第二十四話 ~月虹の魔法少女~
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眼前の光景が、虹に染まり、薄れていく。
ゆっくりと振り返りながら湛えていたはずの殺気にかすかな困惑を浮かべる
天より降りた虹のベールが私と世界を遮り、私を護る。
とても暖かくて……裂けた足裏の苦痛も、底冷えする寒気も、涙と共に詰まった鼻腔の奥のつんとした痛みも泡のように消えていく。
私を通して溢れ出た暖かな力がやがてカラダを包んでいく。
心地良さのあまり蕩けて、開けていられなくなった
これは、私の新しい
ああ、とても――――とても、楽しみだ。
早く、見たい。
そして私の新しいドレスを、あの人に、見てほしくてたまらない。
いつも、私は……偽りの魔法少女として力を纏うたび、怖くてたまらなかった。
また――――必殺の戦いをしなければならないから。
今度こそ、バラバラにされるかもしれない。踏みつぶされるかもしれない。吐き出された炎の中、地獄の苦しみを味わうのかもしれない。
朝、自分に手と足が全て揃っている事を確認する大きな幸せがいつしかささやかな呪いと化してしまう事に、慣れてもしまった。
でも、もう……そんな事を、考えなくていいんだ。
私を守ってくれる力が、ある。
この力をくれたあの人を私はもう、守ってあげられるのだ。
“なるべく遠く離れて自分の身は自分で護って逃げ回れ”、なんて、言わなくていい。
いつまで経っても、暖かいまま……生命の海のような虹の繭の中で私は
そして、私は少しだけ居眠りをしてしまったように思いながら……再び開けた視界は、数秒と経っていないように思う。
そして、虹の繭は一瞬でほどけて。
私は再び、ゆっくりと――――継ぎ目のない水晶の床へと、重力を今初めて知ったかのように、足を下ろした。
「――――バカな、有り得ない! 君は魔法少女じゃない。それに、魔杖だってなかったはずじゃないか! セラフィム・ハルナの魔杖はもう……っ!」
狼狽する敵の声に耳も貸さず、あらためて私は私の姿に視線を下ろす。
これまでまとってきたドレスとそう変わらない意匠の、深く切れ込んだ胸に露わな太もも、刺すように尖った雪駄のような仕立ての和装に合わせたヒール、しかしその全体の色合いは違う。
黒く染め抜かれた飾り緒をあしらう長い袖には、夜空の星々のようにひとりでに輝く魔の光が点々と散りばめられる。
更には一条の虹、一筋の黄金の流れ星がドレスの上へ広がる夜空へ時折映し出され、スクリーンの上を滑る投影像のように流れていく。
視界の端に浮かぶ、私の――――伸びすぎた髪は、見慣れた黒ではない。
まるで夜空の星々を繋ぎ合わせた光のような白銀。
新たなドレスを得た私の髪の色は、治奈……セラフィム・ハルナと同じ、銀髪だった。
魔杖を握り締めていた左手にも私が選び、振るい続けた武器とそう変わらない長尺の
ゆるやかに反った柄を取り巻いて
右手を差し伸ばして柄を握れば、すぅっと溶けて失せ――――再び現れ、今度は私の利き手の周りで、七色の光の帯が無邪気な妖精の航跡のように遊ぶ。
それはきっと……私が探し求めた光。
太陽のように眩しくはなくとも、闇夜の中に確かにあってくれるもう一つの……この星を見守る、古き光。
そして淡くとも、闇の中にも確かに架かるのだと証明する、もう一つの約束の虹だ。
「――――星陰に魂喰らう星界の漂流者よ。闇夜に咲く大輪をもって手向けとしてやる」
そうだ。
“魔法少女”ならば――――言わなきゃいけない台詞が、あったな。
でも流石に、十七歳ともなれば恥ずかしいんだ。
お前の、見ている前だから……特別だぞ? ……蛍。
