「惨劇」8

<8>


 消防や建築関係の職人でなければ、普段から梯子はしごを登る訓練はしていない。

 仮に梯子を登る経験があったとしても、多くの者にとって20尺(約6メートル)は未知の高さだった。


 結局、城壁に上がれたのは当初の予定を大きく下回る30名だった。

 梯子の途中で落下したり、動けなくなったりした者もいたが、幸運なことに死者は出さずに済んだ。


 南信なんしんは途中で動けなくなったが、建築職人の若者が引っ張り上げてくれていた。


「し、死ぬかと思いました」


 顔中汗まみれにしながら南信が震える声で言った。


「おれもだ。ここまでとは思わなかった。帰りはもっと大変そうだな」

「綱で降ろしてもらったほうが楽かもしれません」

「そうだな。まあ、城門が開けば、楽に出られるけどな」


 城門真上のやぐら、城の四隅の櫓には階段が着いており、通常はその階段を利用して城壁上に出る。

 しかし、その櫓も内側から扉が閉められており、外から開けられないことは既に確認されていた。

 それゆえ、城内にはその扉を破るか、あるいは梯子や綱を使って降りるしかない。


 当初の予定を大幅に下回ったが、陸剛りくごうの指示で30名のうち6名が降りることとなった。

 その6名は消防隊員から選抜され、晨鏡しんきょうと南信は城壁上に残ることとなった。


「やむを得ないな。おれたちには無理だ」

「ですね。頑張って引っ張りましょう」

「そうだな」


 隊員の体に巻き付けたまさしく命綱となる綱を握り、晨鏡と南信が頷く。

 人数が少なくなったため、6名は城門付近から一斉に降りることとなった。


 先に一人が綱を使って降りていく。

 城壁を蹴りながら軽やかに降りていき、そして途中で止まった。


「なんだ、これは?」


 城壁の下半分に、赤黒い染みがいくつも広がっている。水風船を屋上から落とすと、こんな風に割れる…。

 放射線状に飛び散ったような跡。


「まさか…」


 消防隊員の顔色が蒼白になった。

 これは、人の血か?


「どうしました?」


 晨鏡の呼びかけに消防隊員が白い顔を上げる。


「いえ、城壁に大きな染みが…。降りて確かめてみます」


 消防隊員が城壁内に足を付けた。

 城壁にこびりついた跡を観察する。

 赤黒い液体が散った中に、布の切れ端がいくつも見える。


 染みは中心から真下に向かって色濃くなっている。

 ぶつかって、ずり落ちた跡。

 その正体を知って、消防隊員は嘔吐した。


 やはり人だ。遺体は無い。だが、確かに人の血だ。

 どれだけの力で叩き付ければ、これほどまで飛び散るのか。

 嘔吐する消防隊員の脇に、一人、また一人と消防隊員が降り立った。


 どの顔も血の気が引いている。

 ぞくり。

 4人目が降りたとき、彼らの背中に冷気が走った。


「!」


 城壁上で晨鏡も気付いた。


「なんだ、あれは!!??」


 降下途中の残り2人も手を止める。

 巨大な塊。鉄のような物。人のようにも見える。しかし、大きい。

 身の丈は軽く7尺(2.1メートル)を超えている。横幅も4尺(1.2メートル)近くあるだろうか。


 遠目には小太りの、丸みを帯びた人のような物体が、鉄の鎧を身にまとっている。

 こいつは、やばい。

 晨鏡の毛穴という毛穴が逆立った。全身が危険信号を発している。


「逃げろ!!!!」


 晨鏡が叫ぶのと、鉄の塊が動いたのはほとんど同時だった。


 速い。


 30間(約54.5メートル)ほどの距離を、鉄の塊が文字通り突進してくる。その間、わずか5秒。


「ひっ」


 最初に降下していた消防隊員が、声にならない声を上げて姿を消した。

 鉄の塊が腕をふるい、隊員を吹き飛ばす。

 消防隊員はそのまま城門櫓の側壁にぶつかり、まるで果物のようにその頭が砕けた。


「うわああああああ」

「上げろ!上げろ!!!」


 降下しかかっていた2人を慌てて引き上げる。

 先に降りた4人の殺戮さつりくは一瞬で終わっていた。


 2人は薙ぎ払われ、壁に叩きつけられ、1人は足を取られて振り回され、10間(約18メートル)以上投げ飛ばされて地面に落ちた。


 手足が不自然に曲がっているのが城壁の上からでも分かった。

 人型の鉄の塊が、宙吊りになっている消防隊員を見上げた…ように見えた。


 目があるべきはずの場所は空洞になっている。鎧の中にあるのは漆黒の闇。晨鏡にはそう見えた。


 なんだ、あれは。

 あんなものは知らない。

 一瞬、手が止まった。


 綱がわずかに緩む。

 消防隊員がまた一人、命を落とした。

 

 

 

 

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