「閉門」8

<8>


 城の南門―正門の前にはかなりの人だかりができている。300人近くいるだろうか。

 郷城の人口は6000人ほど。1割には届かないが、それでもかなりの人数が集まっている。

 役所に用があって近隣の村から来ている者もいるかもしれない。


「ちょっとすいません。通してください。郷の役人です」


 南信なんしんが声を上げながら道を作る。

 晨鏡しんきょうに気付いた民衆もいた。


 通常、郷主ごうしゅとなる以外、郷には降りてこない州試しゅうし合格者が、郷の「相談役」として「飛ばされて」来た。

 しかもまだ若い。

 話題になるには十分だった。


 好奇の視線を受けながら、晨鏡は南信と共に正門まで進んだ。

 正門前の通りに守備隊が仮柵かりさくを組み、群衆がそれ以上近づけないように阻止している。

 身分を明かし、さらに進むと、なるほど、鉄の扉が閉ざされている。


 扉というからには扉だったのだな、と、晨鏡は当たり前のことを感慨深く思った。

 開け閉めできるからこそ、扉。閉じているだけなら壁で足り、開けているだけなら必要ない。


 この扉は作られて初めて、扉としての本来の役割を果たしたのだろうか。

 この扉に心があるとしたら、ようやく仕事ができたと喜んでいるのだろうか。


 閉じることができたのだから、開くこともできるはず。

 閉じて開くもの。開いて閉じるもの。それが扉。

 そんなことを考えながら、晨鏡は重厚な鉄の扉に近づいた。


 手で触ると冷たく感じる。

 軽く押してみたが、もちろんびくともしなかった。


 城か。城だったのだな。

 見上げて今度はそう思った。


 郷城の壁の高さは35尺(約10.6メートル)。

 城内の建物は3階建てが最高で、その高さは屋根を入れても約24尺(約7.2メートル)。

 城壁よりも高い建物は存在しない。


 そびえ立つ白い壁と、閉ざされた黒い鉄の扉。

 入ってはならないという強い意志を感じる。

 城壁とは外敵を阻むもの。


 門扉だけではない。

 城全体が本来の役割を果たそうとしている。晨鏡はそう感じた。


「あ、守備隊長殿!」


 南信の声に晨鏡が振り返ると、褐色の肌をした長身の男が近づいてきた。

 見るからに俊敏そうなその男は、腰に剣を下げている。


「失礼。どなただったか」

「総務課の南信です。こちらは『郷主付き相談役』の晨鏡様です」


 王国では役人の地位は他に比べて高く、その役人の世界では厳格な階級制が採用されている。

 そのため、下の階級の者が上の階級の者を呼ぶときは、基本的に「様」という敬称を付けて呼ぶ。


 晨鏡はそれが好きではなかったので、公務を離れているときは南信に「様」と呼ばせるのを禁じていた。

 しかし、おおやけの場では南信の立場もあり、そう呼ばれざるを得ない。


 紹介されて晨鏡が軽く頭を下げると、守備隊長は目だけを動かして晨鏡の全身を見た。

 頭から足元まで視線を動かす。

 何を言われるか、晨鏡が身構えると、守備隊長は何も言わずに視線を南信に戻した。


「総務課ではどのような対処を考えているのか。郷主をはじめ、何も言ってこないので困っている。命令があれば中の様子を見たいが、それもない。このような場合、誰がどのような対応をすることになっているのか」


 門が閉ざされるという建国以来初めての出来事に、郷の役人たちは対処法を見つけられずにいた。


「それは何とも…。晨鏡様は何かご存じではありませんか?」


 南信が期待以上の期待をこめて、晨鏡に問いかけた。

 だから晨鏡は答えた。


「知らん。おれの知る限り、城の扉が閉ざされたという話は聞いたことがない。門扉が閉ざされた場合の対処法も同じだ。だが、非常事態に際しては、郷主に特別な権限が付与されるという制度がある。地方統治法の特別法である『県城および郷城の城主の権限に関する法律』に、『郷主は県伯の許可を得て非常事態に際し、事態が収まるまでの間、全権を行使できる』とする条文がある。これを郷主大権ごうしゅたいけんと言う」


「郷主大権、ですか?」


 聞き慣れない言葉に南信が尋ねる。


「そうだ。門扉が閉ざされているだけで非常事態といえるかは疑問だが、郷で対処法が分からないなら県に問い合わせるのが先決だろう。ちなみに、今まで郷主大権が行使されたという話も聞いたことはないが、調べてみれば先例があるかもしれない」


 南信が満足そうに頷き、守備隊長は驚いて晨鏡を見つめた。

 そしてすぐに、晨鏡に対する態度を改める。


「これは失礼した。さすが『相談役』と言うべきか。早速、郷主に具申ぐしんすべきだと思うが、それは誰の役割になるのだろうか」

「それは総務課がお引き受けします」

「頼む。それで、我々はどうすれば」


 晨鏡は少し考えてから答えた。


「城内の様子が気になりますが、郷主の許可が出ないうちは動かないほうが良いでしょう。郷城守備隊は治安部隊でもありますから、まずは治安の維持を優先してください。それならば通常業務ですから、郷主の許可がなくてもできる。今はまだ、皆は困惑しているだけのようですが、これが混乱になると危険です」


 晨鏡は続ける。


「まずは民衆を落ち着かせ、普段通りの生活に戻るように声掛けをしてください。今は城に入れないが、状況が分かり次第、必ず説明するから、と。嘘は逆効果になりますから、分からないことは分からない、と伝えたほうがよいでしょう。ただ、原因究明に郷城を挙げて取り組んでいる、と、そう伝えてください」


 それから付け加えるように言った。


「消防に協力を仰いでも良いかもしれません。それと、近隣の村から来ている者には、今日中には解決しないかもしれないので、悪いが出直してほしい、と伝えてください」


 晨鏡が丁寧に話すと、守備隊長はしばらくの間、目を見開いたまま固まっていた。

 その姿に晨鏡は苦笑する。噂に聞く自分の姿と異なる。そういうことなのだろう。


 悪評は耳にしている。州試及第しゅうしきゅうだいとは名ばかりの無能。落伍者。

 関わってはいけない存在。触れてはいけない存在。

 それが城内での評価だった。


 作良たち騎射術きしゃじゅつの仲間たちは、そんな評価を気にしないで接してくれる数少ない存在だった。

 官僚ではない彼らは、官僚たちの評価とは異なる評価を晨鏡に与えてくれた。

 それが心地よかった。


 だが、そこでも時折その言葉は飛び出した。

 さすがは州試及第。

 あんたは違う。おれたちとは違う。


 その言葉は聞きたくなかった。

 何が違うのか。

 さげすまれるのも辛かったが、褒め称えられるのも辛かった。


 やめてくれ。おれはそんなに、高尚こうしょうな人間じゃない。

 だから言葉にしてしまった。


「そうさ。おまえらとは、違うんだよ」


 弱い人間だったと自分で思う。

 そうだ。弱い人間だった。落伍者だった。城内での評価は、間違っていなかった。

 そう思ったら、楽になった気がした。


 謝りに行こう。許してもらえなくてもいい。事が済んだら、謝りに行こう。

 晨鏡は微笑んだ。微笑んで言った。


「どうされましたか?」


 その言葉に守備隊長が我に返る。


「あ、いえ、しょ、承知いたしました」


 そして声を張り上げる。


「守備隊集合!さあ、みんなは、帰った!帰った!どうやら城に入れるようになるには時間がかかりそうだ!原因が分かったら必ず教えるから!みんなに伝えてくれ!郷の役人が全員で調べていると!守備隊員も伝えろ!大声で触れ回れ!城には入れないが、分かり次第知らせるから、と!」


 守備隊長に全身を使った身振り手振りで追い払われ、人々が渋々ながら解散していく。

 せっかく来たのに。早くしろよ。そんな声も聞こえた。


 その様子を見て、晨鏡は思った。

 人は、生きている。

 自分はどうか。自分は今まで、生きてきたか。


「おれたちも行きましょう。郷主の尻を蹴飛ばしてやらないと。まったく、何の役にも立たないんですから」


 南信が腕まくりをし、実際に足で蹴飛ばす動作をしながら言う。

 こいつもまた、生きている。


「そうだな」


 笑って答え、晨鏡は城壁を見上げた。

 この向こうには、何があるのだろう。

 半年間通った建物の並びを思い浮かべる。そこで一体、何が起きているのだろう。


 耳を澄ませても、城の中からは何も聞こえてこなかった。

 何かが動く気配は感じられなかった。

 城に背を向け、その先を見つめる。


「よし。行こうか」


 晨鏡は、その一歩を踏み出した。


 

 

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