第2章「惨劇」

「惨劇」1

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 北部州北西県北西郷。通称「深泉郷しんせんごう」と呼ばれるその郷は、北部州の北西端に位置する。

 郷の西には大河があり、その対岸は北西州。

 郷の北には針葉樹の森が広がり、その奥には雲より高く峰を伸ばす山々が連なる。


 天を抱く山々から湧き出す水は森を抜けて大河となり、北部県から流れ出た別の大河と州都で交りその幅を増す。

 大河はその流域を広げながらさらに南東へと下り、中央州に入って王都に至る。


 北部辺境に位置する深泉郷では、寒冷な土地柄のため農業はあまり発展していない。

 その代わり、針葉樹の森を利用した林業が盛んに行われている。

 切り出された木材は大河を下り、王都へと運ばれる。


 かつて、国試を受験するため都に上った晨鏡しんきょうが、今はその大河を逆に辿って最北の地にいる。

 ここより北に街は無い。ここより北に、場所は無い。


 郷主の高長こうちょうは、城の東門近くの広場に仮設営された幕舎にいた。

 郷の役人たちが文字通り右往左往している。

 何かをしているというよりも、じっとしていられないので動いている。そんな様子に見える。


 高長はその一番奥で青ざめた顔をしていた。

 同じ卓を囲む役人の一人が紙束を片手に怒声を発しているが、他の役人たちも困惑するばかりで彼を満足させる回答を出せずにいる。


「お取込み中のところ、失礼いたします」


 南信なんしんが直属の上司である総務課の課長に声をかける。


「南信か。どうした」


 総務課長・陽河ようがの問いかけに南信が答えるより早く、立ち上がって喚いていた大柄の役人が唾を飛ばしてきた。


「なんだ、お前は!今は課長級の会議をしておる!郷試ごうしごときの出る幕ではないわ!引っ込んでおれ!」


 深泉郷土木課課長。名を伊魁いかいという。髭と声の大きさが自慢だ。

 林業が盛んな深泉郷にあって、土木課は郷で最も強い発言力を持っており、大声での威圧が彼の得意技だ。


 しかし、南信は臆することなく総務課長に伝える。

 伊魁にも、その場にいる他の課長級にも伝わるように大きな声で。


「『相談役』の晨鏡様をお連れしました、陽河様。高長様にご提案したいことがあるとのことです」


 視線が晨鏡に向けられる。

 差別意識が強い者ほど、権威主義に陥りやすい。

 <県試及第>の伊魁もその例に漏れず、いかに都落ちであろうとも、窓際に追いやられていようとも、<州試及第>の晨鏡には強く出ることができなかった。


「う…。晨鏡様か。提案とは、一体どのような」


 年齢は伊魁のほうが20歳ほど上になるが、役人の等級としては、郷の課長よりも州の主任のほうが上になる

 。晨鏡は位置づけでは州の「主任相当」として郷に赴任していた。

 どんなに年下であっても、等級には逆らえない。


「その前に、確認したいことがあるのですが、まだ誰も城内の様子は確認していないのですよね?支城はどうなっていますか?支城から何か報告は上がっていますか?」


 晨鏡の質問に答えられる者はいなかった。

 集まった役人たちは顔を見合わせるだけ。それを確かめ、晨鏡が続ける。


「では、城門が閉じているのがこの城だけなのか、そうでないのか。どなたも把握されていない、というわけですね」


 上から言われたような気がして不機嫌な表情になる者もいる。

 一方で、都落ちが何を言い出すのかと気にする素振りの者もいる。


「門が閉じているのがこの城だけだとすれば、解決方法は二つほど考えられます」


 一つは直ちに梯子や何かを揃えて城壁を乗り越える準備をし、郷単独で中の様子を確認すること。

 もう一つは県城に報告し、その協力または許可を得てから城壁を越えること。

 晨鏡はそう説明してから、更に続けて言った。


「郷単独が手っ取り早いですが、いかんせん城壁が高い。35尺|(約11メートル)の高さを越えることは容易ではないでしょう。それに、『看板』というのが気になります。土木課で片付けられた、とのことですが、拝見できますか?」


 晨鏡が尋ねると、伊魁は渋る様子を見せる。


「あ、あれは、単なる悪戯(いたずら)に過ぎぬかと…」

「しかし、正門の前に掲げられていたと聞いていますが。昨晩までは無かったのでしょう?」

「それはそうですが…。関係があるとは…」


 語尾を濁す伊魁に、晨鏡は質問を変えた。

 おそらくもう、看板の現物は破棄されたのだろう。


「では、内容だけ確認させてください。看板には、『城の統治権を与える』といったことが書かれていた。それでよろしいでしょうか」

「ええ、まあ、そのような内容であったかと…」


 伊魁の言葉に晨鏡が頷き、続けて言った。


「その看板が、悪戯いたずらなのかそうでないのか。それが定かでなく、門が閉ざされているのがこの城だけなのか、そうでないのか。それも定かではない。ひとまず、中に誰かいるのかいないのか、それだけでも確認すれば良い気もしますが、もし看板が悪戯ではないとしたら、誰かが何かの意図をもって立てたのだとしたら、門が閉じられているのがこの城だけではないとしたら、慎重に行動したほうが良い気もします」


 皆様が既になされているように。そう付け加えることを晨鏡は忘れなかった。

 その言葉に救われたのか、「それはそうだ」、「そのとおりだ」、という呟きが各所で漏れた。


「ただ、この城だけに起きている場合、下手に県城に助けを求めると、我々の評価が下がる、という懸念はあります」


 出世を目指す官僚にとって、負の評価は絶対に避けたい。

 正の評価は無くても良い。失敗をしないこと。それが何より大切だ。


「それは困る。あってはならん」


 高長が正直に言った。

 南信は呆れたが、表立って意見を口にする者はいない。

 晨鏡が頷く。


「それゆえ、まずはこの事態がこの城だけで起きているのか。そうではないのかを確かめる必要がある、というわけです。その結果、もしこの城だけで起きているのではないとすると、事態は思っているより深刻かもしれません」


 晨鏡が淡々とした口調ながらも厳しい見方を示すと、役人たちがざわめいた。


「その場合は、どうすれば…」


 晨鏡を厚遇するな。仕事を与えるな。それでお前の地位は保たれる。

 そう命じられていることを忘れ、高長が晨鏡にすがる。


「もし他の城も閉鎖されている場合、我々の力だけでは解決が難しい可能性もあります。しかし、その場合は、逆に我々の力だけで解決しなければならない可能性も生じます。そこで、そのときに備えて、郷主大権を取得することが考えられます」


 晨鏡の言葉に、高長は見るからに困惑した。


「郷主…大権?」


 

 

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