第二十六話 ~大団円、そして~


*****


 またいつものように、いつかのように俺はバスを降りた。

 さわやかな秋晴れの空の下、寒さは少し強くなったものの、指定色のセーターがどうしても見つけられずに仕方なくブレザーを羽織る事にした。

 通学路で出会うお歴々はどいつもこいつもワイシャツ姿に学校指定セーターかカーデを軽く羽織る羨ましいいでたちばかりで、上着なんて着ている奴は少数だ。

 まぁ、ポケットが増えて便利だし、と自分を慰めてはみるが、この肩が突っ張る感じはどうも好きになれない。

 別にサイズが合わないとかではなく――――伸び縮みしない上着というのは、どうにも窮屈なのだ。


 宵城市上空に現れた超巨大巡礼者は、この漫然と魔法少女とその敵の存在を受け入れて久しい世界にとってもそこそこのニュースではあったものの……それでも、“そこそこ”どまりだ。

 実際、結果的に何事も無く終わったのに加え、巡礼者を切り裂いた月虹の繚乱、そのビジュアルの方がよほど衝撃だったのか。それとも衝撃だったのは新たなる魔法少女の出現のほうか。


「……誰も信じないよな。この正体、それと……」


 俺が……彼女の正体を知る事も。そして、契約者である事も。

 きっと、誰も――――想像だにしないのだろう。


 あの瞬間とともに、左手の指にはめられていた漆黒の“指輪”はその様相を変えた。

 常人の眼には決して見えない契約の指輪は今、見る角度によって色を鮮やかな七色に変化させる不思議な白金のそれへと変わった。

 もう、この指輪を通して俺の体へ溜まった魔力は――――正常な循環へと変わり、たとえ露稀さんが引き出したとしても苦痛が走る事は無い。

 露稀さんが本当の“魔法少女”として覚醒した時、俺もまた、紛い物ではなくなったという事だ。


「……何をニヤついておるのだね、薄気味悪い」

「っ!? セサミさん、どうして……こんなトコに」

「なんだって良かろうよ。お主が顔を見せぬ故だ。もう私に用など無いと見える。ああ、嘆かわしい」

「いや、違っ……」


 飽き足らぬ登校中、裏通りから呼びかけてきたしゃがれた人間の声は久しぶりに聞く。

 俺と同じく、魔法少女の。リュミエール・リーナの契約者でもある化け猫、もとい“猫又”セサミの声だった。

 振り返り、姿を探せば登校路から入る裏道の生垣の前でちんまりと座り、深い緑色の眼をじっとりと刺すように向けてくる二股の尾の黒猫が確かにいた。

 辺りを窺いながら、まだ朝なのにそれでも薄暗い裏道へと入り、身を隠すようにしばし彼女へ付き合う。


「……リーナは?」

「阿呆が。お主が学校ならば瑠璃菜も学校があるだろうよ。あれもあれで寂しがっておったぞ。奴にも例のブツをくれてやれ。案外、気に入るかもしれんぞ」

「……あれ、人間が食べてもおいしくはないですよ?」

「喰ろうたか? お主には人間の尊厳と言うものがないのか」

「ハタチ超えておやつをゆするような事してるのはどっちですかね」

「人間の阿呆のように言うな! ……全く、お主はと言うと……。面白い事を知ったぞ。知りたいか? んん?」

「……分かりましたよ。今は持ってませんから、今日の放課後、公園で」

「良し、良し。……病院の中庭でのひと悶着、誰も詳細を把握できていなかった、と申したな?」

「あ。――――ああ、そんな事、ありましたね。何か分かったんですか?」


 そういえば、そんな事もあった。

 何もかも決着してしまってから忘れていたが、確かに気になる事だ。

 中庭に現れた巡礼者レイスの形態を誰も記憶していなかった。

 その後、セラフィム・ハルナの姿に変わってもなお、誰の心にも残っていない。

 魔法少女の認識阻害魔法としか思えないが、当のレイスはそんな原理を解明できてはいなかった。


「……認識阻害の魔法だが、出所はどうやらその巡礼者……ではない。露稀だよ」

「露稀さん……が? でも、あれは自分にかける魔法で……それに、露稀さんには使えないはず」

「ところが、元よりあやつには天稟てんぴんはあったのだろう? 魔法少女として選ばれたのならそれが証拠だ。……既にあったのさ。借り物の力、と自虐し、自分は決してハルナのようにはなれぬ、と一歩引いていた。それが故に振るえなかった。既に手にしていた友の魔杖が皮肉にも、あやつの素質にフタをしてしまっていたという訳だ」

