第二十話 ~冷徹の意思はすでになく~



 ざわめく葉と先駆けた風に凶兆を感じ、俺はすぐ――――真後ろへと、跳び退すさった。

 不完全とはいえ、露稀さんとの契約者として得たいくらかの運動能力の補助。

 それがあって、直立の状態から助走無しで三、四メートルは稼げたものの着地はままならず、ほとんど尻もちをつくだけの恰好で、芝の上に転げる事になった。


「ってぇ……!」


 打ちつけた尻から走る鈍痛に気を紛れさせる隙もない。

 すぐに視線を移した先では、麗らかな真昼の病院、その中庭で、“世界の敵”と“魔法少女”の一騎打ちが始まった。

 入院患者も、スタッフも、つい先ほどまでいたのに、今はもう二人を残して誰もいない。

 その不思議は、今となっては不思議な事ではない。

 恐らく、露稀さんが堪えていたのは――――レイスの隙をうかがっての事ではない。

 中庭に誰もいなくなる瞬間を。

 誰も巻き込まずに済む針の穴を通すような瞬間を狙い、戦闘を開始したのだ。

 既に、見える窓の中にはその異様な風景、魔法少女の顕現を見て全てを察し手早く避難を始める人々の姿があった。

 これもまた……“魔女の夜”以降の世界で塗り替わった事のひとつ。

 “魔法少女”の姿を見たら……即、その場から避難を行うべし、と。


 レイスの姿は既に、少年のそれとは変わっていた。

 へし折る勢いで放たれた鞘の一撃もものともせず、露稀さんの殺意に応じるように選んだ姿は――――


「あの、野郎っ……!」


 何にでも姿を変える星の巡礼者、その中で唯一自我を保った特異の個体、“レイス”。

 それが選んだのはよりにもよって、自らと対峙する“魔法少女”ではなき“魔法少女”の姿身に。


 黒曜の狐面、艶やかに流れる夜空のような黒髪、大胆に開いた胸元に惜しげも無くさらけ出す白い脚線を強調する、漆黒に螺鈿の糸を通して飾る、袖口には飾り緒までも下げた和装をもとに組み上げた戦闘装束、そして手には身の丈を超す大太刀。

 そう。


 “夜見原露稀”の戦闘時の姿、そのものと化していた。


「ふ、あははははっ……どうかな、似ているかい、紛い物くん!? こっちだよ! こっちが本物さ!」

「……口を閉じろ、レイス。貴様の相手はこの私だ」


 幾度となく斬り結び――――否、冒涜のように振り回す大太刀を避け、鞘に納めた太刀ではじらす一方的な攻撃と防御を見れば、安い挑発など無くとも一目瞭然だ。

 確かに見た目こそ、鏡映しで夜見原露稀が二人、魔法少女らしからぬ剣戟で伯仲する戦闘を演じてはいる。

 ……俺には、一目で分かる。


 露稀さんは一度の戦闘で一度しか攻撃ができない。

 その刀身が鞘を離れる時は、すなわち決着の瞬間だ。

 更にはその技は、命を浴びせる一撃必殺の居合いのみ。

 間違っても、べらべらと喋る“ニセモノ”のように……鞘から刀をずらり抜き、幾度も打ち込むようなやり方にはならない。

 そして、その太刀筋といったら……まるで、デタラメだ。

 というのも、俺でさえも分かるほどに動きは洗練されたそれとは程遠く、その気になれば俺でさえ一、二回は避けられそうなぐらいだ。

 更には、あまりにも拙い足捌き。露稀さんの、一撃たりとも貰えない必死かつ流麗のそれではない、ただ楽しむように、嘲笑うように、不格好に踊るような足捌きにも悪意が見てとれる。

 それでも露稀さんは隙だらけの、鏡映しの自分となったレイスを相手に――――まだ、抜かない。

 俺でも、彼女の考えは分かった。

 ひとつは、その仕草があまりにわざとらしすぎて……逆に誘い込まれているのでは、という危惧。

 そしてもうひとつは“絶対に、斬り損じが許されない”事。


「ほら、どうした? こんなに斬れるチャンスがあるんだよ? ほらほら、隙だらけじゃないか! 来なよ!」

「……っ!」


 そう言って、軽薄な言葉とともにただ刀を振り回すだけのレイスに対し、回避こそ余裕で行えても確実に仕留められる確信を得られないまま、露稀さんはひたすらに防戦する。

 相手の強さによって、ではない。

 四年越しの仇敵を前にし、絶対に、しくじる事が許されないからこそ……どうしても、慎重になってしまっていた。

 見ていても、俺にさえレイスのそれが演技なのか、本当に隙を晒しているのかが分からない。

 傍から見てだけいれば、“今のは斬れた”と思わなくも無い。

 だが、露稀さんの中には、育ってしまっている。

 “始まりの魔法少女”を欺いた悪辣非道。廃墟の再会でまたも味わうそれ。そして今、この場で再確認するレイスの卑劣。

 どれだけ警戒し尽くしてもまるで足らない……それこそ宇宙の闇のように、底の見えない悪意の塊として。


「しかし……どれだけフザけた生き物なんだよ」


 焦れてくる攻防の最中、あらためて思う“星の巡礼者”の異常さ。

 他の生物の外観を真似たりするだけではなく、“武器”さえもレイスは作り出し、振るっている。

 そもそも肉体を捨てたあいつらを生物の枠に入れていいのかという疑問もあるが、それはもはや俺なんかが考えていいような問題じゃない、生命の定義にまでかかる命題だ。

 奴らは何にでも化けるし、何でも作れる。充分にそれだけで地球から見れば“魔法”なのに――――それでもあのレイスは、“魔法”を初めて見たと興奮していた。

 いつか地球人の科学も、あそこまで行き着くのか?

 そして、また。


 ――――――奴らの姿は、地球人のいつか行く末でも、あるのか?


 そう、とりとめなく考えてしまったと同時に。

 耳の奥が痺れるような、幾度が覚えのある不快な感覚に襲われた。


「……貴様っ!」

「あははっ……違う違う、狙ってなんてないよぉ。あんな奴、知らない知らない。信じてよぉ、露稀ちゃん」


 見た目は露稀さんのまま、そして声は治奈はるなさん――――いや、俺は一度も素の彼女の声を聴いた事がないから、セラフィム・ハルナの声で、レイスはねばるような不快な笑いをこぼしながらとぼけた。

 斬り結ぶ間合いから遠のき、口元に殺意を滲ませぎりぎりと歯噛みする露稀さんの眼が捉えたのは上空。

 そこからまっすぐに落ちてくる、太陽と見まがうばかりに燃えて光る、火球だ。


「くそっ……! “星の巡礼者”が降下してくる! しかも……」


 このままだと、恐らく病棟を直撃する。

 コースが分かったわけではないが、露稀さんとはまるで真逆の歪んだ愉悦を口元に湛えるレイスを見れば想像は難くない。

 しかも最悪な事には、ここにいるのは露稀さんひとり。そしてリーナがいても恐らく変わらず、あの火球を上空で破壊できる攻撃力をリーナは持っていない。

 さらにはリーナがここへいたとして……露稀さんは離れられないだろう。

 セラフィム・ハルナの面影を偲ばせる彼女をレイスとひとり対峙させる事を、絶対に認められないからだ。


「蛍! 時間を稼げ! 私はアレを撃墜する!! その後は、すまない、が……!」

「露稀さん、いいから早く! 時間がない、あれを食い止めないと!」

「ああ、任せろ」


 先日までの露稀さんでは考えられないいくつかの言葉。

 それが告げられた途端に彼女は駆け、跳び、病院の棟の間を颯爽と三角跳びを繰り返し――――またたく間に十数階ものはるか上空へと消えた。

 残された俺がレイスへ視線を戻す、瞬間。


「くっ――――!」


 瞬間、ぞっとするような寒気を腹のあたりに覚えて後ろへ身を引いて跳んだ直後、鳩尾みぞおちのあたりに熱い痛みが走り、ぱさっ――――と制服の胸元が裂けて払われる感触があった。

 瞬間的に力を入れたせいで脇腹がズキズキと痛むのを感じながら、思わず手をやり確かめる。

 べっとり、というほどの量ではないが、指先を濡らしていたのは紛れも無く、血だ。


「へぇ。避けるかい。別に今ので殺すつもりはなかったけどさ。まぁ、何? ケガぐらいしておかないと、キミも気まずいんじゃあないかと思ってさぁ。ま、キミには別に興味が無いから安心しろよ」

「ああ、……気遣いありがとうよ。お前……何なんだよ」

「僕が知りたいぐらいさ。……僕に言わせれば君こそ羨ましいよ。誰だ、と訊かれてすぐに答えられる名があるのだから」


 そう言って、未だ露稀さんの姿を映しとったままのレイスは刀を担ぎ、呑気に答え……じろり、と恐らく仮面の中で上空を見つめた。


「……何も思わないのかよ、お前」

「ん?」

「アレ……お前の仲間なんだろ。それが今、露稀さんに倒されるんだぞ。遊園地の廃墟のだってお前の差し金だろ。何も思ってないのか」

「……ああ、別に何も?」


 何を言っているんだ、とでも言うように、こちらには関心を示さず、その顔はあくまで上空から降下してくる一体の巡礼者を見つめたままだ。


「キミだってそうだろ? 顔は知っていたとして、ろくに話した事ないヤツが死んだからって何か心が痛むのか? そもそも僕らの場合はもう顔もないわけだ。姿も、自我も、名前も何も。知ってるヤツなんていないし、僕を覚えているヤツだっていない。だから別にあいつらが何匹どこで死んだところで、何も思わない」


 まるでかけ流しているテレビでも見ながら、心ここにあらずで会話に応えているような――――しかし心が籠もっていない、という訳ではない。

 飽くほど考え尽くして出した結論をうんざりしながら語るような口調は恐らく、宇宙の旅で至り、そして地球に降りてからも変わらなかったこいつの芯に違いなかった。


 そして、返す言葉も俺には見つからない。

 癪に障るが、事実。たとえば数個隣のクラスの、口もきいていない誰かがいきなり死んだとして、哀しいかと問われれば答えられない。

 何も思わない訳でこそないが、はっきりと、哀しむような事までは恐らくない。


 今になって、こいつに斬られた傷口がピリピリと痛んできた。

 とろり、と流れ出る血を見る限り深手ではないのが救いだが、それでもはっきり……痛いものは、痛い。

 上空に目をやると、とうとうその姿を変化させた火球が――――ひどく大雑把な、燃え盛る巨大なダンゴムシのようなそれが、落ちてくるところだった。

 丸められた体は隕石そのものといっていい。

 あれがもしも病院へ直撃すれば、病院どころか……半径何キロが壊滅的被害を受けるか、想像するだに恐ろしい。

 だがその危惧は、次の瞬間に消えて失せる。

 病院の屋上から、そいつへ向けて真っ直ぐに跳び上がる露稀さんの姿が見えたからだ。


「はい、終了、と。……あとはこっちか」

「何を……っぐぅ!」


 息が詰まり、顎を突き上げられるような衝撃とともに足が地面から離れるのを感じた。

 みしみしと軋み、骨が裂けるような音が体内を抜けて頭蓋の中に響く。

 無理やりに上を向かされたまま締め上げられる息苦しさから逃れようと、俺の首に巻き付くそれへ手をやると……冷たく硬い、滑らかな鉱物のような感触が伝わった。

 刃物ではない。この、形状は――――


「おま、えっ……! また……っ!!」

「興味が無い、とは言ったけど。何もしない、なんて言ってないだろう?」


 頼りなく添えた手で身体を持ち上げ、這いあがるようにどうにか確保できた呼吸とともに視線を下げるとそこにいたのは、セラフィム・ハルナの姿。

 ただし、今度は見下ろすのはこちら。

 セラフィム・ハルナの姿へと化けたレイスはその特徴、翡翠色の六枚の翼のうち片側の二枚を用いて、交差させるように俺の首を挟み、持ち上げていた。


「がっ……は……っ!」

「あぁ、苦しいかい? ごめんよ……生身のイキモノを扱うのは難しいね」


 そう言いながらも力が緩む気配はない。

 じわじわと圧殺するどころか、このまま俺の首をもぎ取ってしまえそうなほどの力強さ。ちかちかと明滅する、無理やり向かされた上空の風景の中……露稀さんが抜き放った一撃が、墜ちてきた“巡礼者”を空中で四散させ消滅させるのが見えた。


 閉じきれない口の端から唾液が漏れたか、顎先まで痒みが走る。

 そして一瞬、視界が暗転した直後。


「蛍っ!!」

「やぁ、お疲れ様、露稀ちゃん。……続き、するつもりかな?」


 すとんっ、と――――地上数十メートルから降りてきたとは思えない着地音が聴こえた。

 それとともに、ひどく狼狽する露稀さんの声も。

 朦朧とする意識の中、翼で挟み込まれたまま無理に上を向かせられた光景が、先ほどまでと違う建物の配置を描いている事に気付く。

 空に向かって生える病院の本棟がぐるりと違う方角にあるのだ。


「遠慮する事ないよ。彼から魔力をもらいなよ。その間は待っててあげるから。でも……」

「っうあぁっ……!」


 次いで、浅く薙がれた腹に――――ちりり、と焼けつくような……いや、明らかに焼かれる熱さがあった。

 ぷすぷすと、化繊の焼ける異臭が鼻をつき、更には視界に細い白煙までが上がってくる。


「露稀ちゃんが戦闘準備を終えたら、始めよう。キミが僕を斬るのが早いか。あるいは……」

「まさか……っ」


 露稀さんの声が震え、勢いを失う。

 その間にも腹部に感じる熱さは増していき……再び力を注ぎ、挟み込む翼に手を掛けて身体を持ち上げ逃れようとしても、もはや指先が痺れて使い物にならなかった。


「見よう見まねだが。治奈ちゃんの得意技、あの熱線を撃つ。この紛い物の彼の肉体は蒸発して、ついでにこの先にある……治奈ちゃんの病室にも届くな」


 そう、か。

 俺の感じた視界の違和感の正体は――――俺を縊り上げたまま、一直線に治奈さんの病室を貫けるコースを探られていた、事。


「貴様……どこまで、卑劣な……」

「フフッ……チャンスはあげてるじゃない。魔力補充はしていいよ、って言ってるだろ? そこからはフェアな勝負さ。どちらが早いか。ちなみにあと数匹、僕が指示した連中が残っている。僕が死ぬのが見えたら、この病院へと降ってくるように命じてある。……そろそろ来るだろうあの“白馬鹿”ちゃんに迎撃できるかな? 無理だよ。詰みさ」


 この悪霊に知られてしまった、時点で詰んでいた。

 露稀さんは一戦闘に一回しか攻撃できない。俺がいたところで二回。合計、二体の巡礼者にしか対応できない。

 ならば、ただ……打てる手段を“三手”揃えるだけでいいのだから。

 リーナは自分を狙ってくる相手には長引きながら対応できても、単純な質量落下を阻止する手段がない。

 その事までもこいつは突き止めてしまった。


「……撤回しろ。を笑う資格は貴様にない」

「…………で、答えは?」


 声を――――上げられない。

 露稀さんを制止する言葉が、どうしても脳裏を過らない。

 人質にされているのが俺だけであればよかったのに、治奈さんを。この病院の、恐らくまだ完全に避難が完了していない人々を考える。

 勝負に出てこいつを倒しても次の手がすでに打たれている。そもそも倒したところで治奈さんの魂が戻る保証もない。


けい


 露稀さんの、震えるような声を、最後に。


「治奈を、お願い。お前、なら……治奈のほうが……似合うよ。だから、私なんかの……代わりに……」


 急激に、意識が閉ざされていく感覚と寒気。

 そして。


「治奈を、支えてあ――――」


 慟哭と懇願の声を、最後まで拾う事はできないまま。


 世界の何もかもが――――途切れ落ちていった。





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