第二十三話 ~変身~


*****


 時間にすれば、一週間もしてはいない。

 それなのに、ようやく会えた露稀さんは憔悴しきっていた。

 レイスが露稀さんに何をしたのか、思い描くたび――――何を思い浮かべても怒りに胸がざわつき、むしろこの独房の冷たい空気がありがたいぐらいにさえ感じるほどだ。


 見渡せば、四畳ほどもない岩山をくり抜いて作ったような無骨極まる石の牢獄は、中世ですらこうまで劣悪ではないはずだ。

 壁の穴からわずかに差す光は日光でない事は、明らかだった。


 露稀さんの“楽園門”を辿る旅路は容易くない。さっきの台詞は照れ隠しだとかではなく本当に道に迷って、あやうく、氷原の中にあった冷たい薄氷の張る池に落ちそうになった事もある。

 それでもこうして辿り着けたのは、偶然じゃない。

 視界すら霞む吹雪の中、ぽつぽつと灯る光が弱々しく、しかし確かにあったのだ。

 ゆっくりと打つ心臓の鼓動のように、それは凍てつく光景の中に息づき、俺の道しるべになった。

 明滅する光を追えば開けた空間に辿り着き、そこに、氷の大結晶が大輪の花のように咲き乱れ――――それに囲まれるようにして、露稀さんの今いるここへの“扉”がきちんとあった。

 彼女は、いつもこの氷に覆われた地獄の光景を通って、星の巡礼者の暴れる場所へ現れていたのを思うと。


「……露稀……さん」


 体が軋むほど強く抱きしめ――――いや、締め上げられると言っても過言ではない。

 上に着てきたコートは風に飛ばされ、中に着込んでいたパーカーはあちこち凍り付いているのに、それでもお構いなしに露稀さんは俺に強く抱き着き、俺も、またしばらくそうしていた。

 しゃくりあげる彼女の呼吸が落ち着いた頃、ようやく言葉を作れる余裕ができた。


 冷え切った牢獄の中、露稀さんは胸と腰を最低限覆うだけの布を渡されているだけの姿。

 見えている足の裏には擦り傷ができ、墨を流すような艶やかだった髪もまた、張りを失って。

 それなのに、言える事なんてこれぐらいしかない自分が嫌になりそうだ。


「露稀さん、立って。……魔杖は、どうしました?」

「……奪われてしまった。恐らく……奴が、まだ、持っている」

「そうですか。……なら、探しましょう。ここなら人質も何もいない。今度こそ……」

「でも……治奈が、まだ……」

「その事ですが。……ごめんなさい、リーナに話しました、治奈さんの事」

「白馬鹿に?」

「はい。……露稀さんが帰るまで。治奈さんの体を、守ってくれるように頼んでます。魔法少女は――――ひとりじゃないんですから」

「……そうか」


 リーナに事情を話した事で怒られるかとも思ったけれど、露稀さんの反応は存外に素直なものだった。

 もはやそうする気力も無い――――とは流石に思いたくない。

 ひとまず俺はパーカーを脱ぎ、露稀さんに渡した。


「とりあえず、これ、着てください。だいぶ水気が沁み込んでますけど……」

「いや、構わないさ。……暖かいよ、とても」


 さっ、と彼女が袖を通すといくらか目のやり場はマシなものになった。

 しかし胸は隠れても、長身に伴う脚の長さのせいで下半身の方は隠しきれないようで、太ももから先はほとんど露わなままだがそれはいつも通りという事にして、視線は外す。


「……案内なら、できると思う。私はだいぶ……連れ回されたから」



*****


 衝撃的な事に、独房の石扉は施錠すらされていなかった。

 もとより露稀さんが逃げる事など想定していなかったのか、それとも逃げたら即、刑を執行する準備でもあったのか。

 露稀さんの足元を気遣いながら、長い石畳の――――歪な鍾乳洞にも似た回廊を、露稀さんの囁きを頼りにひたすら進んだ。


 この牢獄……いや、“空間”はおそろしく歪んだものでもあった。

 露稀さんが押し込められていた部屋のように荒涼とした回廊かと思えば、磨き抜かれた大理石のように滑らかな一角が突如として現れる。

 そして少し進めば、継ぎ目のない紫水晶のような素材で形作られた、美麗ながらも無機質な空間に、出所の分からない灯りがともされてもいる。


 技術レベルが、分からない。

 炎の灯る原始的な石窟、柔らかな昼光色の洗練された空間、それが交互につなぎ合わされて作られたような困惑ばかりを増す、歩いていてさえ吐き気を催しそうになる混沌の迷宮としか言いようが無い。

 そのちぐはぐないびつさはまるで、これまでに散々対峙した“星の巡礼者”を彷彿とさせるほどだ。


 レイスはおろか、獄卒の役目をなす巡礼者の一体ぐらいはいるかと思ったのにそれさえない。

 誰とも、何とも出会わない。まるで、そう。

 ――――誘い込まれている、ような気さえするほどだ。


「……“魔法少女”として選ばれる条件は、何なのだろうな」


 迷う事も無い、しかしつたない足取りの中、誰にも聞かれる心配がないのならと――――不安感をもみ消すような、そんな言葉が俺の耳に飛び込んでくる。


「別に……私が選ばれるべきだった、と言いたいんじゃない。治奈が。あのどうしようもないお節介な白馬鹿が。選ばれた理由は、何だった? ……年頃の少女ならいくらでもいるだろう、この世界には」

「……分からないんですか、露稀さん」

「えっ……?」


 その条件に、俺は……いや、多くにとって見当はつくはずだ。

 “魔法少女”を知る人であれば間違いなく。

 彼女らが変身し、華麗なコスチュームに身を包んで戦う、ヒロインである理由は――――。


「たぶん……露稀さんにも、もうそれはある。“地球の意思”なんて、確かめる方法は俺にはない、けど。それでも」

「……何が言いたいのか分からないが、買い被りだ。私はそんな、大したものじゃない」

「露稀さんはいつも行動の理由は、“人のため”だったじゃないですか」


 そう、思い出すといつもそうなのだ。

 露稀さんは、きっと、否定するけど……露稀さんが立つ理由はいつも、“誰かのため”だった。


 俺を助けてくれた時も。

 空回り気味なリーナを助けに割って入る時も。

 目の前に不倶戴天の仇敵がいるのに、治奈さんと病院の人々に危機が迫れば語った“復讐”など捨てて、迷わず上空高くの巡礼者を斬り捨てて魔力を使い果たした。

 その後、俺と治奈さんが人質にされた時も――――自ら、身を差し出した。


 何より、いつも……星の巡礼者が現れれば、必ずそこに登場した。


 身を護る手段がなく、一撃で敵を倒さねばならないのに。

 魔力があまりに少ないのに。

 そこに現れた巡礼者が、レイスでないと分かっていたのに。

 それでも。

 露稀さんは、一度たりとも逃げなかった。

 人々を守るために、どんな時も立ち向かった。


 それが――――“魔法少女”の資格でないなら、いったい何だと?


「……だから言っているだろ、買い被りだと。……その先だ。その先に、奴の……居場所がある」


 言外の意図は、きっと気付いているはずだ。

 それでも露稀さんはいつもと変わらず、振り向いて見れば少しだけ顔は赤かったがすぐに背けられた。

 回廊の先に視線を戻せば、ひときわ異彩を放つ大扉があった。

 俺は迷わず、そこへ飛び込む。

 どの道、きっと――――ヤツとの対峙は避けられないならば、と。

 身体を叩きつけるように強く押し開けると、俺の背丈を遥かに超えている重厚な扉は、呆気ないほどに軽く開いてしまった。


 そして、そこに。


「やぁ、待ってたよ。どうやったかは知らないけど、君を招待しちゃいないんだけどさ。……でもまあ、ちょうど、君にも訊きたい事ができたところだった。ようこそ」


 大広間――――学校の体育館ほどの空間が、そこに広がっていた。

 全体が暗い紫色の色調に光る、滑らかな紫水晶の床。

 脈動するように光る不気味な壁に囲まれた真ん中にある人間大の大きさの半円柱状の……恐らくは、実験台。

 異様な空間の中、特に目を引くのは最奥の、組まれた祭壇に見える場所に安置された人間の頭ほどの大きさの水晶に閉じ込められた、ほのかな桃色に輝く光の珠。

 そして傍らに立つ不気味な男の、初めて見るのに分かりきっている正体。


「……ずいぶんはかどってるらしいな、お前も」

「いや、それほどでも。……募るばかりだ、この星の謎といったら」


 不気味な銅色の髪、妄念にけぶるような陰湿な眼差しの男はやがて、取り出す。

 手元に弄ぶは露稀さんの、そしてもとは治奈さんの持っていた神秘の道具、魔法少女の魔杖を。

 ちゃらちゃらと揺れるチャームの特徴的な指揮棒に似たそれは、すぐ間近にある桃色の光球の輝きを照り返す。


 先ほどから、ずっと――――露稀さんは一言も声を発しないまま、きゅっ、と俺のシャツの裾を震えながら掴む。

 それどころか弱々しくすらあり、対峙する俺の後ろに隠れているようにも思うけど、それでいい。

 ここから先は、しばらく俺の出番になるから……振り向きもしない。


「侵入された以上、君達が来るのは分かっていた。手ぶらじゃ帰れないんだろうしさ? ……紛い物の君に一方的に質問するのもなんだ。先に僕の調べた事を教えてあげようか?」

