第十四話 ~嘲笑う白、そして足掻き奮い立つ黒~


「“始まりの魔法少女”、セラフィム……ハルナ……なのか……?」


 誰もが知ってる、その姿。

 翡翠の翼で空を駆け、裁きの光は無作法な侵略者を砕き、そして焼かれ蹂躙された市街を不思議な力で再生させた――――この世界で初めて“魔法”を使った無垢な少女の面影は世界中の誰もが知っていた。

 この目で見られる事があるのなら、かけられる言葉など見つからないはずだった。

 なのに、何故なのか――――俺は、その言葉しか出てこない。

 何故、――――、しまうのだろう。


 眠りを誘うように優しかったはずの、あどけない顔に浮かぶのは睥睨へいげいする憐憫れんびんのような表情だった。

 翡翠色の翼を、はためかせずに留められたように空中で浮かぶ姿もまた、どこか異様だった。

 何より彼女のトレードマーク、百合を模した白銀の長杖ロッドも持たない全くの徒手。

 時折、ぎり、ぎり、と巻き上げられるように手指がランダムに引き攣る仕草もまたおかしく。


 そして、何よりも――――彼女がこの世界へ現れた“魔女の夜”から、五年が経つ。

 セラフィム・ハルナが姿を消したのは四年前。

 今なら、分かる。魔法少女は異世界の存在でも何でもなく、“星の巡礼者”からこの星を守るべく地球の意思より選出された人類の少女達で、ふだんは普通の女の子として生活している。

 それなのに。


「ど、う……して……姿が変わってないんだ……?」


 杖を持っていない。浮かべる表情に違和感がある。奇怪な指仕草を加える。

 しかし、姿は彼女が現れなくなった四年前どころか、“魔女の夜”と全く変わっていなかった。

 同じ違和感を持っているのか――――セサミも、リーナも、見上げる眼には彼女の姿への警戒の色を示す。

 ただ、その中で露稀つゆきさんだけが――――もう限界に達しているはずなのに変身を解かない。

 握り締めた大太刀の鞘がみしりっ、と軋みを上げ、前腕と手の甲へ負った傷は開き、血がダラダラと流れる。


貴様キサマっ……! よくも……!」


 眼は赤く血走り見開かれ、ぎりり、と噛み締めた歯は狼が牙を剥くような敵意を露わにさせる。

 セラフィム・ハルナの異様さよりも、その露稀さんがむき出しにする冷たい殺気が何よりも恐ろしく……身震いを起こさせた。


「――――あははははっ。がんばったねぇ、露稀ちゃん」


 ぱち、ぱちっ……と乾いたわざとらしい拍手の音が、不思議なほど静まり返ったその場に響く。

 白々しい声色は乾いた嘲笑を伴い、


「相変わらず、まねっ子なんだぁ? おままごとはもう諦めなよ。だって、露稀ちゃんじゃどうしたって……」

「黙れ、ごみが! ……貴様さえ……いな、ければ……」

「いやー、お互い様じゃないかなぁ? 私じゃなくて……露稀ちゃんさえいなければ、こんな事にもなってないんだしさ。本当にかわいそうだよね、……

「その声で話すな! 耳障みみざわりだ、薄汚れた悪霊めっ……」


 耳を疑いたくなる言葉だけが、天使の顔の魔法少女の口から朗々と紡がれていく。

 その意味までは分からずとも――――それは露稀さんの心を抉り、切り刻む、冷たく鋭い刃物のような言葉だと分かる。

 リーナもまた、言葉が見つからないのか口をぱくぱくと、力無く動かすだけで――――猫のセサミだけが毛を逆立て、喉の奥から威嚇の声を漏らす。

 恐らく、“猫又”としての直感ではなく。ただ、猫としての本能でそれがとてつもなく危険な“何か”であると感じ取っているのだろう。


「……死んじゃえばよかったのにねぇ、露稀ちゃん。もう何も残ってないもん。だって……露稀ちゃんは、ニセ――――」


 ――――言葉の続きを待たず。

 露稀さんは弾かれたように跳躍し――――全身の傷から滴る血も意に介さず、血まみれのまま刀に手をかけるも結局、抜き放たれる事はない。

 抜き打つだけで、“セラフィム・ハルナ”を斬り捨てられる間合い、目前にまで跳び上がったのに。


「っ……!」

「露稀さんっ!!」


 制止する間も、逆に後押しするまでもなく。

 露稀さんはそれを躊躇い結局セラフィム・ハルナへ刃を向ける事はならずに重力に引っ張られるままに落ち、着地をする事もできないまま、地面へと叩きつけられてしまった。


「どうしたの? 何かよけいな事でも考えちゃった? ……やっさしー♪」


 やはり、もう……体力も魔力も、残っていないに違いなかった。

 地へ堕ち、動く事もできずにいる露稀さんへ更に悪意の言葉を浴びせ、なおも高みからの嘲笑は続く。

 いったい、今、ここで……何が起こっているんだ。

 セラフィム・ハルナの姿をしたそれは、本当に――――なのか?

 また、だとしたら何故露稀さんがこうまで殺意を剥き出しにしている?


 天高くから残酷に嘲笑う、白の魔法少女。

 血に染まる姿で身を奮い立たせて飛びかかり、尚もまだ立とうとする黒の魔法少女。

 何もかもが対照的で――――立場もまた、まるで噛み合わない。

 俺が、ようやく動くようになった脚へ力を注いで、横臥するように倒れたままの露稀さんへとよろめくように傍に寄り少し経つと――――露稀さんを覆っていた、ぼろぼろの魔法装束が、燃え尽きるようにして消えて変身が解除された。


「う、くっ……ぁ……っ」

「露、稀……さん……しっかりしてくださいっ!」


 見慣れた制服姿を血に染め上げた露稀さんが、力無く呻く。

 それでいてなおも固く握り締めた左手にあるのは魔法少女の変身アイテムにして、武器となる彼女らの核――――“魔杖”。

 しかし俺は、それに違和感を覚えた。

 施された意匠はおよそ、彼女が持つには似つかわしくないものだったからだ。

 外観こそ手首から指先ほどまでの長さの指揮棒にも似た白銀の杖、しかし柄手に繋がる細い銀鎖から垂れるのは白百合と翼の、ふたつのチャーム。

 どちらも、露稀さんと結びつくものではなかった。むしろ、それが似合う“誰か”と言えば――――


「フフッ……やっぱり露稀ちゃんが持ってたね。どろぼー・・・・さーん。……まぁ、いいかな。露稀ちゃんが持ってたと分かっただけでも収穫。いいよ、もうちょっとだけ貸してあげるね? 大切にしててよ、今はさ?」


 似合う誰か、と、言えば――――。


「お前……セラフィム・ハルナなのか」

「……ふぅん? だれ、キミ?」


 じろり、と見つめられるだけで魂まで凍り付きそうな寒気が起こる。

 怪物の姿へ擬態した“巡礼者”の前に出た時よりも更に深くから起こり、次の瞬間に体がはじけ飛んでしまいそうなまでに早まる心臓の鼓動。

 やはり、おかしい――――何故、何故なんだ。

 なぜ、こんなにも――――このセラフィム・ハルナからは途方も無い圧を感じるんだ。

 彼女の姿を見た事がある者は、皆語る。

 その優し気な眼差しは、心を溶かす。

 可憐ながらも勇敢なその姿は見ているだけでも勇気が湧いて、“星の巡礼者”に襲われた際の恐怖は一瞬で消え去ったと。


「俺は、水生屋みぶやけい。……露稀さんと、契約している。どうなんだ。……お前はセラフィム・ハルナか」


 問いかけると、薄ら笑いを浮かべ――――“それ”は、俺にまでも嘲笑と嗜虐しぎゃくの笑みを向けた。


「ふっふふ……私がだと思ってるの? キミもでしょ? にせものの契約者さん」

「俺は偽者じゃない!」

「うぅん、そっか。……言い方が違ったみたいだね。ごめんね? だって……キミは悪くなかったもんね? だまされてるだけの、おばかさんなんだからっ……く、くふ、ふふひひひひ、あははははははっ!!」


