蛍舞う、月下の花園にて二人は誓う ~第二部~


 どきんっ――――と高鳴る鼓動が爆発的に血を送り出し、かっ、と顔が熱くなるのが分かる。

 じんじんと痺れる頭の奥で、どこかふわふわと夢心地のまま聴こえて続く言葉は果たして本当に現実のそれなのか――――眼を逸らせない、露稀さんの顔の向こうに広がる光景と相まって、現実感はどこまでも失われていくほどだ。


「レイスに囚われていた時も、私の後悔はけいの事だった。もっと……けいを、好きに、なりたかったのに。もう、会えない、と……思って……」


 そっと持ち上げられた左手は、やがて、いつの間にか緩められていたのか――――露稀さんの羽織るナイトガウンの中へと導かれていく。

 しっとりと汗に濡れた鎖骨下の皮膚が俺の掌へ、すぅっ、と吸い付く。

 ほんの少し下へずらすだけで、閉じ込められた魅惑の双丘へ届いてしまう。いや、もはやかかっていると言っても過言ではない。


 しかしその事よりも掌から、露稀さんの胸を通して伝わってくる情報。そして感情に今は、精一杯だ。


「ずっと……お前の事ばかり、考えているんだ。今、だって……おかしくなりそうだ。分かるだろう? 心臓が裂けそうなぐらい、ドキドキして……切なくて、たまらないよっ……! こんな気持ち……初めてなんだ。逢いたかったのに。逢えて、嬉しいのに。こうしていると……全然、納まらない。胸の内をさらけ出しているのに……全然、落ち着かない……!」


 どくん、どくん、と早鐘はやがねのように脈打つ心臓の鼓動が、俺の手を骨まで震わせる。

 俺自身のそれも相まってもはや、どちらがどちらの鼓動なのかさえ分からなかった。

 露稀さんの顔はもはや真っ赤で、恐らく俺もそうで。

 見る内に、更なる緊張によって露稀さんの唇はかさついていき、そして、俺もまた――――鏡を覗くように、そうなっているのが分かる。


 ――――答え、ないと。

 露稀さんが、ここまで、伝えてくれたのだから――――今度は俺が、伝えなきゃいけない番だ。

 だから……数秒前に露稀さんがそうしたのと同じく、俺もまた唇を開く。


「…………俺も」


 いや。

 “も”じゃない。

 本当は、俺が。俺こそ、露稀さんよりもずっと先に、その言葉に、感情に、辿り着いていたはずなんだ。

 先に伝えられてしまったのは情けないけど……今から、でも。


「いや……俺は。俺は、あなたが好きです。あの時は、魔法少女を助けに行ったんじゃない。露稀さん……露稀つゆきがいない世界なんて、耐えられない。だから、俺は露稀を助けたかった。魔法少女も契約者もない。俺は……露稀と、いつまでも、一緒にいたかったから。何もできないけど。戦う力なんて、何も無いけど。露稀が戦う時は、魔法少女の契約者として。そうじゃない時は、俺が、露稀を守るから。どんな事が、あっても。……だから」


 目の前に見えているはずの顔が、はっきりと見えない。

 霧の向こうに陰るようで。

 恐らく、次の言葉を紡ぐまでは晴れる事はない。





「俺と……ずっと、一緒にいてくれ。露稀」





 そして、霧が晴れたとき。

 目ではなく、互いに告げ合った唇が――――先に、触れ合った。


「ッ……ん……」


 かさかさに罅割れかけた唇を繕い合うように。

 互いの息で湿らせ、そして暖め合うそれが――――最初の、唇の重なりだった。

 唇にかかる息は少し荒く、整えようと試みてはいるようなのに納まる処はない。

 水分を失ってはいても、露稀の唇は柔らかくて、注がれる吐息はどこまでも幽玄に甘くてとろけそうな感覚だった。

 不思議な事に、ああも乱れていた心臓の鼓動が落ち着きを見せてくるのが分かる。

 それは俺だけじゃなく、今も胸元に差し入れたままの手から伝わる、露稀の鼓動までも例外じゃない。


 互い、何かが噛み合った――――そんな、感覚のままに、やがて、渇きを癒し合う唇は離れた。


「ふふっ、話が長いよ、けい。これで……私とお前は、恋人……か」

「……はい」

「言葉が戻ったか? 呼び捨てでいい、と最初から言っていたのにな。……私の、ファーストキスは、お前だぞ? お前も……そうだと、嬉しいな」

「初めてに……決まってますよ」

「なら……これで早くも、二度目か」

「えっ……」


 間髪入れず、露稀さんからまたも唇が重ねられてくる。

 潤いを取り戻した唇は先ほどまでとは別のように艶めかしく、暖かく、弾力に満ちて唇をぴたりと塞いでくるのが分かる。

 吸い込めば、ぷちゅり、という滑りある響きとともに露稀さんの匂いが口の中に満ちてくるのが分かる。

 舌で味わう事さえできそうなほど濃密な香りはクラクラするほど心地良く、それを、もっと集めたいと――――本能で感じた。


「っ……んぅっ……!?」


 びくんっ、と震えた露稀さんのくぐもった声が聴こえた。

 気付けば、俺は舌を、互いの境界を超えて――――つるん、と露稀さんの唇の内側にまで滑り込ませていた。


 何が起きているかを理解した露稀さんもまた。



 口の中に無作法に押し入ってきた、俺の舌を優しく迎えて絡めてくれる。

 睫毛同士が触れ合うほど近いその眼は、どこか――――うっとりとするように、優しく瞼が落ちていた。


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