「惨劇」2
<2>
郷主大権。その言葉に
しかし、さすがは
「ならん!それはならん!」
珍しく語気を強めた高長の様子に課長級の役人たちが驚く。
代表して
「その、晨鏡様。
晨鏡が頷き、概要を説明する。
「郷主大権とは、非常事態に際して郷主に認められる特別な権利で、『城主大権』ともいいます。郷主は
物騒な言葉の連続に役人たちがざわめく。
「お言葉ですが、晨鏡様」
司法課長の
「郷主大権が行使できる場合の『非常事態』とは、大災害や『有事』すなわち、戦争状態を意味するものではなかったでしょうか」
晨鏡が頷く。
「よくご存じでいらっしゃる。ええと…」
名前が浮かばない。それを見て
「失礼、さすが司法課長殿。おっしゃることはその通りです。ですが、『非常事態』は、災害や有事に限定されるものではありません。災害等の非常事態が発生した場合において、と解釈されていたかと記憶しています。つまり、災害『等』であって、災害およに限定されるものではない、ということです。そもそも『有事』は明示されておりませんしね」
香紗が背後に控える部下に確認するが、その役人も明確な返答ができない。
条文集も解釈通知も、すべて城の中にあるからだ。
門が閉ざされている以上、使える知識は頭の中にあるのみだ。
「晨鏡様のおっしゃる通りとして、今回の事態が『災害等』に合致しますでしょうか」
知識量では州試合格者に絶対的に適わない。そう踏んで、香紗が攻め手を変えた。
なかなか切れ者だな。優秀だな、と晨鏡は感じた。
「その疑問は尤(もっと)もです。ゆえに、県伯の判断を仰ぐ必要がありましょう」
まずは県城に人を送り、県城の様子を確認する。県城が平常通りならば、郷単独で解決を図るか、県に報告して協力を仰ぐかを決める。県城も閉鎖されているならば、一時的に全権を譲り受け、郷の治安維持を図る。
晨鏡が説明する。
「郷城だけでなく、県城も門が閉ざされているようであれば、そして、その解決策を知らないのであれば、それは『非常事態』といえるでしょう。そうであれば、郷主大権は大いに利用できる。非常事態にいちいち誰かの許可を必要としていては、行動がとても遅くなる。今、この状況のように」
何も分からず、何もできず。その状況を指摘され、役人たちが言葉に詰まった。
視線が高長に集まる。だが、高長は低く呻くばかりではっきりとした返事をすることができない。
「そ、そうだな…。いや、しかし、そんな…」
そして悲痛の表情で呟く。
「全権などと、それはあまりに…」
困惑する高長に、伊魁が大声を出した。
「迷っておられる場合ではないのではありませんか!?」
普段なら課長は郷主の裁可を求めて伺いを立てるだけ。
怒鳴られる経験などしたことのない高長がすくみあがる。
「そ、そう言われても、いや、だめだ。だめだ。一人の人間が全権を掌握するなど、そんなことは許されない」
伊魁のこめかみに血管が浮かび上がる。顔は真っ赤で、今にも高長に掴みかかりそうだ。
立場の違いが彼をかろうじて抑えている。
南信はますます呆れた。まるで話にならない。他の役人たちも肩をすくめるだけだ。
南信が晨鏡を横目で見やると、南信にとって意外なことに晨鏡は穏やかな笑みを浮かべていた。
「全権と言っても、非常事態が解消されるまでの一時的なものです」
口調も穏やかに語りかけるが、高長は折れない。
「いや、それでもだめだ。人を傷つけることなどできるはずがない」
「失礼。傷つけなくても良いのです。ただ、今は役所の機能が閉じ込められたままですから、この状況が続いてしまうと役所の機能が停止してしまいます」
役所の建物はすべて内壁の中にあり、その中に一切の文書が収められている。外にはほとんど何もないと言っていい。
銀行は内壁の外にあるため資金面での問題は生じないが、今までの文書が何もなければ業務の停滞は避けられない。
「そう言われても、それは私のせいでは…」
晨鏡がさらに優しい笑顔を浮かべて頷いた。
「ええ、もちろん。郷主のせいではありません。ですからこそ、まずは県城の状況を確認し、他の郷でも同じ状況が起きているならば、真っ先に郷主大権の使用許可を県伯に進言する。他に先駆けて有効な手立てを進言できたならば、郷の評価は上がりこそすれ、下がることはありません」
高長が黙り込んだ。しばらく考え、晨鏡の様子をちらりと見る。
責める様子はない。それを確認して安堵するようにも見える。
しかし、その直後、高長は別の考えに至り、慌てて首を振った。
「いや、だめだ、だめだ。もし県城が正常だったらどうするのだ。もし門が閉じているのが我が郷城だけだとしたら?他の郷城では異変が起きていなかったら?我が郷城だけに問題が発生しているとしたら、一体その責任は誰が取るのだ?
」
この言葉には、居並ぶ役人たちもそろって呆れた。
呆れたが、郷主が決断してくれなければ状況は何も変わらない。
伊魁だけでなく、南信も爆発寸前になっていた。何かを言いかけて半身を乗り出し、晨鏡に制される。
「そのときこそ、真っ先に状況を報告し、県伯の判断を仰いだことが評価されましょう。人的被害を生じさせないため、原因不明の事象に対して単独では行動していない。だが、許可と助力が得られれば、『いつでも』城壁を越えて中に入る準備はできている、と。そのように県伯に申し上げればよろしいかと」
郷城から県城までは徒歩で片道3日の距離がある。馬を急がせても1日半の距離だ。
「県城から戻るまでの間に準備は整いますよね?伊魁様」
梯子を揃え、武器を揃える。矛先を振られて伊魁が応じた。
「ぉ、おう!3日もあれば城壁に届く
「なんとも頼もしい限りではありませんか。高長様は異変に慎重かつ迅速に対応したとして賞賛されること間違いありません。今回の件で高長様に非がない以上、何らかの原因があるはずです。その原因を突き止めて県伯に報告すれば、高長様が責めを負わされることはないはずです」
「そう…うまくいくだろうか…」
それでも首を縦に振らない高長に、晨鏡が攻め手を変えた。
「では、この状況を放置なさいますか?もし、他の城は平常であるにもかかわらず、この城のみが役所の機能を失っている。我々が報告するよりも先にその声が県伯の耳に届いてしまったら…」
晨鏡の言葉に、高長が文字通り震え上がった。
「そ、そんなことは、そんなことはあってはならない。し、晨鏡殿。直ちに県城に人をやってくれ!」
晨鏡がにっこりと笑った。
そして言った。
「承知いたしました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます