第二十一話 ~少年は死の影の谷を征く~


*****


 目が覚めたとき、そこは最初病院の中庭から望む空かと思ったが――――違った。

 何の喧騒もなく、あるのは暖かく心地良い風と、漂ってくる甘い匂い。


「起きたか、小僧。――――何があった?」


 そして覗き込んでくる、どアップの黒猫のしっとり濡れた鼻面。

 まさか今度は俺がここへ横たわるとは、と考えながらもどうにか起き上がる。

 ぽかぽかと暖かいのどかな丘の光景、彼方に見えるあめ玉の木々、お菓子の家ならぬお菓子の東屋あずまや、蝶々のように飛び交うぐるぐる巻きのキャンディーケイン。

 無論そんな場所が地上にあるはずもなくすぐに思い当たる。

 ここは、確か……


「リーナの楽園門エリュシオン……“あめ玉のお庭”?」

「名前なんぞ覚えなくともよいわ。“アホ姫の花園”とでも呼べばいい。……まぁ、手短に話すとだ。先日、病院にて露稀つゆきが交戦したろう。無論、瑠璃菜るりなも駆けつけたが……到着した時にはもう、戦闘は終わり。お主だけが中庭に倒れたままで残されており、急遽きゅうきょ再びリーナの楽園門にお主を匿った、という訳よ」

「そうか。リーナは、ところで……いや、待った。セサミさん……今、なんて言いました!?」

「どの部分だ? 何が引っかかるという?」

「“先日”って? “さっき”、じゃないんですか!?」

「ああ、言ったとも。あれから、丸一日経つ。そして今は昼過ぎといった頃合いかな……全く、時計が無い故に時間の流れも分からん。全くもって惰眠の縄張りぞ。持っておるなら出せ。時間を教えろ」


 慌ててポケットの中を裏返すように探り、スマホを取り出して画面へ目を落とせばまさしく日付は一日後、セサミの野性の本能なのか、時間もまたピタリ、午後二時前を指していた。

 ついでに何か状況を調べようと、webブラウザを起動したのにいつまで経っても繋がる気配がない。

 十秒、二十秒。さすがにおかしいと思って画面の上側を見れば……“圏外”の文字が虚しく映る。


「ここは世界と隔絶されているからな、通信機器など使えようはずもあるまいよ。それ、こいつは私からの差し入れだ、退屈しのぎにでも読め」


 セサミがぺしぺしと尻尾で叩いたものは、無造作に置かれた新聞だ。

 手に取り、日付を確かめれば間違いなく、あれから一日が経つ。

 しかし、日付よりなにより目についたのは……一面記事の、不可解な内容。


「……宵城記念病院に巡礼者発生。しかし、黒衣の魔法少女により危機を逃れる」

「ああ。露稀つゆきの事なのだろう? 随分大仰に扱われたな」


 記事の内容に目を落とすが、内容に間違いはない。

 病院の上空から落ちてくる巨大な“巡礼者”を撃破、甚大であるはずの被害を未然に食い止めたその行いを書き連ねるものだ。

 更にその直前にも中庭にて違う“巡礼者”と戦闘を行っていた、とも。


 それしか。

 、書いて、いないのだ。


「おかしいだろ……! 何で書いてないんだ!?」

「どうかしたのか?」

「何で書いてない!? あの中庭で、露稀さんは自分に化けた巡礼者レイスと戦ってたんだぞ!? セラフィム・ハルナの姿を目撃したヤツだって一人か二人じゃないはずだ!」

「――――聞き捨てならんな」


 どこかに見落としがないか、とそのまま新聞をざっと斜め読みするも、他には何もめぼしい事が書いていない。

 あくまで露稀さんが病院を救った、とだけ書かれているのみで……あそこにいた巡礼者の姿、露稀さんの姿を真似たレイスについても、その後に変化したセラフィム・ハルナの姿の模倣についても何も言及されていない。


「政府関係者が、記事を操作し情報を隠蔽したという可能性は? 巡礼者が人の姿をマネるというのも。セラフィム・ハルナが魔法少女へ牙を剥いたというのも。どちらも事実であれば伏せたいだろう」

「だけど、そんなのこのご時世口止めできないでしょう!? あの病院にいったい、何人いたと……!」

「詳しく調べる必要がありそうだ。そろそろ瑠璃菜がやってくる。……っと、噂をすれば……」


 ちょうど、その時虚空に扉が現れ、かちゃり、と小気味よくノブの回る音とともにこの空間の持ち主が帰ってくる。

 久しぶりに見るリーナのセーラー服姿は、しかしどこか疲れているようでもあるのに、俺が起き上がっているのを見るや、ぱっ、と顔を輝かせて迎えてくれた。


「起きたんですね、蛍くん! よかったぁ……もう、露稀さんじゃないんですから怪我して倒れるなんて……」

「リーナ! テレビは!?」

「ひゃいっ!?」


 顔を見るなりその質問を飛び出させてしまい――――礼を言っていない事、そしていきなりで驚かせてしまった事に一気に頭が冷えた。


「ご、ごめん……! ありがとう、リーナ。助かった」

「いえ、お気に……。テレビ、ってどういう事ですか?」

「テレビで何か扱われてはいないか、という事さ。ネットニュースでもいい。あの病院で起きた事実が、紙面と食い違っているそうだ。本当はあの病院には、露稀の姿を模倣したあの遊園地の巡礼者が現れていた。そしてセラフィム・ハルナの姿と化して衆目に晒されたはずなのに扱われていないのだと」

「えっ!? そんなの……全然やってないよ?」

「…………瑠璃菜。帰ったところで悪いがな。あの病院へ、行ってくれんかね」

「私が……?」

「うむ。病院関係者、あるいは患者やその家族でいい。中庭で何か見たか、聞き込みをしろ」

「う、うん、分かった……! でも、なんて言って……」

「それなら、俺も行く。リーナ、連れて行ってくれ。この楽園門から近くへ繋げられるか?」

「はい、できますよ。場所さえ分かっていれば転移に使えますから。宵城記念病院でいいんですよね?」

「私も私で、情報を集めよう。何、見て聞くのはヒトどもだけではあるまい。猫ぐらいどこにでも居ようさ」


 胸騒ぎがする。

 本当なら、巡礼者が人に化けたという例も、セラフィム・ハルナの帰還も一大事のはずだ。

 なのにどうしてか、いっこうに取りざたされる事もなくただ新聞には露稀さんの活躍だけが記されている。

 中庭で起こった一連の流れを覚えていないように、不自然なほどに――――。


 こうなった以上、病院へ再び赴き、確かめるしかない。

 何が起こったのか。起きた事を、あそこで見ていたはずの人達はどう認識しているのか。

 それと。


 ――――何を置いても確かめておかねばならない最大の懸念を。




*****


「……リーナ、どうだった?」

「だめです。看護師さんにも売店の人にも訊いたんですけど、中庭に巡礼者が現れ、露稀さんが戦った。そして別のが病院上空に現れて、としか見てないようです」

「俺の方もだ。巡礼者が現れた事自体は認識しているのに、その外観を訊いても要領を得ない」


 リーナは少なからず落胆し、ふるふると首を振って残念そうに答える。

 そう、誰に訊いても同じ答え。

 新聞やテレビ、ネットニュース、どれもこれも中庭で起きた一連の流れを正しく認識していない。


「でも、これじゃ……まるで……ですよね」


 “魔法少女”の認識阻害効果――――だ。

 変身中は、その正体に決して行き着けない。たとえ素顔を晒して戦っていたとしても決して身元がバレる事が無い魔法の迷彩と、まるで……同じだ。


「ところで、蛍くん。ずっと、気になってたんですけど……」

「露稀さんの事か?」

「はい。戦った後……いったい、どこへ……? 学校ですか?」

「そうだ、その事……。……リーナ。秘密は守れるよな」


 露稀さんがどうなったか、リーナに明かす前に。

 それとは別に、明かしておかねばならない事、確かめておかねばならない事がここにはひとつある。

 もとより、ここまで世話を焼かせてしまったリーナに隠し事をするのも堪えられない。

 何より彼女は“魔法少女”だから。

 知る資格は、十分にあるはずだ。




*****


 昨日もやってきた病室へ一日ぶり――――俺にとっては一時間も感じないが、戻ってくる。

 そこには昨日と変わらず眠り続ける白河治奈しらかわはるなの姿が依然としてあった。

 いくつもの輸液が小さいままの体へ送り込まれ、バイタルが採られ、呼吸さえも外部装置に頼って。

 しかし痩せこける事無く、色白ながらも血色は良く。

 くしゃくしゃと巻く、眠けを誘う羊のような青みを帯びた美しい銀髪の、こうしてあらためて見ると紛れも無くリーナにどこか、時の止まった外見年齢も含めて似ているのが分かる。


