第二十二話 ~少年は騎士として~
*****
――――今日もまた、私は暴き出された。
まだ時間の感覚は完全には消えていない。恐らくは今日で四日、いや、五日目か?
粗末な独房の部屋に差す光を数えてそれぐらいだが、はたしてそれが日の光であるかも分からない。
段々と、日付の感覚は曖昧になる。いい加減な周期で起こされるせいで、眠気を基準にして見当をつける事もできない。
ここは、床に座っていてさえ酷く居心地の悪い、ゴツゴツとした石造りの旧時代の牢獄に似た部屋だ。
不思議と空腹感はなく、渇きもなく――――用を足せと言わんばかりに粗末な部屋の一角に穴が空いていたが、それすら一度も使っていない。
まるで時が止められたように、飢えも渇きも、その逆の欲求も湧かない。
ここがどこなのか分かるはずもない。
連れ去られてからというもの一度も外の光景など望んでいなかった。
そしてここは、ひどく寒かった。
肌の奥深くまで刺すような冷え込みなのに、私にはそれをしのぐ手段も許されていない。
ここには毛布の一枚もなければ、衣類と呼べるものと言えば渡されたぼろ布を体に巻き付けるだけがせいぜいで、しかもそれさえ丈が足らず、胸と腰を覆うのでやっとという情けない姿だ。
連れてこられて最初にされた事と言えば、まず――――魔杖を取り上げられた。
私と治奈との唯一の繋がりは、あの悪霊にとってみれば単なる道具の一つに過ぎないのだろう。
壊されてこそいないだろうが、どこにあるのか、取り返せるのかは分からない。
そして連日、連日。奴は不可思議なやり方を用いて、私の心を覗き見ていた。
奇妙なガラス状の寝台へと拘束され、奴の手首から先が私の胸をすり抜けて……痛みも何も無く、傷一つつかないのに酷く不快な感覚を催すのだ。
私の大切な思い出が、記憶が――――じろじろと覗き込まれる嫌悪感。
私でさえも覚えていない些末な事まで、レイスは時には治奈の姿で。私の姿で。子どもの姿で。にたにたと唇をゆがめながら、喉の奥に漏らす奇妙な相槌とともに……心ゆくまで凌辱するように眺めるのだ。
やがて満足した頃私は解放される。
眠れるはずもない凍える石牢で、覗き込まれてしまった記憶をひとり慰めながら、わずかな休息を取る。
壁に背をつければ体温を奪われるから、せめてもたれる事もできないまま。
ただ――――次に思い出を覗き込まれる屈辱の時を、待つだけの哀れな時間を過ごした。
*****
治奈の魂を取り戻す事が、私の目的だった。
しかし……選ばれていない私が魔法少女の力を使う度に、いつも痛みが走った。
防御障壁を使っていては攻撃力が不足する故に、身を護る事を諦めねばならなかったから。
限られたリソースで巡礼者を倒すためには、一撃に全ての魔力を賭けるしか方法がなかったから。
初めて戦ったあの日の事は忘れない。
それまで、巡礼者と戦う治奈の姿は見ていたし、また巡礼者を見る事も決して初めてではなかった。
なのに、私ときたら無様な初陣を飾ったものだ。
“それ”が敵意を持ってこちらへ襲い掛かってくる恐ろしさを、侮っていた。
振り下ろされる爪、打ち鳴らされる牙、虚空を薙ぐ棘だらけの尾は全てがあまりに恐ろしくて――――どうにか戦いを終えてからも、いや、終えてからこそ、その恐怖を幾度も思い起こしてしまうのだ。
あまりの恐怖に武器を握り締めたまま硬直する指を、べりべりと引き剥がすようにほどいたあの痛みを私は生涯忘れる事は無い。
戦いの日々に慣れてからも、それは続く。
寸でのところで避けた爪を夢に見て、ばくばくと心臓を早鐘のように打たせながらどっぷりと汗をかいて目覚める事は一度じゃなかった。
自分に腕が、脚が、まだ繋がっている事を布団越しに確かめて安堵する事など十回程度ではきかない。
心が折れそうになるたびに治奈の顔を見に、あの病室へ通う。
病室から見える中庭には桜の木が植わっており、それが咲く事を四たび数えた頃、私は――――ひとりだけ治奈を置いて成長してしまった自分の体に気付いた。
願掛けにと、あれから一度も切っていない髪は腰より下へ届く長さになってしまった。
桜が咲き、舞い散り、私だけが時を刻んで治奈を置き去りにする。
レイスの行方は知れず、手がかりを少しでも探ろうと星の巡礼者と対峙し、いつも空振りに終わり。
そしてまた刻一刻と時だけが過ぎていき、私はまた治奈を置き去りにしたまま進んでしまう。
そんなときに、ある夜……私は、出会った。
格好つけでもしていたのか、街を一望する展望公園にひとりたそがれていた、どことなくピントの合わない印象を受ける、後に同校の人間だと分かる一人の男と。
命を救われたばかりなのに、刃物片手の私を見て、軽薄なナンパのような言葉を吐いた、あの男。
紛い物の私が、騙すように契約を持ち掛けた、哀れな犠牲者の名は――――
*****
あのひどい契約の日を思い出して少し経つ頃、またもレイスに引っ立てられるように奴の“実験室”へと連れ込まれた。
牢獄に比べれば少しは暖かい場所だが、その安堵感は少なからず私を羞恥させる。
命というものをまるで感じない、妖しく色とりどりに明滅する魔光が満ちる空間は――――不思議としか言いようが無い。
電力、動力の類が通っている気配はないのに、床も、壁も、色を自在に変えるガラスのような質感だ。
中央には円柱を半分に斬り、外側を下に向けた逆さの半円状の台だけがある。
「……もう何も言い返さないのか? それはそれで寂しくなってくるじゃないか、露稀ちゃん」
「知るか。……もう、好きなようにしたらいいだろう」
今日の姿は、今まで一度も見た事の無い姿だった。
しっとりと濡れたように輝き頭蓋に張り付く、銅色の髪。肌の色こそ人間より少し緑がかっているが、そこまで隔絶のある風貌ではない。後にしいて言えば、尖って垂れる妖精にも似た耳の先端は二股に別れている。
どんよりと曇り腐る眼差しはしかし不可解な光を放ち、顔立ちとして整ってはいても決して気を許せそうにない陰鬱な風貌のやせぎすの男に見えた。
「……それが貴様の本来の姿か?」
「ああ、そうとも。まぁ、うまく再現できているかは分からないけれど……大きく離れてはいないはずさ、これが本来の僕……にだいぶ近いと思うよ」
「貴様は科学者か何かだったのか?」
「ああ、自信はないけど……こうも探求心が溢れてくると、たぶんそう外れていない何かだったんだろうね、僕は」
つまりはその姿、“星の巡礼者”の在りし日の姿なのだろう。
まだ――――遠く離れた異星の人類だった頃の姿だ。
「さて、と。……だいぶ君の情報も吸い上げられた頃だ。キミも、そろそろ……“保管”したい頃なんだよ。安心していい、今日は何もしないからさ」
「“保管”……だと?」
耳慣れない響きに聞き返すも、答えはもったいぶるように、時にして数分ほど経ってからだ。
「生物の体は劣化が激しい。……簡単に言えば、君の精神を引き剥がして“容器”に入れる。そしてカラダの方は……まぁ、君がどうしてもというなら保存しておいてあげようか?」
――――内容に、驚きは感じなかった。
この悪霊に捕まるというのは、いつかそうなる日が来るのだと分かっていたからだ。
今さら地球人類の体の組成になど興味はないだろう。
情報を引き出せるだけ引き出したら私もまた治奈と同じ道を辿る事になる、とも。
覚悟していたことだ。
私が招いた事だ。
私も治奈と同じ、魂の虜囚になるだけだ。
そう、覚悟していた事なのに――――どうして。
どうして、こんなにも辛いのだろう。
どうして――――涙が出そうになる?
*****
独房へ返されてから、私はひとり最後の時を過ごす。
恐らく次に目覚めた時にはもう私の体と魂は引き離されている。
死ねるのならばそれでもいいのに、そうはならないのも明白だった。
逃げようか……そう思っても、行動にはどうしても移せない。
私に残された幾ばくの魔力を使えば、私の“扉”を開く事はできるだろう。
そこを通って、蛍のところへ行く事もできるかもしれない。
しかし、そうすれば今度こそレイスは私と治奈、そして蛍までも生かしてはおかない。
今度こそ治奈は殺される。蛍も殺される。私は問答無用で魂を引きずり出され、永遠に囚われる事になる。
次はあの白馬鹿も危ういかもしれない。
そもそも、私の開く“扉”は今の私ではとても絶えられない地獄の光景が広がる場所だ。
魂までも凍てつかせる冷気、私を呪う
逃げる手段はあるのに、耐えられる体力も気力も私にはもうない。
逃げたいのに。逃げたら、また、皆が――――。
「だれ……か……」
その弱々しく縋るような声が自分のものだと――――気付くまでにはずいぶんと時間がかかってしまった。
堰を切るように、またも、声が、漏れた。
「だれか……助けて……っ」
頬を伝うそれは、冷え切った牢獄の中では生暖かく感じた。
鼻の詰まる感覚に襲われながら、声を殺してうずくまりながら、窓も無い独房でただ独り、この体で流す最後の涙を
なのに。
――――空気が揺れ動いた、気がする。
顔をそろそろと上げてみれば、ゆらゆらと動く空気がことさらに冷たく、涙のつたう頬から熱を奪う。
光のないはずの牢内で、私はそれでもはっきりとそこにいる姿が誰なのか分かった。
「……
そんなハズはない。
どうせ、また――――レイスが化けて、私を嘲笑いにきているだけだ。
そう言い聞かせようとしても視線はまるで、前触れも無く現れた姿から離れない。
ゆったりとしたパーカーのあちこちに霜が降りて、頬も鼻も赤い。
私のあられもない姿を見て困ったように慌てて伏せるその目線も、私のよく知るものだった。
そして一歩、二歩、その頼りなかった私の“契約者”はゆっくりと歩いてきて――――膝をついて、私と向き合う。
「どう、して……おまえ……ここに……! 私、なんかに……」
「……すみません、道に迷いました。遅くなってしまって……」
「何をしに、来たんだ……蛍……」
私は、その言葉をずいぶんと早く、叶えられてしまった。
私なんかのお願いが。こんなにも、あっさり――――――
「助けに来たよ――――
もう――――ぐちゃぐちゃになってしまった感情が、声になんてならなかった。
こんなに寒い牢の中なのに。
こんなに凍えて冷え切った蛍なのに。
あまりにも……抱き締めてくれる腕が、暖かくて。
「どうして、どうして――――私なんかに来るんだ! どうして私なんか助けに来るんだっ……! ……バカ……! バカぁっ……う、あ、あぁぁぁぁっ……! ひ、う、ぅぅっ……! バカぁ……」
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