「……で、使ったのが認識阻害魔法。でも自分じゃなくて、相手に作用していたのは?」

「それは自分で考えろ、たわけが。私にそんな無粋を言わせようてか? ……さて、行け。間に合わんぞ」


 そう言い残して、ささっと生垣に潜り込み、喋る黒猫セサミは立ち去っていった。

 残された言葉の意味には、ほんの少し考えるだけで、気付いた。


 露稀さんは、どんな時でも自分ではなく他人を優先して考える。

 恐らくあの場で考えたのは、“巡礼者が魔法少女へ化ける”事を。ひいては、人間にすら変身する事ができる事を皆へ隠すため。

 もしそんな事が明らかになれば社会はパニックを起こし、隣人さえ疑う、疑心暗鬼が世に広がりまた世界は混沌の渦へ巻き込まれるから。


 そして、もうひとつ。

 セラフィム・ハルナが人間おれを締め上げる姿を、誰にも見せたくなかったんだ。

 いつかまた、彼女が帰ってきて皆のために戦う時のために。

 セラフィム・ハルナを恐れの目で見る人が誰もいないように。

 彼女の戻ってくる場所を、守るために。


 そして無情に鳴り始めるチャイムの音は、遠い。

 一瞬、さっ、と青ざめたものの――――もう焦っても仕方がない事だ。

 もとより学校は一度、この間さぼってしまったから。


「まぁ、いっか。……遅刻していこう、今日は」


 時間は戻らない。でも、前には進む。

 でも、進めば取り戻せるものもあると、知ったのはつい最近の事だ。


 ひとまず、そうだな。


 昼飯ついでに、“猫への貢ぎ物”を先に確保してから……学校へ、行こう。



*****


 そして、数日後。

 露稀さんと俺は再び病院を訪れた。

 治奈はるなさんの意識が回復した、というので……俺は遠慮したけれど、露稀さんがどうしても一緒に来てほしいというので、俺も共に。

 しかし、あの時一度くぐった病院の入り口も、受付への足取りも、その先の病室への足取りも本来は軽いものであってしかるべきなのに露稀さんはどうしても重そうだ。

 確実に良い知らせが待っているはずなのに――――


「怖いんだよ、けい

「……怖い?」


 エレベーターの中で露稀さんが、珍しく弱音をこぼした。


「……私は、治奈に会うのが怖い。今さら何を話せるんだ。治奈は私をどう思っているのか。……四年もの間、彼女を置いてけぼりにして私だけが時を刻んだ。……怖いよ。治奈に、会うのが……怖いんだ」


 四年間、露稀さんは治奈さんを目覚めさせるためにあの悪霊を追い求め、そして彼女の代わりを務めるべく“偽りの魔法少女”として戦い続けた。

 魔法の盾に身を護られる事も無く、自身の正体を隠す魔法も扱えないまま仮面の黒装束を纏い、一撃で相手を倒すしかない紙一重の戦いの日々を生きてきた。

 それでも、いや――――全てが終わった今だからこそ、湧いて出てくる、どうしようもない感情があるのかもしれなかった。

 棘の取れたような端正な美貌が、また曇る。

 それも重苦しい感情によってではなく、どういう表情をすれば良いか分からない、自分の感情さえもどう定めれば良いのか分からないような。

 それを拭い去れる言葉なんてあるはずもない、から――――


「け……蛍……っ?」

「……露稀さん。もう殴られるつもりで会いに行きましょう」

「お前……なぁ……」


 わずかに震える手を、せめて握ってやる事ぐらいしかできない。

 俺ができる事といえば、それぐらいでしかないのに露稀さんは静かに苦笑した。

 喉の奥にでも、ほんの少し、笑いを引っ掛けさせる事ができたのならそれでいい。


「それか……会った瞬間、先に強く抱き着いて泣いてやればいい。流石に何も言えなくなるはずです。後はすかさず俺がフォローしますからそのセンで行きましょうよ。怒る隙も泣く隙も何も与えず一方的にやりましょう」

「……私がそんなにしょっちゅう泣いているか? いや、泣いたな……二度も。仕方ない任せたぞ、蛍」

「はい。まぁ何かあれば、その時に考えましょう」


 四年ぶりのワケアリの再会――――もはや、今さら打てる手も無い。

 悪だくみをいくつか考えて勢いで押し切るぐらいしかありはしなかった。

 俺も俺で、目を覚ました彼女へどういう顔をして会えばいいのか分からないものの……まぁ。

 死にかけた事もあるのに、今さらビビっても仕方ないだろう、殺される訳じゃないんだから。

 エレベーターを降りて、露稀さんの手を引いてまた、彼女の……“白河治奈”の病室を目指し歩く。

 幾分か軽くなったと思いたい足取りは……いざ病室の前へ来ると止まり、また、露稀さんの表情が少しかげる。


「……本当にうまくいくのか?」

「ええ、もう勢いでいきましょう」

「ひどい作戦だな、蛍」

「ノーガード戦法で巡礼者相手にやってた人に言われたくないですね」

「……なるほど、それも違いないな。まぁ、確かに……あの時よりは、ずっとマシか」


 そしてスライドドアを引き、遂に、病室の中へ。

 あの時と同じ空気ではなく機械の駆動音もなければ、酸素吸入器による呼吸音も聞こえてはこない。

 音こそないものの、その中に満ちる空気は前回よりもずっと晴れやかで重苦しさはなかった。

 カーテンも引かれてはなく、あれこれの機械に繋がれてもないまま、おびただしい数の輸液の管もなく、点滴チューブすらなく。

 頭まで覆う掛け布団にくるまって眠る、小さな体が、そこにあった。


「……治奈? 寝てる、のか……?」


 時刻は、昼前。

 まだ眠っているのか、朝食後の昼寝なのか――――掛け布団に覆われた体はぴくりとも動かない。

 傍らには飲みかけたペットボトル飲料があるし、お菓子の空袋も。

 前回には見られなかった、生命の印が。感じられなかった“生活”が、病院とはいえ確かにそこにはある。

 歩み寄る露稀さんに今度は逆に引かれるまま、俺もベッドサイドへ向かう。

 声をかけてもまるで反応はなく、いや、そればかりか寝息でのかすかな上下さえもない。


「寝てるんなら、露稀さん……少し時間を置いて、っ、うわあぁぁぁぁぁっ!!?」

「きゃあぁっ!?」


 がしっ――――と何も前触れも無くがっちりと足首を掴まれ、思わず叫んでしまった。

 それこそ心臓が飛び出るほど驚いて振りほどきながら跳び退ると――――ベッドの下から、白く、小さな手がにょっきりと伸びてきていた。

 更には良く見れば、もう片方の手は露稀さんの足首さえも捕らえており――――俺の悲鳴に重なるようにして、露稀さんもまた悲鳴を上げたようだ。


「えへへっ……大成功。いい反応するね、“蛍”くん」

「えっ!? ……あ、のっ……はるな、さんっ……??」


 ベッド下からひょこり、と顔を出したのは紛れも無い。

 先日までベッドの上で物言わず眠り続けていた、あどけなく優しい顔の少女。

 “始まりの魔法少女”セラフィム・ハルナこと……白河治奈、まさしくその娘だった。


 ちろり、と舌をはみ出させてかわいらしく片目を閉じた表情。

 なおも露稀さんの脚を掴んだままの小さな手。

 ピンク色の病衣の膝を擦るのも気にせず、ずるずると這い出てくる小さな体は、紛れも無く本人だ。


「っ……治奈。お前っ……相変わらず……」

「露稀ちゃんもいい声だったけど、蛍君には負けるね。ふふっ」

「えっ……えー、と……露稀さん……これって……」

「……いつも、こうだ。魔法少女の時の姿しか知られてないんだろうが……いつもイタズラを考えるんだ、治奈は」

「いつも……?」


 まさか、セラフィム・ハルナの素顔はこんな――――イタズラ好きの?


