「惨劇」3

<3>


 県城には晨鏡しんきょう南信なんしん、そして総務課長の陽河ようがの3人が行くこととなった。

 3人で幕舎を出てしばらく進むと、今まで我慢していたものをすべて吐き出すとばかりに、南信が大きく息をついた。


「ふはぁ~。いやあ、晨鏡様はやっぱりすごいですよ。よくあんな風に対応できますね。おれはもう、切れる寸前でしたよ。伊魁いかい様もよく我慢してたな。青筋って本当に浮かぶんですね。すごい顔してましたよ」


 晨鏡が供として南信を指名してくれたことは嬉しかった。

 陽河も同意してくれたことは、なお嬉しかった。

 しかし、それよりも郷主に対する鬱憤うっぷんが上回っていた。


 晨鏡が苦笑しながら胃をさする。


「いや、おれもどうなることかと思ったよ。うまくいって良かったな。ちょっと、休ませてもらっていいかな?」

「あ、はい。便所寄りますか?」

「そうだな。それより、水が欲しい。ちょっと、世界が回ってる」


 先ほどと同じように建物の陰に入ると、晨鏡は左手を壁について体を支えた。


「う~」


 唸る晨鏡に南信が声をかける。


「すぐに取ってきますから、座って待っててください。陽河様、晨鏡様をお願いします」

「あ、ああ…」


 晨鏡の様子に陽河が首を傾げる。


「どこかお悪いのですか?」


 しゃがみ込んだまま、晨鏡が右手を軽く上げて答える。


「あ、いや、ただの二日酔いです。ちょっと波が、こう…。さっきまでは平気だったのですが、申し訳ない」

「ああ。なるほど」


 これが噂に聞く晨鏡か。

 陽河は晨鏡と酒の席を一緒にしたことがなかったが、南信から話を聞いていた。


「よくお酒を嗜まれる(たしなまれる)ようですね」


 陽河の言葉を晨鏡は嫌味と受け取った。


「面目ない…」

「あ、そういうわけでは。よく南信が話していましたので」

「さぞや酷い内容でしょう」


 晨鏡が自虐の笑みを浮かべる。


「よく生きておられるな、とは言っていましたが」


 ただ…。陽河が続けた。


「面白いお話をたくさん聞かせてくださる、と。晨鏡様の話ばかりで、私としては少々妬けるほどです」


 陽河の言葉に晨鏡が顔を上げる。陽河は晨鏡の横に立って壁に軽くもたれかかり、目線を空に向けていた。

 その表情は、晨鏡には見えなかったが、その言葉に親愛の情が込められていることは分かった。

 南信という男は、晨鏡が思っている以上に人に好かれ、評価されている人物なのかもしれない。晨鏡はそう思った。


「何を見てきたんだろうな、おれは」


 その呟きは、陽河の耳には届かなかった。


「え?」

「いえ。南信は愛されているのだな、と」


 その言葉は陽河に届き、陽河は嬉しそうに笑った。


「ええ。あいつは良いやつです。頭も切れる。『郷試ごうし』にとどまっているのが勿体ないくらいです」


 郷試といえども、6人に1人程度しか合格できない難関の試験だ。

 しかし、その上に県試けんし州試しゅうしと続くことを考えれば、それでも郷試はいわゆる「登竜門」に過ぎない。


 上の役職を目指すなら県試、州試と駒を進めるし、郷試及第を条件として受験できる教員試験や代書士試験、税務代理士試験を目指す者もいる。

 もちろん誰もがその上を目指すわけではなく、進めるわけでもない。


 ただ、この国では、経済的な理由で上位試験を断念することはほとんどない。

 郷士合格者は郷の費用で県試受験のための県城学校に進学できるし、県試合格者は県の費用で州試受験のための州城学校に進学できるからだ。


 南信は県試を受験したのだろうか。何か理由があって県試は受験しなかったのだろうか。

 頻繁に酒の席を共にしていながら、晨鏡は南信のことを何も知らないことに気付いた。


 情けないな。そう思うと同時に、自分勝手だったのだな、と、そんな風にも思った。

 自分だけをあわれんでいたから、自分のことしか考えていなかったから、他人のことを知ろうとしなかった。


 南信が戻って来る姿が見えた。

 次に飲む機会があったら聞いてみよう。

 晨鏡はそんなことを思った。

 

 

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