「はっ……。いつも思ってたけど、友達もいない、喋りたがりの寂しい野郎だ」

「付き合ってくれる君もずいぶん優しいと思うけど?」


 ――――確かに、違いない。

 こいつについて、分かっていた事といえば……こいつ自身、自覚があるかは分からないが、会話には乗るタイプだと言う事だ。

 数万年の宇宙の旅の孤独の反動か、それとも俺達への見下しからくる愉悦か、ともかくずいぶん饒舌だ。

 だからこそ、窺える隙なら、いくらでもあった。

 俺はゆっくり、露稀さんの手を振りほどいて……独り、祭壇の傍らのレイスに近づく。


「蛍……」

「大丈夫、露稀さん。……俺に任せて、そこにいて」


 一歩、また一歩。近づけば近づくほど――――やせぎすの風貌に反する威圧感が、そいつにはある。

 こうも小さく、人に近い姿をしていてもこいつもまた“星の巡礼者”の一体だ。

 数十メートルにもなる魔獣に変貌する事もできるし、一瞬で俺を塵にでも肉片にでも、好きなように調理してしまえる超常の存在には変わりない。


「この“魔杖”と君達が呼ぶ道具。素材は検証したけれど……別になんてことはない。この星にも、宇宙のあちこちにもあるありふれた金属に他ならない。……何故こんなもので、君達は“変身”できるのだろうな」

「さてな。お前に分からないなら俺にも分からないだろ、魔術師さん。変身できるのはお前もだろ?」

「……君も人の事言えず饒舌だね、今日は。何か企んでるのかな?」

「別に、何も。……そこの水晶の中身は」

「ああ、これ。言わなくたって分かるだろ?」

「治奈さんの魂だな」

「魂、って言い方はあまり好きじゃないんだけど。僕のいた星では何か別の呼び方があった気がするのに思い出せないんだ、もどかしいよ」


 距離、およそ三メートル。

 おどけるように魔杖を弄びながら落胆の表情を浮かべる仕草は嘘をついているようではない。

 ちら、と後ろを見れば露稀さんは俺の言った通り、駆け出しても間に合わない距離に心細そうに佇んで、俺を見守っていた。

 微笑みかけてはみたけど、きっとひどくぎこちなかったはずだ。


「で、君に訊きたい事というのは……単純な事なんだ、なのにどうしても分からないんだよ」

「言えよ。答えてやる」

「君――――どうしてここへ来た?」

「……は?」


 これは演技じゃない。

 本当に……本当に、心の底から。

 呆れて言葉も無く……ただ、訊き返してしまった。


「来た方法は分からないけど、来る理由が分からないんだ。だって、無いじゃないか――――合理的な理由がまったくない。どうせ何もできない君がなぜ露稀ちゃんの所へ?」

「ふはっ……あ、ははははっ……お前……マジで言ってんのか!?」

「……笑うなよ、答えろ、未開の星の劣等」


 そうか。

 ――――敵、だったんだ。


 こんな事も分からないヤツが……地球の敵だったのか。


「いいよ、教えてやるけど……そろそろお前の目的も聞かせろよ。まぁ、分かっちゃいるけどさ」

「話を逸らすな」

「お前は“魔法”を解明したかったんだろ。……そしてセラフィム・ハルナになり替わる。そうやって地球を自分達の。いや……“自分の”ものにしたかったんだ。大方、そんなところなんだろ? 地球人を騙して。“星の巡礼者”を手先にして。この、星を――――なんて。気持ち悪いんだよ、お前」

