第十九話 ~星の悪霊~

*****


 “始まりの魔法少女”が人知れず眠り続ける病室へ別れを告げ、俺達は来た道を戻る。

 奥まった息苦しい閉塞感は段々と薄れ、生命感のようなものがさざ波のように押し寄せて来て、そんなはずもないのに、エントランスへ向かうほどに照明さえ明るくなっていくように感じた。

 スタッフや、点滴台を押したり歩行器を使ったりとはいえ、自力で出歩ける入院患者の数も多くなってきた。

 やがては一階につき、広い庭の見える明り取りの大窓の前に差し掛かり、貰っておいた入館証を受付へ返却したちょうどその時のことだ。


「あっ……おはよう、夜見原さん。今日もお見舞い?」

「はい。治奈がいつもお世話になっています」

「久しぶりだね。今日は学校はどうしたの? それに……そちらは?」


 少し恰幅の良い、なんというかベテランの風格を漂わせる看護師さんと出くわし、露稀さんが挨拶を交わした。

 きっちりとアイロンの効いたツンツンと折れ目がよく立ったパンツスタイルの看護衣、しかしお腹はでっぷりと出ているのが……むしろ逆に安心感をもたらす、採血の時に来てくれるとありがたい、そんなオバちゃん看護師といえば伝わるだろうか。


「え、っと……どうも、俺は……」


 さて、どう答えたものか。

 あいにく今日は休みでもなんでもなく、普通に学校はあったのに……連絡もなしにこの時間まで、というのはどう考えても問題がある。

 補導されやしないだろうけど、答えられる名目もないまま、少し考え込む。


「大切な人です、私の」

「あらっ……!」

「は!? えっ……ちょっ……」


 いい事を聞いた、とでも言うようににんまりと笑う看護師さん、そして声を荒げてしまった俺。しかし、ぴくりとも表情を変えずに眼光鋭いままの露稀さん。

 思わず体を寄せ、露稀さんへ目配せするが、すぐに鋭く斬り込むような囁きが跳び込んでくる。


「……そうでも言わないと誤魔化せないだろうが。それとも何だ? 不服か、私では? いいな。お前はあくまで私の彼氏だ」

「いえっ……あっ……はい……」

「別にそうまで嘘でもないんだから堂々としていろ、阿呆」


 ひそひそ、と声を交わし合うこちらに生暖かい視線を向けてくる看護師さんに向き直る直前、視界を横切った露稀さんの耳が真っ赤だった気もするが――――ともかく、勢いで押し切ってしまえばこちらのものだ、きっと。


「あー……若いっていいけどね……でも、ちゃんと学校行かなきゃだめだからね、夜見原さん? そっちの、彼氏さんもね。今からでもいいから行くのよ」

「はい……」

「……結局誤魔化せてないじゃないすか」

「うるさいぞ、蛍。……では、私達はこれで」


 これから不要な立ち回りを強いられそうになった挙句、結局、学校サボりは秒でバレ。

 仕方なくそろそろ病院を出ようか、と別れの挨拶をして踵を返した時。


「……ん? そういえば、夜見原さん。お見舞いだったのよね?」

「はい。それが、何か……?」

「ついさっきも、治奈ちゃんの病室へ向かってなかった?」

「そりゃ、まぁ……お見舞いなんだから行きますよ。ね、露稀さん」

「……じゃあ、忘れ物か何かしたの?」


 ――――ぴくん、と、露稀さんの表情が僅かに張り詰めた。

 それに気づき、俺も胸がざわついた。

 看護師さんは怪訝そうな様子もなく、のんきな口調でお構いなしに、続ける。


「さっき――――。私とすれ違ったけど……」


 考えるよりも、聞き終えるよりも早く……脚が、動いた。

 入館許可証を返したばかりの受付も、とろとろ歩いている入院患者の姿も一瞬で視界の後ろへと流れて消えていき、いきなり走り出したのにまるで心臓の音が自分では聴こえない。

 むしろ、その逆。はたして本当に今俺の心臓が動いているのか分からないような冷え切った感覚。

 エレベーターを待つことすらまどろっこしく感じて階段を駆け上がっているのにまるで体温が上がってこない。

 制止する声が幾度か聞こえた気がしたが、そんなのに構ってなどいられなかった。


 脳味噌をフル稼働して、さっきまでいた病室の階と場所を思い出す。

 脚がもつれても、階段の縁につまずきかけても、構うものか。

 上がらない拍動、背筋にべったりと沿う寒気、背後から露稀さんの足音と声が聴こえる気がするが、振り向いている時間ももったいない。

 猛スピードでぶれながら過ぎ去っていく光景の中、代わり映えしない病棟廊下がさっき歩いたそこであると、過ぎ様に見えた部屋番号のプレートで分かる。

 今にも転びそうな勢いで、ようやく病棟の最奥。

 セラフィム・ハルナこと、白河治奈の病室――――先ほどまでいたそこへ、ようやく辿り着き、取り戻せた平静、可能な限りゆっくりと、戸をくぐると、そこには――――さっきまで一緒にいたはずのが、治奈さんへ寄り添うように、座っていた。


「あぁ、もう来たのか? 蛍……病院の廊下を走るな。常識なんだろう? ……地球人の間では、な」

「てめぇ……!」


 外見も、素振りも、声も、話し方も。全てはさっきまでそこで座って話していた夜見原露稀のものと相違ない。

 ただ、その指先は、眠る治奈さんの顔にも頭にも触れていない。

 彼女の体に繋がったいくつものチューブと、酸素吸入器を指先で絡め取り、引き上げ、悪意に満ちた玩弄とともに……俺を、にたにたと笑いながら、見つめていた。


「……君たちさ、お見舞いはもう少し短くしてあげなよ? 待ちくたびれたじゃないか、僕まで」


 外見こそ、確かに変わらない。

 腰まである艶やかに長い黒髪も。ややきつく鋭い、鷹のような目も。日差しを吸い込んでいないような白く薄い皮膚も、長身ながらも主張激しいプロポーションも、長く美しい脚線も、しなやかな指も。

