「閉門」7

 7


 店を出ると天頂を過ぎた強い日差しが晨鏡しんきょうを出迎えた。

 眩しさに目を細める。


 黄色い太陽か。

 二日酔いの身にはきつすぎる、と晨鏡は思った。


 家に寄りたい、と南信なんしんに頼んだが、あっさりと却下された。

 詩葉に払った金を半分でも払いたい、と言ったが南信は聞かなかった。


「そんなの後でいいですよ。城のほうが近いですから、先に行きましょう」


 世話になった身としては強く言えず、まして風呂に入りたいとはとても言えず、晨鏡は渋々ながら南信に従った。

 時折日陰で息を整えながら歩く。


 胃を抑えながら城に近づくと、徐々に異常な気配が伝わってきた。

 街全体がいつもと違う喧騒に包まれている。


 城は役所の役割を果たしているが、多くの市民にとって、役所は普段から用のある場所ではない。

 戸籍や税の証明であったり、建築や祭りの許可であったり、そういったものが必要な時にしか用のない場所だ。


 だから午前中の半日くらい城に入れないからといって、いつもの暮らしには影響がない。

 影響はないはずだが、街には不安と緊張が随所で見られるようになっている。


 いつもと違う事態が生じている。そのことに、街が不安を感じているかのようだ。


郷主ごうしゅは何をしている」


 こういうときこそ、上に立つ者の資質が問われる。

 建物の陰で一休みしつつ、晨鏡は南信に尋ねた。

 おそらく聞いても無駄だと思いながら。


「別に何も。うろたえてるだけです」


 やはり、そうか。晨鏡は頷いた。

 郷の役人は、郷試ごうしと呼ばれる登用試験に合格した者がなる。

 だが、郷の課長以上は、県試けんしと呼ばれる県の役人登用試験に合格した者がほとんどを占める。


 郷試出身者が課長以上になるのは狭き門だ。

 郷主となると県試出身者でも狭き門となる。


 県試の上には州試しゅうしと呼ばれる州の役人登用試験があり、郷主はその大半が州試合格者で占められる。

 州試合格者は州の官僚となるが、多くの者は若いうちから県の上級職を歴任し、州の上級職となるか、郷主や県の最高職である県伯となって退官する。


 特に優秀と認められる人材であれば、若いうちから郷主を歴任することも珍しくない。

 そういった人材は、40代後半には県伯けんはくとなり、州の局長や次官という最上級職を務めて退官する。


 現在の郷主も、州試合格者が務めている。

 名は高長こうちょう

 県試合格者でなければ受験できず、かつ、合格倍率が35倍に達するともいわれる州試を突破したのだから無能ではないはずだ。


 無能ではないはずだが、特筆すべき才能の持ち主でもない。

 彼が郷主になったのは目立たなかったからだ。


 官僚となって30年。

 難関の州試を突破した者であるにもかかわらず、高長は目立たなかった。

 人事はいつも後回しにされ、皆が嫌がるような地方回りを延々とさせられた。


 しかし、出世が遅かろうと、なかなか州城しゅうじょうに戻れなかろうと、高長は文句の一つも言わずに与えられた職務をこなしてきた。

 万年係長と揶揄やゆされようと、どこの派閥にも属さずに、何の問題も起こさずに、ひたすらに事務処理をこなしてきた。


 どこの派閥にも属していなかったから、政治力は皆無に等しかった。

 だが、どこの派閥にも属していなかったからこそ、高長は5年前の政争に巻き込まれずに済んだ。


 先王が倒れた際に生じた国の官僚たちによる主導権争いは、瞬く間に地方に飛び火した。

 官僚たちは国から地方に至るまで、二人の有力者、すなわち時の南部州侯派と東部州侯派に分かれて対立した。


 政争が南部州侯の勝利に終わったのは、先王が没してから1年後。

 南部州侯が王国宰相となることで決着し、東部州侯を支持した一派は要職から一掃された。

 郷主の地位も複数空いた。


 そこで、無派閥の高長にも順番が巡ってきた。

 空いた席に据える、名誉職として。退職前の褒美として。


 30年間、何の問題も起こさなかったことは、それはそれで一つの才能なのだろう。

 おそらく今後も問題を起こすことなく、高長は郷主としての職務を終えたのかもしれない。

 何事もなければ。


 しかし、事は起きてしまった。

 何の問題もないときに何の問題も起こさなかったからといって、何か問題が起きた時に対処できるとは限らない。

 むしろ、対処できない場合のほうが多いだろう。


 晨鏡の予想は当たっていた。

 朝から城に入れない。その状況に高長は困惑するだけで、何一つ有意義な命令を出すことができずにいた。


「ひとまず分かっていることを確認させてくれ。閉ざされているのは内門だけ。閉ざされた時間は不明。守衛も守備隊も外に出されて記憶がない。中に残っている人間がいるかは不明だが、行方不明者も今のところ報告されていない。守備隊は待機中で中の様子は確認していない。そんなところか?」