気持ちいいけれど――――本当に、死ぬほど恥ずかしいんだから。
「
名乗りを終えるとレイスは怯んだような表情を見せた。
そして、窺えない背後からは焼けるような視線を感じて、ぞくぞくと身が粟立つのが分かる。
私だって、その様式の美は分かっていた。
だが、分かっていなかったのは。
その、恥ずかし気も無い名乗りが――――こうまで限りない力を、もたらしてくれるとは。
「っ……往生際の悪い! 死ねよ、そのクズともどもっ!」
びゅんっ――――と風を切る音とともに、レイスと私の間にある床の水晶が流動するように伸びて、無数の鋭い
そのどれもが無力に終わる。
私を取り巻き守る、七色の刃がひとつの力で。
「――――“
添えた右手の中指で柄を叩くと響く、澄み渡る鳴弦の音。
とともに左手の大刀を取り巻く虹の一色が離れ、沈んだ色合いの翠緑の
その幻剣の成す魔法の力は“治癒”と、“護り”。
私の背後で、腹部を穿たれた蛍の体は癒され、血は止まり、時を巻き戻すようにその傷は塞がり癒えていく。
更には分け与えられた魔力により魔法少女の防御障壁と同等の加護を与えられ、毛ほどの傷も付きはしない。
そう。――――私、ともどもだ。
突き出した右掌に触れるまでもなく、私を害する水晶の刃のことごとくは砕け散っていく。
ぱきん、ぱきん、ぱきん、と、巡礼者の体と同じ組成で作り出された水晶の刃は、儚いガラス片のように砕け、光の泡となって消えてゆく。
いつも、見てきたように。
セラフィム・ハルナへ放たれた矢のように。リュミエール・リーナを突き刺そうと向かう爪のように。
この私の眼前で星の巡礼者が作り出した害意は、呆気なく弾き折られていった。
「その、程度か」
「何だと……っ!?」
「驚いたのか? ……魔法少女は、守るべき者達に、流れる血を見せてはならないのさ」
ようやく実感する、私は“魔法少女”なんだと。
ならば、もう恐れるものは無い。
恐れなくて、いいんだ。
「新たな
「クッ……ふ、ふふんっ……調子に乗るなよ? 分かってるんだ。君の事なら、僕はもう全て分かっている。どれだけ強くても……長く戦えないんだって事も!」
たじろぎ、後ずさるレイスの号令に従い、床から絞り出されるように、更に三体の巡礼者が現れる。
その外観は遊園地の廃墟で私を追い詰めたものと同型、しかしその体色は黒く、硬質化した外鱗まで併せ持つ甲殻の魔犬。
更にはその背から生える大剣の触手に加え、尾はサソリのものに酷似した――――ぼたぼたと垂れる酸性の毒液までもが滴る、五爪の魔物。
口元にはパチパチと帯電する黒い靄がかかり、あの場では見せなかった攻撃手段までもがあると分かった。
「刻み払え、
更に、二度の鳴弦、二色が離れる。
大太刀を取り巻く虹の帯から放たれた色が空中で実体化――――血のように染め上げられた両刃の西洋長剣へ、妖しく光る紫色の木鞘の飾りなき太刀へとそれぞれ変わる。
『ギッ……、ア、ア゛ァァァァアアァァッ! ギャフ、ガ、ギッ……!』
赤き刃の特性は“自律攻撃”。
私の意思が敵と定めたそれを、その命尽きるまで執拗に追い、跳ねのけられようとも斬り刻み続ける。
空中を踊る赤の刃は左手の一体が繰り出す触手を防ぎ、避け、弾かれればそれを勢いとして利用してカウンターの斬撃を薙ぎ払い、先日の私を散々にいたぶった癖悪い触手を容易く切断していった。
その威力、一撃一撃がかつての私の必殺剣と同等にして、速度までもが同等。
甲殻の黒犬は身に着けた防御力さえ十全に発揮できずに触手も切り離され、えぐるように甲殻を削ぎ取られ、もはや一瞥する必要すらなく戦闘能力を完全に失い――――やがて、消え去る。
