第十五話 ~猫の手を借りた日~



*****


 遊園地廃墟の連戦と、“始まりの魔法少女”セラフィム・ハルナとのありえない邂逅かいこう

 あれから実に三日が経ち、星の巡礼者の降下現象は、すくなくとも日本では一度も無い。

 “魔女の夜”以降に開設されたいくつかのwebサイトでは、世界各国に現れた巡礼者の外観、その出現位置が自由に閲覧えつらん、編集できるようになっていたが、この三日間で日本のどこかに現れた例はない。

 無論、宵城よいしろドリームパークに現れた飛行型二体も載っていたが、ただ不幸中の幸いというか……あの時、獣型に加えて“魔法少女セラフィム・ハルナ”の姿を見た者はあそこに居合わせた俺達三人と一匹しかいなかったようだ。


 もしも、セラフィム・ハルナがあんな姿で都市部に観衆のもとに現れていれば……確実に、恐慌が起きたはずだ。

 世界を守るために初めて“魔法の力”を使った女の子が、ああも残酷な笑みと心を抉る言葉を喜々として操るなんて。

 人々の間に困惑と哀しみが蔓延し、そこから先は何が起こるか分かったもんじゃないからだ。


 そして、姿が見えなくなったのは巡礼者だけじゃない。

 あれから三日、週の真ん中にも差し掛かろうとしていたのに、俺と契約した魔法少女、“夜見原露稀”さんもまた学校に姿を見せていなかった。

 彼女が姿を見せていなければ、それはすぐに分かる。

 念のために七組までいき、適当に捕まえたクラスメイトに訊いても露稀さんは二日連続で休んでいるという。

 あの後、手傷が治って目覚めるなり――――露稀さんはただ一言、バツの悪そうに一言だけ礼らしき言葉をぼそりと述べるなり、リーナの楽園門から出て家に帰った。

 全身に満ちていた傷はすっかりと治ったし、消費した体力もあそこで眠りにつく内に回復はしたらしい。


 そして、それからはもう……露稀さんを見かけていない。

 電話をかけても通じず、メッセージアプリで問いかけても返事は無く、既読がつきはしても送信から一晩経ってようやくという有り様だ。

 電話に出ないのはともかくとして、きっと露稀さんなりに心配はかけまいと既読だけはつけてくれてる、と信じたいがそれさえどうなのかは分からない。


 あの遊園地での一件は、謎があまりに多すぎた。

 これまで観測されなかった鳥類型と、獣型。しかも獣型にいたっては明らかに露稀さんの動きを観察するべく、長時間にわたって“けん”に回っていた。

 味方であるはずの巨鳥型が倒れるまで一切の手助けも何も無く、ひたすら機械のように。

 何の感慨も無く、巨鳥型とヘビトンボ型、両方が斬り倒されるまでただ冷酷に。

 確実にそこには、“知性”があった。

 それも何かを築くために存在する、暖かなものではなく……冷たく狡猾、合理にしか裏打ちされていない、他者を踏みつけにしても目的を果たす確固たるも黒い想念。

 感じ取りはしたが果たしてそれが獣型の持つ意思だったのかは、その後のセラフィム・ハルナの登場を思えば怪しい。


 リーナの真の力、雷光の矢の嵐を受けてなおも露稀さんへと挑みかかったあの瞬間はまるで――――何者かから受けた指令だけはこなそうとする、忠犬のようなそれに見えたから。


 それに、謎は“敵”の事だけじゃない。

 露稀さんの事も、それ以上に謎が多くなってしまった。

 考えれば考えるほどに答えが分からなくなるのは、そもそも俺に、“魔法少女”へ対する理解そのものが不足しているからだと気付くまでに時間がかかりすぎた。

 思い至り、辿り着いたのは、あの日の。


 ――――“猫”との闇取引だった。



*****


 その日の帰り道、また早い時間いつものようにいつものルートで近道をして、前回会った立木のあたりを探し回るうちに――――頭上から声がかかる。


「……私をお探しかい、少年。その様子だと、きちんと例の物は持ってきておるようだね?」

「いましたか。……軟弱者、とは呼ばないんですか?」

「それなりの“骨”は見せられたからな。まぁ、まだまだ青い処はあろうが……十六、七の男子おのこが青くて何がいけないものか。……今、そちらにゆくぞ」


 しゅっ、と――――音も無く樹上からしなやかな黒猫が飛び降りてくる。

 あの後も変わらず、いつものように整った毛並みは上質なベルベット地のように艶やかで、そう思えば二十歳を超える老猫にしては不自然な事でもあるな、と思ったが――――流石に、それを口に出す勇気はなかった。

