第十八話 ~夜見原露稀~


*****


 私と治奈が行き着いた答えを告げると、けいは――――ぽかん、と口を半開きにしたまましばたたき、そして徐々に、徐々に奇妙に引き攣る薄笑いに見えなくも無い表情へと、変わっていった。


「は、えっ……? 人類、異星、って……え……? あれ、が……?」

「そうだ。自在にその身を変化させ、何でさえも模倣してしまう荒れ狂う怪物達。アレは異星の人類だ。……もとより、それが地球外からの存在だった事は分かっていただろう。ならばどこかにアレを生み出した星がある、という事も」

「そ、りゃ……いや、それよりっ……どこが人類ですか!? あんなの……あんなの、まるでっ……」


 そう、困るだろう。

 あの怪物たちの姿を見て、異星に文明を築き上げた霊長の面影を感じる事などできようはずもない。

 むしろその星を食らい尽くした魔物たちだとでも言われた方がまだ、納得できるぐらいだ。


「……だが、蛍。お前の反応は正しい。より正確に言えば、既にアレは異星の霊長の尊厳など消えて失せている。アレは既に、同情をすべき存在ではない。……もはや“悪霊”でしかない存在へと成り果てているのだから」

「詳しく……教えて、下さい」

「ああ。勿論だ。とりあえず、座ろう」


 言って、私と、蛍は病室内にあった二脚の椅子へ腰を下ろし、今も眠り続ける治奈の傍らで向かい合った。

 私がいくら頬を撫でても、治奈からの反応はない。

 手を握っても、握り返してなどくれない冷たいままの手、あの日から変わらない小さな手。

 あれから四年を経て私はこんなに成長したのに、治奈の肉体は時が止まったままだ。

 縋るように治奈の手を握って、私は今、ともに私とある契約者、蛍の目をまっすぐ見つめて、言葉を紡ぐ。


「かつて、奴らの星は隆盛を極めた。現代の地球人では到底太刀打ちできないほどに高まった文明、科学力はもはや“魔法”の域にまで達していた。……だがその繁栄は、すぐ間近にまで破滅をも、引き寄せていたのさ」

「……なんとなく、話が読めてきた気がします」

「流石だ。……そう、おおむねお前の考えている通りの、お決まりだ。終末の戦争を勃発させ、アレらは大きくその数を減らし、更には度重なる超兵器の使用により、母星の生命力をも根こそぎ奪ってしまった。その結果、やがて星は命を尽き……奴らの科学力でさえ、死にゆく星をよみがえらせる事など、できなかった」


 どこにでも、掃いて捨てるほどある物語だ。

 恐らく、地球もまたいつかそうなる、地球人類もその末路を指さして笑えたものでは、決してない。

 ありきたりで、救いがなくて、そして実際に救いはなかったそれが奴らの末路で、今地球が直面する危機の始まりだ。


「そして、星が終わるとなれば持ち上がるのは移民計画。……だがそれも猶予は残されていなかった。そこまで逼迫した状況の中、宇宙船を介さない移民計画が、立案された」

「宇宙船なし、って……そんな事できるわけないじゃないですか。移民もクソもあったもんじゃ……」

「その通り。もはやそれは移民計画などとは呼べない。……極度に高まった科学は魔法の域に至るとは、よく言ったものだ。ならばそれで起きる奇跡はもはや神の御業で、信じて成す宗教の域にまで達する。……奴らは、肉体という枷を、捨てる事を選んだ」


 人類はもう、その姿を見ているはずだ。

 国際宇宙ステーションが捉えた、衛星軌道上に現れた不定形の“巡礼”の姿を。


「奴らは肉体を捨て、形を持たない精神体のみとなって宇宙の闇を旅する事を選んだ。……もはや原理も理屈も分かったものじゃない」

「そんなの、科学でどうにかなるもんですか……!? つまり、そんなワケの分からない状態になってまで母星から離れて……好きな姿に自分を作り返る事までできる、って……じゃあ、どうしてわざわざそんな怪物の姿になるんですか」

「蛍。お前は……この宇宙の闇を寿命の枷もなく自由に旅できるとして。どれほどの間、人格を保っていられる自信がある」

「っ……それは……」

「そう。あまりに永い時、宇宙の闇をたゆたう内に往時の理性、人格は失われた。今となっては、自らがかつて高度な知性を持つ、万物の霊長であった事など覚えている者はあるまい。……そして恐らくは母星に似ていたのだろう、この星を見つけるに至る。そこで、奴らはこの星の生き物たちをつぶさに眺め、観察し、真似る」


 思えばきっと、アレらの星の生き物たちの姿も、この星のそれとそう変わりはないのだろう。

 この星の暖かくまだ瑞々しい光に触れ、かつて自分たちの傲慢から葬り去ってしまった母なる星と重ね合わせ。

 もう一度、生態系の原始からやり直そうと……原始的な特徴を色濃く残す、種々の生き物の姿を真似て降り立つ、ささやかな反省もあるのかもしれない。

 蛍もまた、私と似たような事まで考え至ったか、しばし押し黙る。

 病室にふさわしい沈黙が訪れるも、やがてはそれも破れる。


「……せめて、人間に化けてくれたら」

「ん……?」

「せめて、人間に化けて、何かしらの接触を図ろうとしてくれていたのなら。別の道も……あったのでしょうか?」

「かもな。だが結局のところはこれさ。奴らは、七十億もいる“人類”の姿を真似ようとしない。目に入っていない訳などないだろうにな。だから、こそ――――相容れる事は決してない。協調か、あるいは宣戦布告でもいい。せめて意思を示せば、探れる道もあった事は私も疑っていないさ」


 何にでも化ける事ができるのに、人間の姿を決して真似ない。

 それこそがまさしく、アレらの意思表示だと私は感じる。根本的に、人類を軽視している。

 あるいはそれとも、やせ細り、枯れた意思の根底には現人類の発展の途上を、“我々はすでにそこは通過した”とでも蔑視する感情でもあったか。

 そうでなければ、七十億を数える人類の姿を取らない理由の説明がつかない。

 宣戦布告でもあれば、せめて我々を“言葉を用いて接触をとれる”相手であるという程度に認めてはいる事の証左になるが、それもない。

 となれば、これはもう、対話の余地など無い。害獣の駆除や悪魔祓いと何も変わりはしない。


「……衝撃の事実を聞き連ねて疲れたろうが、ここからが本題だ、蛍。少し、休もうか?」


 自販機はどこにあったか――――と思い出そうとするも、蛍は、ささやかに首を振る。


「いえ、結構です。続きを、話してください。……露稀さんは、どうやってそれを知ったんですか?」

「了承した。……何、難しい話でもない。私にも、治奈にも、そんな事柄にまで行き着けるような頭脳もなかったとも」


 その事実をもたらしてくれた、あの悪霊を思い出せば出すほどに、怒りが募る。

 治奈の小さな手を握る手にも力が籠もりそうになり、緩めなければならなかった。


「……直接、聞いたんだよ」



*****


 魔女の夜から一年たたない頃、お揃いの中学制服にも着慣れてきたような頃に私と治奈はある日、奇妙なモノを見つけた。

 戦闘領域から帰ろうとした矢先、治奈が目ざとく見つけた痕跡は……奇怪に光る、金色の鱗のようなものだ。

 まるで上質のシャンパンから立ち上る気泡のように光の泡を放ち、点々と続くそれは少し離れた路地の先にまで続いており、治奈は直感からか変身用の魔杖ウォンドを握り締め、私もまた、即座に対応できるよう注意深く進んでいった。


「……露稀ちゃん、少し離れてて。もし何かあったら、すぐ逃げて、皆を避難させてあげてね?」

「うん。治奈も……気を付けて、ね?」


 やがて光る鱗を追い求め、薄暗がりの路地の中にある開けた隙間を覗き込む。

 エアコンの室外機の重奏が響き、生ぬるく饐えた都市の暗渠あんきょの腐臭の中、“それ”はいた。


「治奈っ……あれ……たぶん……」

「だけど……何か、おかしいよ……!?」


 公開された宇宙ステーションの映像にどこか似た印象を受ける、おおまかな人型を模して淡く光を放つ、実体なのかどうなのかも判別し切れない、“存在”としか表現できなかった。

 魔女の夜の以前の世界でならば、怪奇現象、または奇跡と呼べる何かに見えたかもしれない。

 ともかく、淡く金色に光る人型のそれはうずくまったまま動かず、じっと何かに怯えるように震えていた。

 大きさは、人間の子どもほどだろうか。

 紛れもなく“星の巡礼者”の一種に違いはなく、今ここでこうしているからといって油断できる存在ではない。

 すぐさま変身し、一撃で倒すべきだったが治奈はそれを躊躇い――――ゆっくりと怯えさせないように歩み寄っていった。


「ねっ……。キミ、どうしたの?」

「治奈……! そんな、近寄っちゃだめだよっ!」

「ッ……!? アッ……? %#&? *”#、#♪……?」


 戸惑うような奇声、耳の奥底までぞわぞわと入り込む不快感はもしかすると、彼らの持つ本来の言語だったのかもしれない。

 ゆっくりと身を起こした“それ”は、先ほどまでの震えがウソのようにしゃんと立ち上がり、光り輝く人間の子どものシルエットのまま、私には眼もくれず、声をかけた治奈をじっと見据えていた。


「キミは……“星の巡礼者”? あ、えっと……言葉、わかるかな? 勝手に、私たちがそう呼んでるんだけどね……お名前、あったら……教えてくれる? 私は……白河治奈しらかわはるな。わかる? 私。治奈。は、る、な」


 そんな明らかに得体のしれないものを相手にしながら、治奈は呼びかけを続け、自分の名を告げながら何度も自分を指す。

 滑稽な風景を、ほんの一、二分ほど続けた頃。

 ぼう、っと、“それ”の口のあたりが切れ込み、噛み締めるように。


「ハル……ナ……」


 鸚鵡おうむ返しにそう言って、“それ”は、治奈を指さし――――史上初めて、“巡礼者”は、意味のある言葉を私の前で告げた。


「そうそう、治奈! で、キミは? キミのお名前は?」


 治奈は興奮冷めやらぬ様子で喜び、続けざまに“それ”の名を訊ねる。

 “始まりの魔法少女”は、初めて星の巡礼者と意思を交わした存在となった事を、私はこの目で確かに見た。

 そこから、更に数分後。


 今思えば、私はここで気付くべきだったのだ。

 それ、は――――嘲笑うための悪意だ。

 悪意がなければ、そんな名など決して名乗りはしないのだから。


「ぼ、く、ハWr、れ、i……レイ、ス。ぼく、は――――レイス」



*****


「……知った時には、遅かった。それは欧州の伝承に現れる、世を彷徨う不浄の悪霊の名だ。今思えば、話せずにいた事さえも演技に過ぎなかったんだろう。ヤツは――――その名だけで、全てを語っていた! 何も、かもだ!」

「露稀さん……落ち着いて……! ここ、病室ですからっ!」

「っ……! すま、ない。……ヤツは私と治奈の前に現れた時点で、すでに知能を取り戻していた。恐らくは人にさえ化けてこの星の知識を蓄えたのだ。……“伝承”にさえも興味を示して。同じ星の同胞達が魔法少女達に倒されていく事さえも看過して。捨て駒にさえして。何もかもが悪辣あくらつだ。名乗った名、“レイス”とはまさしくヤツの在り様を示しているんだよ」

「レイス……ですか。何か、で……聞いた事はあるような……」


 語り終えるなり、露稀さんは激昂し、普段の落ち着きぶりなど微塵も無く敵愾心を露わにして口汚く“それ”を罵った。

 レイス、とは何かで確かに聞いた事のある名前だ。何かのゲームにでも出てきていたような気もする。

 だけどどうしても、そこから先は思い出せず……アンデッドの何かだった、ぐらいにしか記憶にない。

 俺のそんな表情を見て、露稀さんはぎりり、と歯噛みし、思い出してしまった怒りを堪えながら補足する。


「肉体を失った魔術師が変じる、夜の間しか動けない悪霊、だそうだ」


 確かに……その名を、星の巡礼者が語るのならば、悪意に満ちているとしか形容できない。

 高度な文明を築き上げたものの全てを失い、肉体さえも捨てて宇宙の闇を彷徨う事になったかつての賢人達。

 それが名乗る名前としてはこれ以上の相応しいものはないだろう。

 そう思えば……俺の胸にも、怒りが渦巻いた。

 露稀さんの足元にも及ばないだろうが……それでも、だ。


「そして目的もまた。伝承の悪霊そのものだった。奴の目的は、“魂”。」

「まさか……!」


 露稀さんがきっ、と視線を走らせた先には、眠り姫の姿。

 もうここまで来れば、俺にも、分かる。


レイスヤツは――――セラフィム・ハルナの。白河治奈の魂を抜き取り、奪い去った」


 答えは、俺が行き着き口に出したのか。

 それとも露稀さんが口走ったのか。

 それさえ分からない、乾いた静謐な空気が俺の心臓をぎゅっと冷たく掴むような時がしばらく、続いた。


 心臓が冷たく締め付けられるようなのに、拍動はいつまで経っても落ち着かない。

 にわかには信じられない言葉の極め付けが、これだ。

 星の巡礼者の正体。露稀さんの正体。セラフィム・ハルナの現在と、そして、“敵”。


「ヤツはさも親切かのように、ペラペラと自分たちの出自を語った。いや……“売った”と言ってもいい。私が見たのはある日、変身もしていない治奈が倒れて動かず、瞼さえ閉じられない姿。それまで化けていた人間の子どもの姿ではなく、なり替わるように白河治奈の姿へと変貌を遂げた悪霊が――――私へ向け、勝ち誇るような薄笑いを浮かべ、やがて飛び去って行った。……気付けば治奈の魔杖が私の手の中にあった。何故、ヤツが持ち去らなかったのかは分からない。だが、それはどうでもいい。ヤツをこの手で殺してやりたい気持ちだけが私を動かした」


 魔法少女が、――――いやもしそうでないとしても、この場で決して使ってはならない言葉には、違いない。

 それでも魔法少女ではない、“夜見原露稀”の語る言葉にはどこまでも真っ直ぐな熱い殺意が秘められていた。


 彼女は、ずっと、ひとりで。

 四年もの間……自分だけが歳を重ねる中で、時の止まったように眠り続ける治奈さんを救うために、その魂を奪い、姿さえも真似て消えた“レイス”を探し求め、戦い続けてきたんだ。

 気付けば彼女の手の中に、本来の持ち主を傍らに眠らせたままの、“魔杖”が握り締められていた。


「私にもこれを使えば魔法少女の力は扱えたが、代償があった。私程度では魔力の量は恐ろしいほど低く、普通に戦っていては奴らに致命打を与えられなかったのさ」

「だから……コスチュームに付随するはずの、防御障壁を諦めたんですか」

「察しが良いな。それとも化け猫の入れ知恵か? ……そう、私は防御障壁へ使う魔力を攻撃へ注いだ。飛行も諦め、遂には――――認識阻害の魔法も、私にはかかっていないんだ」

「それで……仮面を?」

「……そこまでしても、私には。一度の変身で一度しか攻撃できない。一撃で相手を倒す戦いしかできない一方、一撃でも喰らってしまえば私は死ぬんだ。……ははっ、お笑い草だ。殺すか死ぬか、あの白馬鹿をどの面を下げて見下していたんだろうなぁ、蛍? まったく……笑えるよ、私ときたら」


 乾いた笑いをこぼす儚く白い露稀さんの頬を、いつしか涙が、滑り落ちていた。

 気付けば俺は、腰を浮かせて。


 皮膚が裂けるほどに強く、魔杖を握り締める露稀さんの左手へ、手を重ね合わせていた。

 少し驚いたか、露稀さんの潤んだ琥珀こはく色の瞳が、まっすぐに俺の顔を向いた。


「そんな事、言わないでください。……リーナも、露稀さんの気持ちは分かっている。だから、あの時も……露稀さんを助けるためにリーナは怒ったんです」

「ち、がう……私は、そんな事……! 私が、あの白馬鹿に、恩を着せたのは……ただ……」

「違わない。リーナは、本当は露稀さんの事をきちんと……」

「違う、違うんだっ……! 私が奴を助けるのは……治奈に、どこか、似た……あの白馬鹿に、何かあったら……今度こそ、わたしは……壊れてしまう、から……っ! ぜんぶ……わたしの……私の、話でしかない……っ! 私は、自分の事しか……」

「ほら。やっぱり……違わなかった」


 ぽろ、ぽろ、と流れる露稀さんの涙は冷たくなどなかった。

 肩口から感じる熱さと、重さ。露稀さんが初めて俺に預けてくれた心地良い重さと、熱が――――今はただ、心地良いとさえ感じた。


 やがて、正午が近づくころ。

 ようやく泣き止んだ露稀さんが離れ、一緒に病室を出た。

 先に病室を出た俺が振り向くと、露稀さんは……一度だけ。


 “また来るから”とでも言うように、ひらひらと……小さく、眠り続ける治奈さんへ微笑みながら、手を振っていた。







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