眼前で一蹴される同胞の姿に――――もはや意思さえなくした巡礼者にして、芽生えた使役獣の意識さえも気勢を削がれたか……残る二匹の魔犬もまた、二の足を踏んで立ち止まる。
だが私の前に立ちふさがるというのならば、容赦はできない。
姿勢を低め、これまで幾度となく構えた抜刀の構えを取る。
それだけで力が無限に湧き上がる。
私は、こうして戦ってきたのだから。
戦ってきた日々は無駄ではなかった。
今日は何もかもが叶った、素晴らしい日なのだから。
今日から、私は。
「この世界を守るために。蛍を。蛍とともにあるこれからの日々を守るために戦うんだ。――――たとえ、何者が相手でも臆するものかっ!!」
紫の刃の特性は、“連撃”。
私の攻撃に重なるように、追撃を放つ
「
抜き放つ刹那、鞘から溢れて乱れ舞う、一陣の
夜空に舞う桜吹雪を彷彿とさせる、桜色の剣気が月虹を従えて――――抜き放たれた大太刀の一閃を押す。
同時に踏み込む背もまた、突風の加護を受けて、怯えるように身を強張らせる黒犬の巡礼者を間合いへと引き寄せた。
横一文字の一閃。
次いで返す、逆袈裟の一閃――――納刀。
硬質な外鱗の手応えも感じず、刃は通った。
するん、と……豆腐ほどにも手応えなく、しかし確実に、この葬送の技は通った事を確信する。
私の一撃を真似て放たれた、紫の刃もまた同様。
律儀にも私の納刀をも真似るように、その寸前で留めたままだ。
「咲き乱れろ、黒死の薔薇よ」
告げて納める一瞬。
二体の黒犬の断面を持ち上げるように黒死の薔薇の花畑は咲いた。
そして一瞬の間の後――――炸裂。
甲高い結晶の破裂音が幾重にも重なり合い、魔力の炸裂が広間の大気を揺るがし、私の髪をも揺るがして、紫の刃はやがて手元へ還ってくる。
「……す、ごい……っ」
ようやく口を開けるようになったか――――背後から、見惚れるような
振り返って微笑みかけてもやりたいけれどまだ敵は私の前にいる。
「クッ――――くくっ、なるほど、なるほど。分かったよ、分かった! 僕じゃ君には勝てないなぁ。じゃ、仕方ない! せめて、こうして――――せめて君を踏みにじってやるよ!」
狂気を滲ませた笑いと共にレイスはその身を変貌させた。
いや、融合――――と言えば良いのだろう。
巡礼者の融合体によって織り成されるこの空間へと、その身さえも投じて、最後の一撃を放つように。
レイスの、痩せぎすの科学者のような風貌は溶けていく。
長い旅路の末にようやく手にしたかつての姿さえ捨て去り、再び実体を捨てて高エネルギー体へと変わり、紫水晶の床へと吸い込まれるように消えていった。
直後、空間は著しい震動とともにびきびきと姿を変えていく。
レイスの最後の抵抗の意思とともにこの空間は変貌する。
反撃、もしくは最後の足掻きとして。
「うわっ――――!?」
「蛍っ!」
何が出てくるのか、と身構えていれば拍子抜けにも――――私と蛍を吐き出すように、床が抜けた。
元から床などなかったように、ふわり、と浮遊感があったのも一瞬の事ですぐに私と蛍は重力に引かれるがまま、“落下”していく。
飛行機でしか望めないような光景、足元にあるのは夜を迎えた街の絢爛たる灯り。
逆転した天地の光景、その中にあるいくつかのランドマークの光を見て気付く。
ここは。
この街は――――。
「宵城市、上空……だと」
「露稀さんっ、落ち着いてる場合じゃ……! 落ちますってっ!」
ああ、そういえば……落ちている最中だった。
慌てふためく蛍の声を聴くのも久しぶりの事で、思わず忘れかけていた。
でも、今の私なら……何だって、できそうな気がする。
望めば飛べるだろう。
宙に、立つ事さえ――――!
