「閉門」4

<4>


 1階の店で晨鏡しんきょうが粥をすすっていると、若い役人が顔を覗かせた。

 昨晩、晨鏡を介抱した郷城ごうじょうの若い役人、南信なんしんだった。

 今年で20歳になったと言っていた。それが確かならば、晨鏡より5歳若いことになる。


「晨鏡さん。まだこちらでしたか。目覚めはいかがですか?」

「最悪だな。昨日は世話になったようで、悪かったな」

「え?あ、いえ、いつものことですから。それより困ったことになってますよ。座っていいですか?」


 困ったこと、と口にしながらも、緊張感のない飄々ひょうひょうとした様子で南信が話しかける。


「ああ、もちろん。お前も食うか?」

「粥ですか?いいですね。昼飯まだなんで、いただけるなら」


 問われて晨鏡が調理場に目を向けると、詩葉しようが頷く。

 少し、間が開いた。

 南信は何も言わず、手際よく動く詩葉を見つめている。

 晨鏡が口を開いた。


「おれは、何を言った?」


 南信が晨鏡に視線を寄越した。詩葉が聞くともなしに聞いている。


「そうですね。何が聞きたいですか?」


 どこまで覚えているのか。どこから記憶が無いのか。


「二軒目に入ってから、ほとんど記憶が無い」

「そうですか。かなり荒れてましたよ。途中からですけど」

「すまない」


 晨鏡が詫びると、南信が真顔で答えた。


「謝る相手を間違ってますよ。謝るなら、夏蘭からんさんたちに。瑤陽ようようさんは本気で怒ってましたよ」


 名前を聞いて、泣き顔と怒り顔がつながる。泣いている顔が夏蘭。怒っている顔が瑤陽か。

 二人ともこの街に来てから知り合った「騎射術きしゃじゅつ」仲間だった。

 満足な仕事も与えられず、ただ無為に時間を過ごしていた晨鏡は、3か月前のある日、近郊の双木村そうぼくむらから祭りの許可を得るために郷に来ていた作良さくりょうという若者と出会った。


 申請書の記入に手間取っていた作良を軽く手助けしただけのつもりだったが、作良は大層有難ありがたがり、会話が弾むうちに晨鏡は作良が行っているという「騎射術」に興味を持った。


 祭りは村単位で行われ、騎射術の披露もそこで行われるが、年に一度、郷でも大会が行われており、そのための練習が郷でも毎週末に行われているらしい。

 是非にと強く誘われ、晨鏡はその次の休みに練習を見に行った。

 そして、即座にそのとりことなった。


 老若男女を問わず、自らの体格に見合った馬をり、それぞれの実力に見合った距離と数の的を馬上から射貫く。

 単純だが、奥が深い。

 元々弓術を得意としていた晨鏡だったが、馬上からとなると勝手が違った。


 すぐに週末の練習だけでは物足りなくなり、平日の夕方も馬に跨るようになった。

 1時間から2時間ほど練習をし、気の合う仲間たちと連れ立って酒を飲む。

 いつからかそこに南信も加わるようになった。騎射術には参加しないが、なぜか飲んでいると現れるようになった。


 嫌ではないので共に飲む。多人数で飲んでいると盛り上がる。

 盛り上がれば酒量が増える。


 酒に酔っては記憶を無くし、翌日は午後まで体調が優れない。

 だが、どのみちやるべきことは何もなく、職場では夕方まで寝て過ごす。

 体調が回復するとまた騎射術の練習に行く。そんな日々を過ごした。


 飲み仲間は日々変わったし、一人で飲むこともあったが、馬に乗り、酒を飲んでいる間は楽しかった。

 だが、ふとした拍子にむなしくなった。


 騎射の腕を磨いても、作良と違って村の祭りで披露するわけではない。

 夏蘭や瑤陽のように郷の大会に出るわけでもない。

 酒を飲んで楽しい時を過ごしても、明日の朝には何も残らない。

 気の合う仲間は得られても、自分は一人、無為に時間を浪費している。


 何かをしている仲間が羨ましかった。

 村に戻ればその手にくわを取る作良。

 材木商の娘として店を手伝う夏蘭。


 仕立て職人を目指す瑤陽。

 郷の役人として務めを果たす南信。

 ところが自分には何もない。

 

 6年前、晨鏡しんきょう州試しゅうしと呼ばれる難関の試験を三席|(第3位)の好成績で及第|(合格)した。

 しかもその年の合格者の中で、最年少となる19歳での合格というおまけつきだった。


 州試を合格した者には、王都で行われる国試こくしを受験する機会が与えられる。

 州試合格後、3年以内に初受験を行えば、その後3回、連続して挑戦することができる。


 国試は州試合格者1500名前後の中から毎年80人前後しか合格できない難関中の難関だが、北部州の州試を3位で突破した晨鏡は自信があった。

 だが、晨鏡は国試に失敗した。


 州試合格者は、国試受験のための費用の全額を州から支給される。

 そこには王都での生活費、私塾の学費、書籍代、用具代その他一切が含まれる。

 極めて恵まれた環境。


 また、仮にそれで国試に合格できなかったとしても、州に戻れば州の官僚となることが約束される。

 それゆえに、王都には単なる遊学目的で赴く者も多い。

 いや、むしろそちらのほうが大多数になる。


 王都に出てから3年目に国試を記念受験し、2年半余りの王都生活を満喫して州に戻る。

 2回目、3回目の受験はしない。

 合格しようとしまいと関係ない。

 州の官僚になることが約束された若者たちには多くの利権が群がる。


 国試受験のための私塾でのつながりももちろん今後に生きる。

 どの私塾で学んだか。どの派閥に属したか。

 それがそのまま、今後の官僚人生に生きていく。


 州や王都の商人たちは、若者たちに平気で値札を付ける。

 価値を見出した若者には、州から支給されるよりも、より多くの資金が与えられる。

 もちろんそれは、彼らが官僚となったとき、彼らの口利きによって数倍にも数十倍にもなって商人たちの手に戻る仕組みだ。

 国試を本気で狙わないのであれば、州や商人の金で遊興にふけるだけでいい。


 それらの誘惑を乗り越え、本気で学問を続けた者のみが、国試合格という更なる高みを手にすることができる。

 国試合格を本気で狙った晨鏡は、国試合格者を多数輩出する私塾に入り、良き学友に恵まれて、その学力を伸ばしていった。

 だが、20歳になったばかりの若者には、王都はあまりにも魅力的だった。


 ほどなく晨鏡は脱落した。

 遊興にふける日々は瞬く間に過ぎ、気づいたときには手遅れだった。


 3回受験して、3回とも失敗した。

 失意のうちに州に戻り、州の官僚となったが、「州試三席」という過去の栄光に囚われた晨鏡は、すぐに職場に馴染むことができなかった。

 勤務態度の悪さから、晨鏡はわずか1か月で県城に飛ばされた。


 最初は北東県だったが、そこでも持て余されると、7か月後に南西県に移動させられた。

 本人なりに居場所を求めたつもりだったが、8か月後にまた異動になった。

 1か月ほど州城に留め置かれ、今後は郷に飛ばされた。「郷主相談役」という名ばかりの肩書を与えられて。


 それが半年前のことだった。

 それから今まで、晨鏡は仕事らしい仕事をすることができなかった。

 相談役用の個室を与えられたといえば聞こえは良いが、体よく窓際に追いやられただけだった。


 訪問客は一人もおらず、なすべき業務も何一つない。郷主相談役と言いながら、郷主が相談してくることもない。

 いたたまれなくなって外に出えば、黙って部屋にいてくれ、と戻される。

 いてもいなくても良いのなら、と出勤しなければ小言を言われる。


 そんなとき、作良さくりょうに出会った。

 ぼんやりと中庭を眺めていたら、書類作りに苦戦する作良が見えた。

 出て行って声をかけた。助言をした。それだけだったのに喜ばれた。

 嬉しかった。だから話を聞いた。夢中になれるものを見つけた。仲間になれた。


 だが、虚しくなった。

 何も果たしていない自分が。

 何も為していない自分が。


 無性に腹立たしくなった。

 輝いている他人が羨ましくなった。

 だから爆発した。


 自分ではなく、他人を傷つけるという、最悪の形で。

 

 

 


 

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