 リーナはその姿をじっと、信じられないものを見るような目で、痛ましく見つめていた。

 何かを言おうとしているのか口元は震え、涙が今にもこぼれ落ちそうなまま――――それでも、目を逸らさないで。


「彼女は……“セラフィム・ハルナ”だ。露稀さんはずっと、魂を奪われてしまった彼女を救うために独り戦っていたんだ」

「そん、なの……まさか……っ」


 露稀さんは……いつも、どんな気持ちで戦ってきていたんだろう。

 時が止まってしまった治奈さんの見舞いに来る度。自分にだけまだ流れている時を想う度に。

 治奈さんと似ているリーナを見て、その危うさに肝を冷やす度に。

 “魔法少女”ではない自分が目をつけられてしまったばかりに、悪霊レイスに魂を奪い去られて餌食にされてしまった、“始まりの魔法少女”を想う度。

 露稀さんは、何度――――。


「……露稀さんは、さらわれた。見返りとして、セラフィム・ハルナの魂を返す事を条件に。……俺と、ハルナと、そしてこの病院の人命まで人質にされた拒絶不能の取引だった」

「そんなっ……! じゃあ、助けに! 助けに行かないとっ! このままじゃ露稀さんが! 場所は分からないんですか、蛍くん!」


 ――――分からない。

 胸の奥がぎゅっと縮まるような思い。心臓と肺がひとまとめに巻き込まれ潰れてしまいそうな重い息苦しさのあまり……俺は、そんな答えを絞り出す事さえできなかった。

 露稀さんの居所は、もう掴めない。

 この世界のどこかには居ようが、その方法が俺には分からなかった。

 星の巡礼者にそもそも“本拠地”という概念があるという事自体が、理解の外にある。

 俺も――――このままではいけないという事は、分かっているのに。


「だいたい、この子……いや、ハルナさん、目覚めてないじゃないですか! 約束、守られてないじゃないですか!? このままじゃ、ただ露稀さんが……」


 思わず、その耳に痛い言葉に言い返しそうになるが……ここが病室だという事を思い返して、心に留める。

 どうにかしなければいけないのに――――どうすればいいのか、分からない。

 このままではいけないという厳然たる事実に対して、打てる手がない。

 三つも下のこの子に対して募る苛立ちは、そのまま俺の不甲斐ふがいなさ。


「どうすりゃ……いいんだよ……!」


 胸の奥の息苦しさ、焦れてくる自己嫌悪、そして、こうなってしまえば誰に頼れるものか、分からないまま。

 俺は――――全てが無為に終わるような嫌な感覚を、いつまでも、いつまでも。

 少なくなっていた面会時間の間、ずっと、拳を握り、噛み締めていた。




*****


 そして、更に何も得る事の無いまま、三日が過ぎた。

 露稀さん、そしてレイスの居場所を突き止められる手がかりはまるでない。

 巡礼者が現れる速度は増える事も減る事もないまま、ただ無為に時は過ぎた。

 リーナが一度出撃したぐらいで、何も、この世界に変化はない。

 露稀さんがいなくなったこの世界は、腹立たしいほどに何も変わってなどいなかった。


 無力感を感じたのは…………これが、初めてではない。

 眠れぬ夜を過ごす中、俺は思い出す。

 その無力感は、おかしな事に――――“魔女の夜”に、テレビの画面越しに俺が、セラフィム・ハルナを見た時と同じだと。


 今になって分かる。

 あの時の無力感、それは――――この世界の秩序を守るのが、“ヒロイン”だと突き付けられたからだ。

 鉄の騎馬とともに風のように現れる颯爽たる仮面の戦士じゃない。固い結束の力を以て戦う五人組の戦士じゃない。

 世界の危機に現れ、華々しく変身して戦う、可憐な“ヒロイン”が救うのだと分かったからだ。

 

 だから俺はあの時、子ども心に絶望したのかもしれない。

 この世界の華々しい主役達は、“魔法少女”。

 俺がいくら何かを積み重ね大成したとて、彼女らになれる道理もなければ、彼女らからは守られる側だ。

 魔物と戦う魔法少女の姿をただ指を咥えて見守るだけしかできず、そして彼女らへ嫉妬する道理もまた、ない。


 どこまでも自分が蚊帳の外に置かれてしまった――――どうしようもない疎外感を、俺は子ども心にあの“魔女の夜”。

 魔法少女が本当に現れたあの夜に、感じてしまったんだ。


 俺がヒーローになれる機会など、ない。

 魔法少女になどなれるはずもない。

 残酷なまでにテレビから抜け出して現れた彼女らは、“正義のヒロイン”の顕現とともに、世界から“ヒーロー”への憧れを薄れさせてしまった。

 誰かが悪い訳でもなく、彼女らにはこの世界を守ってくれる事への感謝しかあるはずもない。

 だから、その漠然とした面白くなさ、さえも――――飲み下すしかないのだ。


 でも――――何もかも、違ったんだ。

 “魔法少女”もまた……ただの、女の子達だった。

 悩み、苦しみ、嘆き、哀しみ。それでも折れまいと足掻き、決して諦めない。

 ヒーローが苦悩するのと同じように、彼女らにもそれがまた、確かに存在する。

 それでも立ち上がるから、彼らと同じように、彼女らは――――その姿を以て、人々に勇気を示すのだ。


 だから、“魔法少女”は皆に力を与える。

 可憐な女の子のまま戦い、折れず、絶対に諦めない。

 だから、尊い。


 だから――――“魔法少女”は、世界を救い続ける。



 そして、ひとつだけ思い当たった事がある。

 露稀さんが連れ去られた場所へつながる、方法。

 助けられるかは分からないが、繋げられる。

 本当にそれだけしかない、無力な俺が、無力なままでやれる事が一つだけ思い当たった。


 俺の指にある、にせものの“地脈の指輪”はまだ消えていない。

 それは、まだある――――露稀さんとのたったひとつの繋がり。

 露稀さんがまだ生きている事の証明。露稀さんと俺が、まだ繋がっている事の証。


 彼女が、魔法少女じゃないというのならば。

 ただの女の子であるというのならば。


 ただの俺が、――――助けに、行くんだ。




*****


 そして次の日。リーナとセサミを呼び出したのは、夜の公園だった。

 女の子を呼び出すような場所でないのは確かだが、“保護者”がついているなら良いはずだ。

 リーナは少しだけ眠そうにしているけれど、長い話じゃない。

 セサミは幾分だけ目が冴える様子で、爛々と、暗闇に緑色の眼を輝かせて俺の言葉を待つ。


「……露稀さんの居場所は分からない。けど……行く方法が、思いついた」

「え……本当ですか!?」


 そう言うと、リーナは驚いたものの、セサミは少しバツが悪そうに目を伏せた。

 猫に舌打ちができるかどうかは分からないが――――していても不思議ではない顔で。


「“楽園門エリュシオン”は魔法少女と契約者を繋ぐゲートとして機能する。なら……俺にも開けるはずなんだ」

「ダメだ、小僧。考え直せ」

「……変えませんよ」

「それでもだ。こうなれば考え直す段階でない事は百も承知よ。だが――――それでももう一度でいい、考え直せ!」


 このふてぶてしい黒毛の猫又ねこまたセサミが、初めて、俺の身を案じてくれた気がする。

 それでも……答えは、変わらない。

 不思議と、胸の中は晴れやかだった。


「露稀さんの心象風景の中に……入る、って事ですか? でも……!」


 リーナもまた、同様。

 それがどれほどの意味を示すのか、分かっていた。


「俺は、今から――――露稀さんの“楽園門”を開く。その中を通って露稀さんへ辿り着く。そこから先はどうなるか、分からない」


 そうだ。

 露稀さんがついぞ口にしなかった、“楽園門”の存在。でも、確かにあるはずなんだ。

 思えば彼女は、俺やリーナの窮地には必ず現れていた。

 だから間違いなく、持っているはずだ。

 都合がよく場所を感知していたはずもなければ、間違いなく、露稀さんは“楽園門”へのアクセスを持つ。


「最悪死ぬぞ、小僧。恐らくは正規の魔法少女ではない露稀の心象風景。加えて自らへの責と内罰に追い詰められた、ヤツの描く光景。いびつで不安定な――――荒野ですらあるかどうかも怪しい、死の道行きだぞ。瑠璃菜の甘ったるいそれとはまるで違う」

「……セサミさん、リーナに対して酷くないですか?」

「うるさい、あそこにいると吐きそうになるんだ! 特にチョコレートの匂いに頭痛がする! 猫の嗅覚には地獄なんだぞ! ……それはともかく、考え直せ」


 無論、それも分かっていた。

 いや、チョコレートの匂いに猫がうんぬん、ではなく。

 魔法少女ではない露稀さんの持つ、恐らくは不完全な“楽園門”。

 その内部に待つ光景はとうていまともなものではなく、また俺も通常の“契約者”でないのだから、過酷な道になる事も。

 それどころか――――入れば、二度と出てこられない可能性も、ある事に。

 でも不思議と、胸の中は穏やかだった。

 そして、揺らがない。この決意は……これほどまでに強い決心を得た事は、初めての事だ。


「お主が行って何になる」

「……露稀さんは、“魔法少女”じゃない。そして俺も、紛い物の“契約者”だからですよ」


 だから、だ。


「ただの女の子を。ただの、その辺にいる俺なんかが――――助けに行かなきゃいけないんだ」


 ヒーローでも、魔法少女でもない俺だから。

 ただの女の子を、ただの男として助けに行く――――それぐらいの事は、この世界でもきっと残されているはずなんだ。


「……ああ、そうか、あい分かったとも。良い、ならば死ぬがいいさ。……お主と露稀が帰ってこなければ、リュミエール・リーナと私で何とかしよう。そうともなれば各地の魔法少女も黙ってはあるまい。どちらにせよ、アレの野望は阻むともさ」

「セサミ!? 私達も行った方が……」

「ダメだ、瑠璃菜。何があるか分からん。ここは私達は待機するのだ。この小僧がアレを刺激すれば何が起こるか分からん。その時に対応するのがお主の役目よ。……それにな」


 セサミは、もう……俺を止める気など、ないようだった。


「“魔法少女”ばかりが良いところを取るものではない。誰も口を挟むべきでない、“男の覚悟”を尊重すべき時がある。なに、お主も恋でもすれば分かる時が来るだろうて」

「恋、って……うん、分かった。蛍くん……気を付けてくださいね。私、何もできないけど……それでも、この街を守ります。安心して任せてください。……そして露稀さんを助けるのは、蛍くんに任せます」

「ああ。ありがとう。……ごめん、いつもリーナに頼るよな、俺……」

「い、いいですって。どんどん頼りにしてください! だって、私――――これでも“魔法少女”ですから!」


 えっへん、と胸を張るリーナ、それへ対して冷ややかな使い魔の黒猫。

 この、どこででも見てきた構図に俺の最後の胸のつかえがとれる気がした。


「さて、と。……本当に、開けるのかな。俺に……」


 未だ黒曜の指輪輝く、左手を虚空へ差し伸ばす。

 妖しく光る気がして――――虚空が歪み、夜の闇の中に何かが生じてくるのが分かった。


 それは楽園の門などではない事がすでに分かる。

 どこまでも自分を罰して追い詰めてきた露稀さんの、自虐と後悔、そして復讐の一念で撚りだされた“獄門”だと。

 すでに左手に感じる冷たい、そして刺すような痛みが語るのは、ここから先へは立ち入ってはいけないという警告。


 やがて、何もなかった空間に現れたのは……漆黒の、歪んだ黒檀の扉。

 表面に入った亀裂から噴き出し漏れる冷気は、その中にある凍獄とうごくの旅路を最後の警告として語っているに違いない。


「……っし。行くか」


 迷いはない。

 どれだけ過酷なものになるとしてもその先は、露稀さんに繋がっていると最初から分かっているのだから。


 手をかけた扉は不思議なほどに軽い。

 それだけで吹き荒れる凍てつく風が瞬時に俺を包み、凍えさせようと待ち受けているのが分かる。

 もう振り返る事は無い。振り返れば、リーナとセサミへまた引き留めさせてしまうかもしれないから。


 そして――――俺は、一歩を踏み出す。

 冷たく凍える、露稀さんの――――ずっと秘していた、罪悪感の野へと。






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