 擬装していた尾がふわり、と一瞬ぶれてから、まるでシールと油紙を離したようにしてお馴染みの二股の尾が現れる。


「……で、何が知りたい? 瑠璃菜の今日の下着の柄か?」

「違いますよ。ってか何で知ってるんです?」

「何で、と言われても……お主とは目線の高さが違うんだよ。イヤでも目に入るわ」

「はぁ……」

「ちなみに露稀は意外と身持ちが堅くてな。私は今まで一度も……」

「だから猥談しに来たんじゃないんですってば。それもネコと」

「ふん、冗談ぐらい理解しろ。……さて、立ち話も何だ。向こうの木陰にでも参ろうか? 気にするな、ゆっくりしていけ。そして先にブツを見せろ」

「分かりましたよ。ほら」


 ポケットから、セサミの指定通りの猫用おやつ“ちゅるーる”を二袋、取り出して見せる。

 高齢猫用ではなく通常のもの。それを見せつけると途端にセサミはまるで普通の猫のように目を輝かせ、俺のズボンの裾に爪を引っ掻け、掴まり立ちしながら……にゃぁん、と媚びるように高く鳴いて――――


「っ……おっと、取り乱してしまったな。さぁ、行くぞ」


 また目を細め、今の失態が無かったものとしながら、すたすたと先導するように歩いていき、お気に入りらしい木陰の芝生の上へ腰を下ろすと、急かすようにまたも鳴いた。

 そこだけ見ると、まさしく猫ではあるんだが――――何と言うか、どうにも釈然としないものも感じながら、俺は黙ってついていった。



*****


 そして、一つ目の“貢ぎ物”を空けた頃、俺から話を切り出す。

 あの戦いの中で知ったいくつもの新しい事実。

 ひとまず、露稀さんの――――リーナとは違い過ぎる点に。

 まずひとつは、防御障壁の有無。


「……リーナは、ダメージこそ受けていたけど防御障壁のおかげで傷はなかった。露稀さんは障壁自体がなくて、あの魔犬から受ける攻撃は全て露稀さんに傷を負わせた。あれは……」

「どうもこうもない。瑠璃菜が生きていたのだから、貫通する特性があった訳でもない。露稀の防御力はゼロだ。攻撃はすべて、魔法ではなくヤツの“体術”でこれまで避けていたはずだ。魔力で強化は無論していたろうがな」


 ぺろり、と口の周りを何度も舐め回し、前脚で顔を洗いながら先ほどまでのがっつき具合も嘘のように、セサミが語る。

 思えば、露稀さんが巡礼者の攻撃を避けられなかったのを見たのは初めての事だった。

 いつも避けていたし、そもそも初太刀で仕留めていたから反撃を受ける事もまずなかった。

 飛行しながらの遠距離攻撃が相手では露稀さんもどうにもならず、その後の連戦ではとことん手数に押され。

 まるで、そう――――あの戦いは、露稀さんを追い込むために敷かれたものだったように思えてならない。


「……その、防御障壁は何故なかったんですか?」

「可能性はいくつかある。ひとつは、攻撃力を強化するために防御を捨てた。これなら理屈は分かるが――――それならばむしろ、凄まじいを通りこして疑問だ。何故そこまでするのか、とな」

「傷を負う事を覚悟してまで、一太刀で終わらせるため……ですか。でも、露稀さんは結局、あの連戦はどちらも一度しか攻撃しなかった。それも……攻撃力を高めすぎた弊害ですか?」

「……むしろ、呆れるわ。そうまでして一撃にこだわるか、あの女狐めぎつねは。そういえば、あの女狐……飛べぬ、と申したな」

「はい。魔力の消費が多いとか……ですか?」

「それはない。多少魔力を使うのは確かだが、問題視するような量ではない。瑠璃菜でさえも、飛行しながら必殺技を撃てるのだぞ」

「だとしたら、それも? ……露稀さんは、飛行に回す分さえも攻撃に費やしている?」

「……いよいよもって、異常者の域だな、アレは」


 露稀さんは、防御障壁を持たず、飛行する魔力さえ持たず。

 更には一戦闘につき一度しか攻撃できないほどにまで攻撃力を高め、それを当てるために身体能力の強化も行っている。

 当たれば一撃、当てられれば一撃。

 生きるか死ぬかの戦闘をずっと行ってきている――――という事に、なる。


「それより、気になったのはだ。お主……魔法少女の楽園門を知らなかったか」

「はい。あれって……何なんですか?」


 ――――楽園門エリュシオン

 リーナに見せられた、魔法少女だけが持つ秘密の楽園。そこでは魔力と体力を回復し、負ってしまった傷があればそれは癒える。

 この世のどこにもない光景を映し出す、魔法少女の心に描く理想郷を具現化する能力だという。


「あれは、魔法少女とその契約者が共有するものだ」

「え……共有?」

「左様。魔法少女とその契約者は、好きな時にその扉を呼び出し、入る事ができる。それを通じて互いの居場所を瞬時に行き来する事もできるからな。運命共同体としてはそれぐらいもできよう」

