第十六話 ~魔女の告解~
*****
――――それはまぁ、確かに筋は通る話なんだ。
話がしたい、と送ったのは俺で、会いたいと送ったのも俺だ。
そうくれば、あの返信……『話がしたいのなら、オマエが来い』と言うのは決しておかしくない。
人としての礼儀の話ならそういう事になるが……何と言うか、俺は今、
「……ここで……間違って、ないよな……?」
目の前にはいったい何坪あるのか分からないような――――もう、“家”という認識すらできないような豪邸があった。
曲面的にデザインされたモダンな外観はまるで新設された美術館の別棟か何かのようにさえ見えて、高く見上げれば三階相当部分にあるテラスは、そこだけでちょっとした屋外パーティーでも開けそうな広さで――――正直に言えば、その部分の面積だけで、俺の家ぐらいはあるような気がするほど。
地下に向かうスロープはガレージへ続き、閉まっている扉からは中の様子はうかがえない。
地上部分は広く作られた窓があちこちにはめ込まれていて、朝の陽ざしにキラキラと輝いていた。
そして固く閉ざされた門扉の横にはまった表札を見れば、確かに疑問は解ける。
「夜見……原……。やっぱり、マジでここ、なのか……?」
疑問は解けたし、用があるのも事実。
なのに、どうしても――――呼び鈴が、押せない。
本当に押してしまっていいのか。ここで間違いないし、用はちゃんとあるし、イタズラじゃない。
だがどうしても気後れしてしまって、右往左往しながらしばらく棒立ちのままためらっていると……門扉のほうから、軋みひとつ立てずに開いた。
「来ているのなら呼び鈴ぐらい押せばどうだ、通報されるぞ。……呆れるな、お前には」
「あ、えと……やっぱり……ここ、露稀さんの……家で、いいんですか?」
「夜見原、なんて名字がそうそうあると思うのか? 私の家だよ。今は故あって私一人だがな」
いつもの、つれなくストレートな露稀さんの物言いに、少し安心した。
週の真ん中、水曜日の朝。返信を見てすぐ、写真付きで住所を記したメッセージが送られてきて、思い立って来てみれば――――住宅街にひときわ目立つ豪邸があり、そこが露稀さんの家だと気付くまでは早かったがとうとう呼び鈴は押せなかった。
出てきてくれたのはありがたいものの、少し……今更になって、言葉に窮した。
つい目を伏せ、彼女の制服スカートからすらりと伸びる脚に目をやるも、そこに傷は残っていない事に安堵する。
「えっと……元気そうで、安心しました。傷、残ってなくて……何よりです」
「……お前こそ、大丈夫なのか。私に魔力を供給した時の……痛みは、もう無いのか?」
「ええ、大丈夫です」
あの翌日は全身がひどい筋肉痛になり、丸一日寝て日曜日はつぶれたから、半分はウソだ。
身体を動かすだけで痛みが走り、歩こうとすれば
次の日にはマシになったものの、ああも体が悲鳴を上げた事はない。
「……すまなかった。お前の指に、ある……それはな……」
「はい……?」
「その“地脈の指輪”は――――アレの言った通り、……
「はぁ!?」
そう言われ、俺が視線を下ろした先、左手の薬指にはまった漆黒の指輪を露稀さんは申し訳なさそうに見つめた。
「紛い物、って……どういう事ですか!?」
「お前の体に魔力を貯留する事はできる。しかしその循環は不完全なものとなり――――この言い方で正しいのかは分からないが、正規のルートではない経路でお前の体に入った魔力は癒着を起こし、そこから魔力を引き出そうとすれば――――神経を引き剥がされるような激痛を引き起こしてしまう。あの化け猫の言った通りな」
「どうして……どうしてそんな事を黙ってた!?」
「お前の、怒りは……もっともだ。……すまなかった」
「黙ってないで――――ちゃんと先に説明しておいてください、って言ってんだよ!」
「えっ……?」
あの痛みは生きている限り、もう二度と味わいたくないものだ。
恐らく俺が今後生きていて、どんな怪我をしたとしてもあの苦痛をしのぐものは現れないだろう。
だが、それも――――ボロボロに傷つきながらも戦う彼女を思い出すたび、湧きかけたその恨み節は消えていった。
その告白は確かに衝撃だったが、俺の怒りはそこにはない。
ならば、せめて――――
「そんな副作用があるんなら……先に、教えてください。覚悟ぐらい、きちんとさせてください。痛いなら、痛いで……俺は、構わないから」
「
せめて、先に教えてほしかった、だけだ。
露稀さんに対して持つ不満があるとすれば、それだけ。いや、もっとあるといえばあるが――――そもそも露稀さんは秘密が多すぎる。
秘密が多いが、それは悪意では決してないと今なら、分かるから。
やがて露稀さんが滲ませるように唇をかすかに歪ませ、困ったように微笑むと、次の言葉を紡いだ。
「蛍。お前、学校には?」
「露稀さんはどうなんですか。……それに、俺が何の話をしたくて来たか、分かってるんでしょう」
「……まぁ、な。少し…………遠くへ出ようか。ついて来い」
言葉こそ、いつもの露稀さんだが――――どことなく、覇気がない。
俺が目を合わせようとしても、わずかに目を泳がせ、伏せて。
まるで何かの罪悪感を必死に堪えようとするような、いつもとは真逆の――――露稀さんに似合わない、“弱々しさ”があった。
*****
「――――“星の巡礼者”には、そもそも目的が存在しない」
「え……?」
「蛍。……お前は、奴らの形態に疑問を持った事がないか。衛星軌道上に不定形で現れて、地球上の生物を雑に模したような姿で降りてくる。全く一貫性が無いままに。奴らの姿の理由とは?」
「理由……と、言うと……」
「だから……無いんだよ。地球征服を目論んでいる訳じゃない。地球破壊でもない。人類の抹殺でもない。ただ、ヤツらは……気まぐれに見つけたこの星に、そしてここに生きる生き物の姿を真似て降り立ち、マネ遊びをしているだけに過ぎないのさ。ヤツらは、体の組成を変化させ、何にでも化ける事ができる。硬質な殻を持つ虫の姿。鱗を持つ爬虫類の姿。空を駆ける鳥の姿をも真似る。物理法則を嘲笑うかのようにな」
「無い、って……じゃあ、ヤツらはいったい何なんですか? どこから来た存在なんですか!?」
「……それは、この先で話すよ。ここから先は互いに口を慎むべき場だ」
――――扉をくぐると、つんとくる消毒液の匂いが鼻をつんざく。
いくつになっても、慣れはしない。澄んだ暖かい空気と、思わず身構えてしまう消毒液の匂いは眼を閉じていても分かるだろう。
「……病院?」
露稀さんが先導するままに到着したのは、宵城市中心部にある大学病院の一棟だった。
ロビーに至った時点では、まだ――――まだ、活気があった。
点滴台を押して歩くご老人の患者が、見舞いに来た家族と談笑していたし、リハビリの一環か、療法士と一緒に手すりに掴まって歩く患者の姿も。
併設されたカフェで軽食を取る家族の姿もあったし、受付に座る医療事務の方々の顔にも悲壮感はない。
ここは、まだ――――外界と繋がる場所にあったから。
しかし、勝手知ったるように歩く露稀さんについていき、入館証を首にかけられてからの道のりはまるで違う。
奥へ、更に奥へ。
患者とも、看護師とも、医者ともすれ違う回数がじわじわと減っていく。
だんだんと、世界との“接点”が途切れていく……そんな、不吉な予感だ。
エレベーターを乗り継ぎ、渡り廊下を渡り、また歩き。
やがてそこが何階なのかも分からなくなった頃――――露稀さんが、ある病室の前で脚を止めた。
更に、ここまでの道のりで疲れたという事もないだろうに……覚悟を決めたように深呼吸し、浅く、早くなりかけていた息を整えている。
その顔は疲れではなく、どこか血の気が薄い。
「……露稀さん、大丈夫ですか?」
声をかけても、反応はあまり良くない。
思わず手を伸ばしかけると――――びくっ、と身じろぎし、驚くような、いや……怯えるような視線をこちらへ向けた。
「ご、ごめんなさい……露稀さん。驚きましたか?」
「い、いや。……入るぞ」
ようやく気を取り直したか、露稀さんがスライド式の扉に手をかけ、ゆっくりと開く。
音も無く開いていく個室の扉の向こうには、ベッドを囲むように引かれたカーテンを透かして飛び込んでくる、柔らかい光が見えた。
明るいのに。空気も澄んでいるのに。それでも何かが凍り付いたような、
墓場のような、と表現はしない。
でも、何かが。
何かが――――“止まっている”ようなそれが錯覚であると信じたい気持ちがわずかに起きた。
「……蛍。魔法少女には認識を阻害する魔法がかかる。しかし、契約者はその限りではない。現に――――あの
ベッドを囲むカーテンに手をかけ、最後の念を押すように露稀さんがそう問いかける。
この先にあるものを遠回しに暗示し、俺と――――そして自分に、覚悟を決めさせようとしていた。
カーテンの向こうからは、ぴっ、ぴっ、と――――何かの電子音が規則正しく響いてくるが、ここまで来てもなお、そこに横たわっているだろう誰かの“気配”だけが、恐ろしいほどに感じ取れない。
呼吸音も。衣擦れも。何も、だ。
たぶん俺はこれから、世界の誰も知らないような事を知る事になる。
後悔を招くかもしれない、そんな予感があったが――――ここまで来てはもう、引けない事は分かっていた。
「…………行こうか、蛍」
こくり、と頷いたのち――――露稀さんは、一気にカーテンを引いた。
そこに、静かに、横たわっていたのは。
「今のオマエなら――――彼女が誰か、分かるな」
くしゃくしゃと柔らかく巻き気味の、青みを帯びた銀髪。
いくつもの管と装置に繋がれ、酸素吸入器を付けられてなおも優しく笑いかけるような、穏やかな寝顔はあまりに幼い。
体も、また――――小さすぎる。
「……彼女の名は、
「“始まり”の――――」
「そうだ。……その通り」
露稀さんはそう言って、彼女の頬を指先で優しく撫でる。
だが、その眼が開く事はなく、身じろぎ一つさえ返しはしない。
「“始まりの魔法少女”セラフィム・ハルナ――――それが、もう一つの名、そして」
露稀さんが彼女……眠るセラフィム・ハルナの頬を撫でる指に光が灯る。
そこに嵌っているのは俺とのものではない、曇りなく光る、白銀の指輪だった。
「この、私は――――彼女と誓いを交わし、支え、ともに戦っていた」
見上げれば、露稀さんの頬を一筋の涙が伝い落ち、ぽたり、と垂れて……治奈、さんのベッドの柵へと落ち、弾けた。
彼女の表情は、
俺は、黙って彼女の言葉を、待つ。
待つまでも無く、続く言葉は分かる。だからこそ――――露稀さんが明かすと決意した言葉を、遮る事はできなくて。
「私は白河治奈の幼馴染。そして…………セラフィム・ハルナの、契約者だ」
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