 だが、それでも、言葉遣いだけでなくとも分かる、おぞましい内面は露稀さんとは真逆だ。


「治奈さんから離れろ、“レイス”」

「なぁんだよ。僕の名前もう知ってたのか? まぁ、名前でもないか。……にしても、随分な口を利くんだな」

「黙れ。……治奈さんから離れろ。殺すぞ」

「できるのか、君に?」

「なら――――蛍に代わり、私が処してやろうか」


 背後から、今目の前にいるそれと全く同じ声が聞こえた。

 しかしその声は、悪辣な愉悦を交えて語る目の前にいるそれとはまるで違う。

 押し殺した殺意とともに、階段を走り登ってきた息も絶え絶えに熱い呼吸とともに放つものだ。

 振り向くまでもなく。俺が、じっ、と目の前――――露稀さんの姿を真似たまま輸液管を弄ぶレイスに注目していると、背後にいる本物の露稀さんが続けて口を開く。


「……私に泳がせ、案内させたのか? 治奈の、居所を……突き止めるために……!」

「はははっ……違う、違う。そんなに自分を責めるなよ。……とっくに突き止めていたさ。だから、たまにこうして会いに来ていたんだ。彼女……可愛い寝顔だよね」

「もう一度言う。治奈から離れろ、薄汚い悪霊め」

「ここでやる気か? いや……僕はそれでも一向に構わないけどさ。君たちはそれでいいのか?」


 くいっ、と持ち上げた拍子に、治奈さんの口元にかぶさっている酸素マスクが浮いて、隙間を作る。

 同時に輸液管も持ち上がりピンと張って、眠り続ける彼女が、気のせいか……表情をかすかに歪めたように、俺には見えた。


「お前を殺せればそれでいい。どうせ穏やかに済ませる気などないのだろう。……お前を殺して、私も死ぬまでだ」

「……参ったなぁ、利害が一致しちゃったじゃないか。紛い物クン。君の意見はどうかな?」


 一触即発――――いや、もう撃鉄は動いているし、スイッチから走る電気信号は放たれているようなものだ。

 次の瞬間にはこの病室が吹き飛び、爆ぜているとしか思えない鋭すぎる緊張感だった。

 ……限界まで遅滞した時の中、思考を巡らせる。

 すぐ間近に治奈さんが寝ている。隣にも、上階にも、下階にも無関係の入院患者やスタッフがいる。

 ついでに俺も巻き込まれて死ぬのも間違いないがそれがこいつの目的だとも、思えない。

 治奈さんを消したいのなら、待たずにやればいい。目的はそれでもなく、俺や露稀さんを始末するためでもないはずだ。

 なら。


「――――目的はなんだ。話があるんじゃないのか」


 この場から荒事を起こさず離れ、連れ出す事ができるなら。

 まずは、そう――――言い分だけは訊くべきだと、思った。


 俺がそう切り出すとレイスは腰を浮かせて立ち上がり、ぴん、と弾くようにして千切りかけた治奈さんの輸液管から手を離した。

 

「その通り、目的はあるとも。場所を変えよう、君の勇気に免じてね」



*****


「実のところ、僕も……彼女のファンなんだよ。君たちと何も変わらない、純粋な気持ちで彼女。治奈ちゃんに憧れているんだ」


 うららかな日の差し込む病院の中庭の一角、樹に背を預けてそう語るレイスの姿はまたも変わり……今は、パーカーと短パン、スニーカーに身を包むどこにでもいそうな、およそ十歳ごろの無垢な男子児童の姿に変わっていた。

 ここまでの道中、露稀さんから耳打ちされたところによれば……これは、かつてこいつが本性を見せる以前、治奈さん達に自分たちの正体を語り、親睦を深め合っていた頃にとっていた姿だという。

 つまりは、こいつは――――この姿で、二人をあざむいたのだ。


「お前は……どうして、意識があるんだ。他の奴らは皆、自分が何だったかさえ忘れていると聞いたぞ」

「……君たちには分からない。何千何万年飛んでも、宇宙の光景は変わらないんだ。恒星がある。ガス状惑星がある。小惑星帯がある。ああ、また恒星だ。……同じことの繰り返しさ、頭がおかしくなる。実際に皆、気が狂ってしまったよ、お説の通りにね」


 露稀さんは今もまだポケットの中で魔杖を握り締め、変身の隙を伺っている。

 それでなくとも、こいつから話を引き出せる余裕は今はないはずだ。

 だから俺が露稀さんに代わって今、話していた。


「精神体のまま宇宙を漂うのもいずれ限界が来ると、分かっていなかったのかな、みんな。……そう、分かっていなかったんだろうなぁ。そういう訳でね、今この太陽系第三惑星“地球”に惹かれて現れている僕たちは、かつての母星の残党の残党、そのまた残党、ぐらいなものさな。それに、僕だってずっと精神を保てていた訳じゃない」

「どういう事だ」

「僕とて例外じゃない。精神は崩壊していたとも。……この星を救うために現れた、非力な少女達の姿から一転、まさかまさかの実在、存在、僕たちの科学のみならず君たちの涙ぐましいそれさえ完全否定した、素晴らしい力。――――“魔法”だよ! “魔法”を初めて見た瞬間、僕は……興奮のあまり、自我を取り戻したさ」

