどちらにせよ、同時に登った10人のうち、10人が10人とも城壁にとどまっている間に攻撃されたわけではないと思われます」
それでも、多くの命が失われた現実が、南信や陸剛を慎重にした。
「貴殿の仮説は、あくまで仮説だ。違ったとしたらどうする。先ほどとは異なり、貴殿の行動は『新たな脅威』とみなされるかもしれん。とすれば、貴殿の命が危険にさらされるだけだ」
「そうかもしれません。しかし、今後のためにも、今確かめておくことは無駄ではありません」
「しかし…」
これ以上死なせたくない。死なせるわけにはいかない。陸剛は首を縦に振ることができなかった。
「では、私も一緒に参りましょう」
満身創痍の消防隊長が一歩前に出た。その目には強い意思が感じられた。
「何をおっしゃいます。あなたはすぐに治療を受けなければ」
「いえ、あなたが行くというならお供いたします。私以外の誰が、いざというときにあなたをお助けできるのですか。人命救助は消防の使命です。私を休ませるのなら、あなたも休むべきだ」
部下たちを死なせた無念。多くの市民を救えなかった悔しさが彼を動かしていた。
無理をさせれば彼は死ぬかもしれない。だが、連れて行かなければ、彼の心が死ぬだろう。
晨鏡は言った。
「では、お願いします」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます