第二十五話 ~いつも、最後に勝つものは~


*****


 目もくらむような高さで、魔力で編み出された足場は透けて、遥か眼下の宵城市の光景が見える。

 落ちたら死ぬどころか――――落ちている途中で恐怖のあまり死にそうな高さは航空機で初めて到達するべきものだ。

 そしてそこから更に上空には、まさしく視界を埋め尽くす圧倒的な威容を誇る露稀さんが囚われていた魔城。

 複数の星の巡礼者を融合させて生み出した、小惑星と言っても過言でない大きさのそれが重苦しい威圧感を放ち、大気を軋ませ、押しのけながら徐々に、徐々にと近づいてくる。

 思わず唾を飲み込み、座り込んでいた尻の遥か下にある街の夜景と、天体級の大きさの落下物とに挟まれている事実を思い知る。

 落ちて死ぬ、潰されて死ぬ――――真逆のどちらが先か、とも。


「秘剣、花葬十文字」


 ちりりっと空気が擦れるような音がして、上空でもなく、下でもなく。

 俺の“目の前”、……同じ魔力の足場の上で構えを取る、露稀さんの後姿を見た。

 翻る飾り緒、月灯りのような銀髪をはためかせて低く機を見る居合いの構えは、これまで見てきた彼女の姿と。

 すなわち――――“決着の瞬間”と、違わず同じだった。


 とても一息では抜き放てないほどに長い大太刀は輝きを増す。

 大気を押し潰しながら迫る巨城にはもはや目もくれずに夜空の魔女、いや。

 改め“月虹の魔法少女”はこれまでと変わらず静謐に構える。

 

真打しんうち八連はちれん


 淡い七色の幻影剣が鞘へと吸い込まれていき、脈打つように魔力を蓄え、鞘の内で束ねられていくのが見ているだけでも伝わるほどだ。

 そして解き放たれた澄み渡る鯉口の音に続くように、大太刀の鞘を取り巻くようにいくつもの淡い虹の輪が映し出される。

 名月にかかる、薄暗くも確かな七色の光輪を思わせるそれは緩やかにうねり、ゆらめくようにしてその瞬間をただ待つ。

 やがて、更に身を低めた彼女が、ゆっくりと微笑む口元だけを、翻る銀髪の合間から僅かに俺へと覗かせた。

 その唇が僅かに動き、何かの言葉を紡いだようにも見えたけれど、それが何かを考える前に――――ひゅんっ、と舞い上がるように視界から消えてしまう。


「――――十六夜絶華いざよいぜっか


 とっさに仰いだ上空で、彼女は舞う花びらのように優雅に。しかし、風を捉えて離さない鷹のように力強く。

 ふらり、ふらり、と重力に逆らい加速しながら更に高みを目指して舞うように飛んでいくのが見えた。

 夜空に描かれる虹の軌跡はまるで夢の夜にも似て。

 全てを圧壊するべく墜落する巡礼者の魔城、レイスの最後の妄念の一撃を迎え撃つために露稀さん――――いや、魔法少女“シュヴェーアト・ローゼ”は舞う。

 彼女は、この夜空に咲かせる大輪をせめて星を彷徨う者達への最後の手向けとするため。


 キンっ――――と刃物が鉱物に打ち当たるように硬質な、しかし澄んだ音がまず一つ。

 もはや彼女の姿は眼で捉える事ができず、月虹の軌跡だけが数拍遅れでようやく追える。

 きんっ、きんっ、きんっ――――と更に続く、星空より落ちてくる巨星を刻む澄んだ音は恐らく遥か眼下で今まさにどよめく、宵城市の住人にさえ届いたかもしれない。

 いつまでも耳に残る。それでいて心地良い、清らかにさえ聴こえる澄み切った残響。

 

 きん、きん、きん、きぃんっ――――と続く事、更に四度。

 最後のひとつは余韻を残すように少し長く、しかして八度の残響はどれもが打ち消し合わない。

 全てが異なる音階で構成されたような八つの響きは今もなお虚空に響き渡り、心地良く残る。


 仰ぎ見ればそれを奏で、満月を横切るシルエットがわずかに見えた。

 長く伸びる太刀と虹の軌跡は、箒のように。

 たなびく長髪、ゆったりとゆらぐ衣装、さながら月に映る魔女のシルエットは、今宵もまた“魔女の夜”だと告げる凱旋だった。


 そして八つの残響に続き花開く時がやがて来る。

 巡礼者の魔城、そのまさしく小惑星ほどある堂々たる外殻に同時に走る亀裂の数――――八ではなく、十六条。

 彼女の必殺剣は、居合いの二連を放つ。それが八連へと昇華し繰り出されるのであれば、その攻撃回数は実に十六連撃。

 これまで対峙した全てを斬り伏せた必殺剣が、十六連撃となる。


『ガッ、あ、アァァぁぁぁ、あぁぁぁっ――――っ!』


 いわおの内深くから叫ぶように漏れたのは低く、遅延したノイズがかかっているように聴こえても間違いなくその首魁、レイスの声だと分かる。

 声に秘めたのは苦痛ではない。己の運命をもはや悟った慟哭……そう評して構わない、もはや手の施しようがないと知ってしまった、これからの末路を思い知る悲嘆の喘ぎに俺には聴こえた。


『ど、ウ、して……ッどうシテ……ぼく、が……こんな目にぃ……僕が……何をっ……』

「――――分からないのかよ、レイス。お前……。ごめん……教えてやれば、よかったよ」

『なん、デ……っ』


 どこに目があるか、いや、そもそも顔なんてものも、発声器官も見えないのに、今、俺とレイスは見つめ合っていると分かった。

 これは、互いの最後の会話だ。

 だからどうしても――――答えだけは、教えてやりたいと、今は思う。


 いつか必ず持っていたはずのそんな答えさえも分からなくなってしまった、遠く離れた星の末裔に、せめて最後に。


「――――いや、けい。その答えは私が教えてやるべきだ。……それは、魔法少女の役目だからな」


 しかし答えは遮られ、再び魔力の足場の上へ降り立った彼女が人差し指を口に当て――――切れ長の目にいたずらな輝きをも湛え、くすり、と微笑みかけて俺を見つめていた。


「……つ……“シュヴェーアト・ローゼ”……」

「まじまじと呼ぶな、恥ずかしいだろうが。……さてと、レイス。最後の答え合わせだ。私がこの星の真理を教えてやるとも。何せこの星では知っている事だ」

『っ……ど、う……しテだ……おしえ、て……おしエて……くれ……っ』


 完全に空中で動きを止めた魔城レイスへとゆっくりと振り返り、仇敵に向ける者とは思えないほど晴れやかな微笑みとともに、“魔法少女”は最後の一言を、紡ぐ。



「必ず、最後は――――――――“愛”が勝つのさ」




 そして、夜空に絶景の大輪が咲き乱れる。

 十六の傷は全てが魔城の中心核にも達し――――深い断面からはこれまでの露稀さんのトドメと同じく、幻影の花が咲いた。

 だが、その色は、漆黒ではない。

 鮮やかな赤、橙、黄、緑、青、藍、紫――――七色にて描き出す虹色の幻影花が咲き乱れ、花弁を散らし、魔城を七色の花々で彩り尽くしていった。

 夜空にかかる月虹を束ねて贈る、新たなる魔法少女として生まれ変わった露稀さんの放つ必殺技に苛烈さは感じない。


 むしろどこまでも綺麗で優しい、救いの手として繰り出されるようにさえ見えたほどだ。

 恐らくは、この剣に痛みは無い。

 レイスも己の運命を悟ってはいても、苦痛に喘ぐ声は一度たりとも漏らしていないのだから。


 虹の花々に取り巻かれた魔城はやがて、ぽろぽろと解けるように消失を始めていく。

 宵城市の上空で巡礼者の集合体は、今宵もまた繰り返されてきたように、光へと還る。


 やがて最後の一かけらが散りゆく瞬間、最後に残った一つかみの光の泡がレイスの顔の形を成したように見えた。

 悔しげでもありながら、同時に全てを受け入れたような。

 ようやく、自分達が滅びた理由を知る事ができた――――そんな納得を浮かべるような、安らかな顔で。

 

 最後に、か細く。しかし、確かに声は聞こえた気がした。

 今この星に生きる人類への激励のような。この星への警告のような。最後にようやく何かを取り戻せた、僅かな希望のような声を。


 ――――せめて俺だけは忘れないようにしようと、思う。




*****


 そして、宵城市の。俺の、あまりに長かった二度目の“魔女の夜”は終わる。

 流石に街の上空にあまりに巨大なモノが現れればパニックは起きていたらしいものの、一晩すればこともなし、と。

 しかし、この夜に起きた重大な事は二つ。


 ひとつは、露稀さんの……新たな魔法少女の誕生。

 そして、もうひとつは。


 それこそが、まさしく――――露稀さんの戦い続けた理由だったのだから。








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