「それが、セラフィム・ハルナを初めて見た日のことか」

「そうとも。だって……凄いじゃないか! “魔法”だよ!? 誰だって使いたいじゃないか、そんなもの! 君だって気持ちは分かるだろう!?」


 俺には、答えられない。

 この支離滅裂なことを口走る悪霊は、狂っているようでありながらも、恐ろしく“人類”の心を理解していた。

 先ほどの病室の一幕にしても、治奈さんを人質に取ってからのやり取り。

 口ではああは言っても、決して露稀さんが仕掛けてこない事を理解して、読み切ったうえでの言葉の応酬だった。

 そして、“魔法”という力への憧れまでも口にして、俺へ同意を求める事さえ絡めてきた。


「“魔法”の力を手に入れる事が、お前の目的だと? それで……治奈さんを、騙したんだな」

「その通り。理解が早いなぁ。彼女を手っ取り早くサンプルとして飼ってしまえば良かったけど……ふと、疑問が湧いてね」


 言って、少年の姿を取ったままのレイスはにたりと笑って、わなわなと手を震わせて機を待つ露稀さんへと目配せした。


「そもそも、“魔法”の力とは……そうそう行使できるものなのか? 魔力とは、何か。それは僕たちでも扱える類の事なのか、ってね。奪って手に入れたところで、意味がない。行使するための条件とは? ……そこで、契約者として行動していた、露稀ちゃんに目がいったわけさ」

「何……?」

「で、考えてみたんだ。まぁ、もののついでに――――治奈ちゃんの魂。精神。まぁ、そんな感じのものを、引き抜いて連れて行ってやった。案外やり方はものだねぇ。そして現場を露稀ちゃんに見せつけ、わざと魔法のアイテムをその場に落としておいてやった。……拾ってくれるのを期待してさ」

「てめぇ……まさか!」


 かっ――――と熱くなり、語気を荒げてしまった。

 一瞬だけ見えた露稀さんの表情はもはや――――俺でさえ、恐ろしくて注視できなかった。

 青いのか、赤いのか、それさえ思い出したくない。今露稀さんの顔を見れば、体が凍り付くに違いない、と体が判断するのが分かる。


「“契約者”として行動していた君が、僕をその力で追ってくる事を期待した。……結果は上々。魔法少女ではないはずの君が、魔法少女のマネ事をして戦い、僕を追ってきた。素晴らしい、“魔法”の力は……誰でも使えるものだった。少なくとも、“魔法少女”でなくてもだ。……これですべてが整った。実験に付き合ってくれたお礼の前に、僕の目的をそろそろ言おう」


 そしてレイスは背を樹の幹から離し、ゆっくりと、ゆっくりと――――露稀さんへと、歩み寄っていく。

 やがてその距離が、レイスの脚で六歩ほどまで狭まった頃。

 にっこり、と微笑みかけ、見上げながら彼女へ言う。


「君を調べたい。僕と一緒に来てよ。……代わりに治奈ちゃんを返してあげるから、さ」


 そう……“ちょうだい”とねだる子供のように、手を差し出して、言い放った。

 まるでおやつでもねだるように……悪びれもせずに。

 露稀さんは、怒りに目を見開いて後、しばし目を閉じる。

 やがて……こくん、と頷き、再び目を開く、その瞬間。


 がぎんっ――――!という、金属同士がぶつかり合うような剣戟けんげきの反響音が、高らかに中庭を駆け抜けた。


 俺は……紛れも無く、レイスと露稀さんを瞬きすら挟まず見ていた。

 なのに、それでも。文字通り一瞬さえもない間で、露稀さんの顔は黒曜の仮面に覆われ、その左手には長尺の大太刀が握られ――――鞘に納められたまま、少年の姿をしたレイスの首へ打ち据えるように払われていた。

 だが鞘とはいえまっすぐに首を真横から捉えて直撃しているにも関わらず、レイスの首はへし折れもせず、わずかに傾げる程度に終わる。


「あっははっ……おいおい、“魔法少女”が子供に暴力はまずいんじゃないかい?」


 この期に及んでのレイスの嘲弄は、もはや火に油を注ぐだけに過ぎない。

 左手の大太刀を引き戻し。

 露稀さんは今までもずっと、そして今もまたそうするように、左腰を切り――――右手首をぎゅっぎゅっ、とスナップさせ、構えた。



「あいにく……私は“魔法少女”じゃない。……寝言なら、死んでから言え」









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