「ああ。この見た目と魔法少女の姿に誰もが騙されるんだろうが……実は全然おとなしくない。優しいが過激な性格で、しょっちゅう何というか……いや、おい。私は驚いてない。蛍が大きな声を出すからだ」

「へー……? 変わらないね、露稀ちゃん。あっと……はじめまして、だね。蛍君。私は……白河治奈。君が助けてくれたんだよね? 露稀ちゃんも。……私も」

「えっと……はじめまして。俺は、別に……何も……」

「見てたんだから知ってるってば。そこは遠慮しなくたっていいんだよ?」


 ベッドに戻りもせず、床の上にぺたんと座りながら見上げる微笑む顔は、まぎれもなくセラフィム・ハルナのそれと同一だった。

 どんな時でも太陽のように優しく微笑み、人々へ勇気を分け与える、この星に初めて現れた“魔法少女”の笑顔。

 そしてこの笑顔を見られる日を誰よりも待ち望んでいたのは、間違いなく彼女だとも言える。


「露稀ちゃん、髪……伸びたね? ふふっ、美人さんだぁ。びっくりしちゃった」

「……はる、な……」


 ようやく実感が得られたのか――――にっこりと微笑みながら見上げる治奈さんへ目線を合わせるように露稀さんもまたその場へ、力が抜けたように床へ、ぺたりと腰を下ろした。


「治奈……あ、ははっ……ふふふっ……治奈……治奈だ……っ! 本当に……治奈が、起きた……」

「うん。……ごめんね、心配かけて」


 震えながらおずおずと腕を伸ばし、小さいままの治奈さんの体を確かめるように。

 その暖かさが決して幻でないと願うようにして、露稀さんは――――ゆっくりと、再会の抱擁へ。


「はるな……っごめん……ごめんなさい……っう、うぅぅっ……ふふっ……うあ、あぁぁぁぁんっ……! あぁぁっ……治奈……本当に……治奈が……っ!」

「もー……泣いちゃだめだよ、露稀ちゃん。私も、会いたかったよ。……私も……泣……うぅんっ……! ふあぁぁぁぁぁ…………っ!」


 二人の嗚咽が混じり合う――――四年ぶりの再会の瞬間だった。

 露稀さんは、これまで見てきた姿がまるで、嘘のように――――治奈さんの小さい体を力いっぱいに抱き締めて。

 治奈さんは、眠り続けた時を取り戻すように、露稀さんの長身を抱き締め、泣きつく頭を撫でて。

 感情が入り交じり、乱れて噛み合う時を分かち合う、念願の再会の一時だった。


 俺は、それを見て――――ただ、一言も発さず病室を出る。


 ここに、もう俺は必要なかった。

 “始まりの魔法少女”と、“月虹の魔法少女”の時を隔てた再会の一時を邪魔する事なく、その場を後にした。


 これは、きっと――――露稀さんの。

 彼女の戦いの日々の一区切り。


 ひとつの、大団円……だった。




*****


 いつも、いつも――――その時は寂しいものだ。

 毎週に渡り追った、彼女らの戦いが終える時が、やがて来る。

 戦いを終えた彼女らをもはや画面は追わず、しかしその後も彼女らに時は流れていく。

 戦いを経て育んだ絆はそのままに、語り合い、繋がり合い、いつしか結ばれた恋人と変哲も無い時を紡ぐも――――そこに、“観客”は必要ない。


 打ち果たすべき敵を倒し、取り戻すべきものを取り戻し、守るべきものを守り――――もう、物語の余地はない。


 それでも、観衆おれたちの時は、続く。

 来週からはまた――――新たな少女達の、愛すべき、見守るべき、戦いの活劇が続く。


 寂しいものなのに、それでも俺は見ていた。

 新しい魔法少女達と出会えるその時を心待ちに、次の週の朝も、眠い眼をそれでも輝かせながら。


 そんな風にして送っていた日々を思い描きながら、明日もまた俺は生きる。


 ベッドに潜り込み、スマホを掴んでアラームをセット――――しようとして、明日もまだ、日曜日だったと気付いた。

 だがその時、折よく、なのか。

 スマホにメッセージが一通、舞い込んできた。

 差出人は月虹の魔法少女、こと――――夜見原露稀。

 内容は。


 『起きているか? 今すぐ、オマエに会いたい。来てほしい。私の、魔法少女の……楽園で、待つ』











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