「閉門」5

<5>


 詫びる相手を間違っている。

 南信なんしんの言葉に晨鏡しんきょうは押し黙った。

 そうだ。間違っている。

 だが…。


「謝れば、許してもらえるだろうか」


 それは願いだったのだろうか。

 南信は答えた。


「無理でしょうね。友達だったら」


 そして続けた。


「おれだったら、許しません。だけど、おれは友達じゃないですから、昨日のことは気にしません」


 それはどういう…。そう問おうとしたとき、詩葉しようが粥を盆に載せて差し出してきた。


「あ、すいません」


 南信が受け取る。


「あんたと、この人は、友達じゃないんだね」


 詩葉が不思議そうに尋ねる。


「もちろんです。友達なんて、そんなおこがましい。おれと晨鏡さんでは、何もかもが違いますから」

「そんなことはないだろ」


 南信の言葉に晨鏡が反発する。だが、その言葉は、南信に一蹴された。


「いえ。違うものは違います。心にも無いことは言わないでください。誰もそんな言葉は信じません」


 再び言葉を失う晨鏡。詩葉が興味深そうに見ている。


「あんた、この人のこと随分買ってるんだね。それは、この人が『州試及第』だからかい?」


 州試及第。その言葉が今となっては呪いの言葉のように感じられる。

 言葉は悪いが、こんな小さな店の、名もなき女店主まで晨鏡のことを知っている。


 小さな街とはいえ、<州試を合格したほどの男が郷に落ちてきた>ことは知れ渡っている。

 それが苦しかった。

 しかし、南信は意外なことを言った。


「いえ、州試及第かどうかは関係ありません。おれは晨鏡さんを恩人だと思ってるんです。郷にいてくれる限り『付いていきたい』って、そう思ってるんです」

「恩人?」


 詩葉に視線を向けられて晨鏡は焦った。

 恩人と呼ばれるようなことをしたのか、まったくもって記憶がない。

 表情を読み取り、詩葉が言った。


「こっちは覚えてないみたいだよ」

「いいんです。おれが勝手に思ってるだけですから。晨鏡さんにとっては大したことないでしょうし。それより、この粥、美味しいですね」

「あ、ああ、そうだな」


 すっかり南信の調子に惑わされ、晨鏡がしどろもどろに頷く。


「ありがと。でも、あんたには物足りないんじゃない?今朝は仕入れに行ってないから何もなくてさ」

「いえ、おれも昨日は飲みすぎたんで、ちょうどいいですよ」

「そうかい。お代わりあるから言ってね。あんたはどうする?」


 詩葉が晨鏡に尋ねる。


「そうだな…。いや、やめておこう。腹は減っているが、これ以上はヤバい気がする」

「普通、一口も食えないと思うけどね。まあ、元気になって良かったよ」


 そう言う詩葉を、晨鏡が不思議そうに見上げた。


「なんだよ」


 たちまち不機嫌になる詩葉に、晨鏡が言う。


「あ、いや、心配してくれてたんだな、と」

「そりゃ、するよ。死んじまうかと思ったんだから」


 その言葉に晨鏡が頭を抱える。


「本当に申し訳ない。南信にも迷惑をかけた」


 心から詫びる。

 しかし、南信はまたも意外なことを言った。


「いえ、おれは二階に上げただけですから」

「え?そうなのか?」

「はい。着替えてもらった後は、おれも寝ちゃったんで。すっかりお世話になって」


 南信も一泊を借りた。そう南信は言った。

 夜中のことは知らない。

 晨鏡の苦しそうな声が夢うつつに聞こえていたが、眠気がまさって起き上がれなかった。

 朝、晨鏡が寝ている姿は確かめた。一度家に戻り、それから出勤した、と。


 それを聞いて、晨鏡が詩葉に視線を移した。

 そういうことであれば、やはり夜中に世話をしてくれたのは…。


「な、なんだよ。いいからさっさと食べちまいなよ!」


 詩葉は明らかに照れていた。赤い顔を隠すように、おもむろに片付けを始める。

 そうか。そうだったのか。


「どうして…」


 言葉が思わず口からこぼれる。


「どうして、こんなおれを…」


 俯いて尋ねた。自分でも情けないと分かっていた。

 分かっていたが、聞かずにはいられなかった。


「辛そうだったから。だから助けた。そんなの、当たり前のことだろ?」


 あんたがどんな人だろうと、そんなの関係ない。

 そう言われた気がして、涙が出そうになった。


 南信がいなかったら泣いていたかもしれない。

 晨鏡はもう一度言った。


「すまない」


 そして、残りの粥をすすった。

 

 

 

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