「いい加減に答えろ、劣等種!」


 ――――激した瞬間を逃さず、俺は、飛びかかる。

 十分に間合いを詰められていた事すら気付かなかったか、激高とともに握り締めていた魔杖への警戒が留守になった瞬間。

 俺はそれをひったくる事には、成功した。けど。


「っ――――あ……うっ……!」

「……こうなる事も分からなかったか? クズめ」


 腹に感じた重たい衝撃、次いで鋭く内側を抉る痛み。

 目を落とせば、俺の手の中には確かに治奈さんの魔杖がある。

 でも。


「蛍っ! ……うそ、だ……そんな……っ」


 腹部に突き立ち、鋭く食い込んでいたのは――――床から硬質なまま流動するように生えた、紫水晶の杭だった。

 じわり、と漏れていく血がその表面を伝い、床へと流れる。

 痛覚、感覚はある。それなのに下半身の存在感が消え失せて、脚から力が抜けて立っていられなくなってきた。


「ぶはっ……!」


 口の中に広がる焼けるように熱い鉄臭さ、やがてそれが口に留め置けなくなるほどに溢れ、えずくように吐き出すと視界が更に赤く染まった。

 露稀さんが何か叫んでいるような気がするけど――――だんだん、聞こえなくなってきた。


 でも。


 どうしても、まだやらなきゃいけない事がある。


「ぐっ……お、おぉっ……!」

「投げ渡すつもりか? ……立っている事すらできないのに。もういい、死ねよ」


 

 この空間は、“星の巡礼者”が変化しているに過ぎない。

 いびつな空間の繋がり方は、これまで星の巡礼者が模していた姿と同じ印象だった。

 ならばこれで、砕く事ができるはずだ。


「っ――――!」


 “魔杖”を握り締め、俺の腹をぶち抜いている水晶へ振り下ろすと……呆気なく、死にかけている俺の力でさえ、簡単に砕く事ができた。

 まるでアイスピックで氷を割るように――――むしろ勢い余ったほど。


「何!?」

「魔法少女、の、……力の、源……“魔杖”な、ら……ブッ壊せる……だろ」


 そして、俺の――――の目的。

 それは。


「あ゛っ……あ、あぁぁぁぁぁぁっ――――!」


 倒れ込むように――――治奈さんの魂を捕らえている水晶へ、魔杖を打ち込む。

 それだけで容易く砕け散り、ほんの一瞬眩い光を放った桃色の光球は自由を得て――――俺の周りを一度だけ旋回し、やがて、魔杖もまた吸い込まれるように治奈さんの魂と同化し、矢のような速さで水晶の壁を貫き、穿うがちながらいずこかへと飛び去って行った。


「ははっ……ざまぁ、みろ……これで……治奈さんは……っ!」


 ようやく――――倒れる事ができた。

 治奈さんの魂はこれで、体に戻るだろう。

 “始まりの魔法少女”はこれで解放されたはずだ。


「蛍……しっかりしろ! 目を開けないか! おいっ……! イヤだ……こんなの……」

「……つゆ、き……さ……」


 ぼやける視界の中、抱き起こしてくれたのか……ようやく露稀さんの顔が見えた。

 レイスは視界の端で、わなわなと震えているように見えるが――――やがて牙を剥くはずだ。


「おれ、に……みせて……くだ、さい……」

「何、を……何を言っているんだ……? 私は、もう……」

「露稀さん……なら、なれる、はず、なんです。……だから……見せて……ください」

「だから、何をっ! 私は違うんだ! 私は魔法少女じゃない! だって……お前の事も、守れない……! もう、イヤだ……こんなのはもう……イヤなのに……っ!」


 露稀さんなら、なれるはずなんだ。

 本物のそれに。

 この世界を守るために戦う、尊く美しい存在に。


「これ……は……?」


 彼女の視線の先は俺でもレイスでもなく、恐らく自身の左手に向いていた。

 そして、不思議なほど。ぼやけて不鮮明になっていく視界の中でもそれは――――視界を奪うほどの光の中、はっきりと、見えたんだ。

 露稀さんの手に握られていたのは、紛れもなく――――正真、正銘の。


「見せて、ください。俺に……つゆき、さんの……っ」


 その形状は治奈さんのものとは、まるで違う。

 鞘に納められた小太刀に見える形状、その柄頭に三日月をあしらった継ぎ目すらない白銀の輝きは、しかし間違いなく、そうだった。


「――――分かったよ。けい


 腹へ感じる痛みが、消えた。

 ようやく痛みすらも感じなくなったのかと思えば気が楽だった。

 だって、これで……この目で、見られるのだから。

 露稀さんがゆっくりと俺の体を再び寝かせると、立ち上がり……夜見原露稀の最後にして最初の敵へと向き直り、迷いなき決意とともに凛と立つ。


「蛍。お前に見せてやる。だから死ぬな。その眼でしかと見ろ。私の…………」


 広間を覆い尽くす三度の閃光の中で彼女は高らかに、告げる。

 反撃の鐘の音。

 世界を、人々を守る時を告げる、あの朝に誰もが出会った英雄たちの言葉を。



「――――――“変身”!」






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