 晨鏡が尋ねると、南信が頷いた。


「それと、もう一つあります。これです」


 言って懐から南信が紙を取り出した。広げると文字が書かれている。

 往来の視線は城に向いており、建物の陰で話す二人に目を向ける市民はいない。


「これは?」

「正門の脇に掲げられていた看板に貼り付けられていたものです。これは写しですが、内容は正確なはずです」

「『はず』というのは、どういうことだ?」

「土木課が看板ごと持ち去ってしまったので、確認ができないんです」


 頷いて目を通す。

 そこには、こう書かれていた。


 一 城を制した者に統べる権利を与える

 一 最初に制した者には報賞が与えられる


「これだけか?」


 裏返してみたが、それしか書かれていない。

 一読して首を傾げ、もう一度黙読してから晨鏡は呟いた。


「さっぱり分からんな」


 頭を使うと目が回る。自分の汗が酒臭いような気もして、晨鏡は肩をすくめた。

 元から正解を期待していなかったのだろう。南信はそれを聞いても特に感情を見せなかった。


「『べる権利』とは何でしょうか」

「言葉の通りにとらえるなら、統治権、支配権、といったところか。郷城の統治権、というからには、郷全体の統治権なのか。それとも城だけなのか。まあ、普通に考えると郷全体だろうけどな。いや、待てよ。郷には支城があるな。あれは別なのか?そういえば、支城しじょうはどうなっているんだ?」


 額を左手で包み込むようにして、その両脇をほぐすように動かしながら晨鏡が反対に尋ねる。


 政治単位である州、県には、それぞれ州城、県城があるのみだが、最小の単位である郷には、その広さ、人口に応じて出張所である支城が設けられている。

 城といっても規模はかなり小さく、高さ20尺|(約6メートル)ほどの城壁が一重設けられているだけで、郷城にあるような「外壁がいへき」は作られていない。


「すいません。支城は未確認です。気にしてませんでした、が正解ですが」

「そうか。まあ、郷主から指示がなければ動きようもないな。この写しはよく用意できたじゃないか」


 晨鏡が苦笑すると、南信が少し照れたように言った。


「ええ、まあ、動ける範囲で情報は集めておこうかな、と」

「上出来だ。支城の様子を見に行ってもらうよう郷主に進言してみるか。おれの言葉を聞く耳があれば、だけどな」


 晨鏡が自虐じぎゃく的に言う。

 それにしても…。「与える」とは上から目線だな、と晨鏡は思った。

 誰が、誰に統治権を与えるというのだろう。


 国は王政が敷かれており、形式上は王が最高権力者の地位にある。

 しかし、政治の実権は既に何代も前から官僚たちの手に移っており、王は今や儀礼的な役割しか担っていない。


 王が実権を取り戻そうとすれば可能なのかもしれないが、現在の王は15歳の少年に過ぎず、先の政変を勝利した王国宰相の力は比類なきまでに高まっている。

 少年王と王国宰相では勝負にならないだろう。


 そもそも、同じ土俵に上がることすらできないのではないか。

 初めから勝負になっていない。

 とすれば、王が郷の統治権を与える、と宣言するのはおかしい。


 一方で、怖いものがないはずの王国宰相が、わざわざ郷の統治権を他に委ねるような真似をするとも考えにくい。

 単なる酔狂すいきょうなのか。それとも誰かのいたずらなのか。

 判断するには材料が少なすぎた。


「とりあえず城の様子だな。ぼちぼち行こうか」


 晨鏡が寄りかかっていいた壁から背中を離す。

 自分に何ができるか分からない。だが、確かめたい。

 紙を元通りに折り畳み、南信に手渡すと、心配そうな顔がそこにあった。


「大丈夫ですか?」

「良くはないな。ものすごく気持ちが悪い。かゆはまだ早かったな」

「そうでしょうね。便所に寄りますか?」

「いや、なんとかなるだろう」


 そう言いつつ、一歩日向に踏み出すと、晨鏡はそのまま倒れそうになった。


「だめだ。肩、貸してくれ」


 ため息をつく南信の左肩に右手を置き、二人はゆっくりと城の南門を目指して歩みを再開した。

 

 

 

 

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