「露稀さんと、俺がリーナのそれに入れたのは……」

「緊急事態だったからな。一時的に自らの意思でお主らを招いたのさ。他所の楽園門でも、魔法少女には同様の効果が出るのさ。便利だろう?」


 先ほどまでの、露稀さんの戦闘能力の話までならまだ推測で追い付けた。

 だが、この“楽園門”については全くの初耳だ。

 露稀さんから説明を受けた事もなく、あまりに唐突で――――しかし露稀さんは、その能力の存在自体は周知の事実だったと思えてならない。


「……ありがとうございました」

「ほう?」


 その能力が無ければ。きっと、露稀さんは、あそこで――――。


「助けていただいて、ありがとうございました」

「例なら瑠璃菜に伝えろ。それはそうと、もうひとつあるだろう。開けろ、小僧」


 セサミに催促されるがまま、もう一つ残っていた“ちゅるーる”の口を開け、中身のペーストを絞り出しながらその口元へ運ぶと、ふんふんと鼻を鳴らしてから――――ぺろ、ぺろ、とうっとりしつつ舐めとり始めた。

 その仕草は本当に、まったくツッコミどころの存在しない猫のものだ。

 今の今まで、喋っていたのが自分の妄想なんじゃないかと思えるほどで。


 やがて、それも全て舐め終えると――――名残惜しそうに袋の口を噛みしだき、吸い取り。

 あくびをするように口の周りを舐めてから、二股の尾の黒猫はまた喋り始めた。


「小僧。セラフィム・ハルナの姿のアレについて、私に訊こうなどとは思うなよ」

「えっ……?」

「それは、きっと――――露稀に訊くべき事だ」


 話題にしようと思ってはいたが、唐突に、そして先制でそう告げられ、思わず固まる。


「セサミさんは、何か……感づいてなかった?」

「何となしにはな。アレは逃がしてはいけない何かである、程度に。あそこで仕留めたかったのは確か……だが確証もなければ、議論する材料も無い。もう一度言うが、露稀と話せ。ヤツはきっと何かを知っている。隠しているのか、ただ言っていないだけなのかまでは分からんがな」

「……そうだ。露稀さん……どこかで、見かけてないですか? 学校にも、来てなくて……電話しても……」

「私は知らんぞ。根気ぐらいは持て。……だがまぁ、何か見つかれば瑠璃菜を通じて知らせよう。それではな、小僧。さしもの私も、礼ぐらいは言っておこうじゃないか。馳走になったな」

「……ちょっと待った。二袋目はタダ食いしてませんか? 露稀さんに丸投げして」

「お主らが話をしなければならないのは確かだろうさ。相談料とでも思って、さっさと行け。……ではな」


 一袋めはともかく、二袋目はどう考えてもろくに相談でもないタダ食いだ。

 そこを指摘しても、老婆の老獪さと猫のつかみどころのなさを合わせもつこの化け猫には通じず、さっさと立ち上がり、セサミはがさがさと茂みの中に分け入り、姿を消してしまった。


「……会話、ねぇ……」


 そう思って、幾度も電話もメッセージアプリも使って接触を試みているのに成果は無い。

 だが、確かにそうで……俺はきっと、露稀さんと会話をしなければならない事にも気付いていた。


 露稀さんに、話を聞く必要がある。

 彼女にどうしても接触したいのにどうしても、繋がらない。

 でも、諦める訳にはいかない。

 たとえ彼女がどこにいるとしても。何をしているとしても。――――俺は、露稀さんと契約を行った、その相棒だからだ。



*****


 その晩、俺はたった一言、メッセージを送ってから眠りについた。

 文面はただ一言、「露稀さん。話がしたいです。お願いですから、会ってください」。


 眠りにつくまでの数分間、返答はない。

 しかし、朝、目が覚めてみれば――――返事は、ついていた。

 その内容もまた、負けず劣らずに簡潔なものだ。



『――――話があるのなら、オマエが来い』



 と。








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