「えっ……!? これって……」
「おいおい、慌てるなよ、蛍。オマエは――――私のパートナーだろう? なら、この程度を危機と呼ぶのはやめておいてもらおうか」
空中を踏み固めるようにヒールを下ろせば、呆気ないほどに簡単に、私の意を組むように魔力の足場が生成され、蛍もまた同様、魔力の足場に受け止められた。
高度は数千メートル、黄金に光る魔法陣を踏みしめて見上げれば、そこには今の今まで私が囚われていた“巡礼者の魔城”が威容を誇っていた。
一体その外郭は、そして高さは何平方、何十メートルあったものか。
傍目には巨大な岩塊としか見えない浮かぶそれはもはや隕石などとも呼べず、小惑星と呼んでも差し支えないだろう。
こんなモノがどう隠蔽されていたのか分からないが、はるか眼下には私と蛍、治奈、そして白馬鹿が住まう、私たちの街――――宵城市がある。
『は、ハハハハハハハッ!! 潰れろ、潰れろっ! キミも、ハルナも、ついでにマガイモノのオマエも! この星は、ボクの――――』
…………呆れたものだ。
こいつがこのバカげた質量のまま宵城市に落ちれば、付近はおろか地球の環境すら一変させてしまうのに。
最悪、ここは死の星となる。そうなればもはやこいつが手に入れたがっていた魔法の原理も、そして新たな安住の星さえも消えてなくなるのに、そんな事さえも見失ってしまったのか。
「でも……それで、いいんだよ」
――――なぁ、レイス。
オマエがどうしてそこまで“魔法”の解明にこだわったのか……オマエも気付いてないのだろうが、私には、分かったんだよ。
オマエは、自分が……母星での研究者だと気付いた。
だけど、その目的だけはどうしても、思い出せなかったようだ。
「オマエも――――救いたかったんだろう?」
きっと、コイツも……命を失っていく星を、救いたかったんだ。
科学の限りを尽くしても救えなかったかつての母星を。そこに息づいてきた私達とはまた別の人類を。
救う手段を見出せなかった事を、数万年以上の孤独な旅の中で、その後悔すら風化してしまうような長い時の中で、それでも尚、化石のように眠らせていたんだろう?
その妄執の理由さえも、とうとう思い出せないまま――――オマエも、狂気に再び堕ちてしまったんだ。
「だが、それとこれとは、話が違う」
それは、それとして……オマエを、止めねばならない。
幾度刻んだとて飽き足らぬオマエを救ってやらねばならない。
しかし、それもまた――――私にとっては数ある理由の一つでしかない。
「……治奈を」
この怒りは。
この四年間、忘れた事が無い、怒りは。
「治奈を
魔力で編まれた足場の上、再び構えを取る。
握り締めた大太刀から離れた七色の刃は私の背を守るように実体化して七本の剣と化し、一本、また一本、と――――私の鞘へ踊るように吸い込まれ、ずしりと重みを増していく。
「……
七つの刃を吸い込んだ大太刀はずしりと重く、しかし今にも抜き放たれてしまいそうな圧とともに、むしろ留め置く事のほうに力を要するほどだ。
解き放つときはすぐそこにあり、昂るのに……とても、静かな気持ちだ。
空高くより墜落する魔城はひときわ大きくなり、大地を穿ち、巻き上げた粉塵は地球を覆い尽くすだろう。
なのに――――絶対に、絶対にそうさせない確信があった。
「
この力で。
今度こそ、私は――――守って、みせる。
「――――
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