 そして彼女は笑う、笑う、笑う――――口が裂けそうなまでに口角を切れ込ませて。

 もはや声でも笑い声でもなく、そうした“鳴き声”なのではないかと思えるほどにまで甲高く下卑た声色で。

 笑いがいつまで続くか分からないまま、ただ見ていると――――十数秒してからか、ようやく。それまでの哄笑が不自然なほどにぴたりと止んだ。


「あーあ……とりあえず、私は帰ってあげるよ。ああ、そうそう。にせものクン。……早くどうにかしないと……露稀ちゃん、死んじゃうよ?」

「っ……!」

「じゃあね。また今度、ちゃんと遊ぼうね。それまで、魔杖……だっけ? なくしちゃだめだからね? ばいばーい」


 やがて、翼を全くはためかせる事も無く――――ふわり、ふわり、とセラフィム・ハルナは空をたゆたい、大観覧車の頂点にまで至る。

 直後――――今まで威嚇に留めていたもう一人の“契約者”が牙を剥き出し、叫んだ。


「っリーナ! 撃てっ! 仕留めろ、ヤツを!」

「なに、言って……セサミっ……!?」


 突如の命令に困惑するリーナは、ふるふると震えたまま訊き返し、構える事もない。


「言う通りにせよ! ヤツを撃てっ!」

「だ、って……あれ、セラフィム……ハルナ、さん……だよ……?」

「節穴か、お主はっ! あれを逃がすな! 撃て、早く!」


 セサミが普段の老獪かつ飄々とした言葉も忘れ、ただ急き立てるもリーナは弓を番える事はとうとうなく呆然としたまま。

 気付いた頃にはもう“セラフィム・ハルナの姿”はもう空のどこにもなく、とうとうぽつぽつと降り出した雨が、灰色の雲から絞り出されてきていた。


「虚けが……。仕方がない。今はまず露稀をどうにかするぞ、瑠璃菜。楽園門エリュシオンを開け」

「楽園門……って……?」

「……お主、そんな事までも知らんのか。呆れたものよ。……瑠璃菜、くしろ」


 ぐったりと倒れ、身動き一つなく呼吸も細くなりつつある露稀さんを抱き起すと――――ぬるり、と血の感触が手に広がった。

 スカートから覗く白い脚線はずたずたに切り裂かれ、仮面で守り切れなかったかおにまでいくつもの切り傷が血を滴らせ――――言いしれない恐怖が、心に沸き起こった。

 このままでは、露稀さんが。

 どうにかしようにも――――救急車を呼んだところできっと間に合わない。

 どうすれば。どうすれば。どうすれば。どうすれば――――!!


「――――楽園の鍵は我が手にあり。開け、楽園の扉」


 心がパニックに浸食されつつある中で――――リーナの“呪文”が、不思議なほどはっきりと聞こえた。

 俺の焦りとはまるで違う、リーナの優しく落ち着いた声は震えすらなく。

 次の、言葉を紡ぐ。


「開け、我が託されし癒しの園の扉。――――“あめ玉のお庭”へ」


 振り向けば、変身を解いたリーナが魔杖を鍵のように構え、虚空へかざしていた。

 そのかざした先に、光の糸で縁取られた小さな“扉”が織り成されていく。

 光の珠が飛び交い、きらきら、きらきらと――――

 やがて創出された光は俺と露稀さん、リーナ、そしてセサミを優しく包んでいき――――




*****


 気が付けば――――そこは遊園地の廃墟では、なかった。

 牧歌的に晴れた、小さな雲が引っかかる青い空。

 いくつもの小さな丘が連なる、気持ちの良い緑の野が広がっていた。

 あちらこちらにある立派な樹には色とりどりの果実が実り、ぽとり、ぽとり、と落ちているのに……落ちた果実はつぶれずに、まるで陽気な踊りでも踊るように緑の野を跳ねて回る。

 さらに、よく見てみれば樹から落ちたものは果実かと思ったが、それさえ違う。

 偶然に近くに跳ねてきたのを何気なく見ると――――青や赤、オレンジに紫、さまざまな賑やかな色の包み紙で包まれたままの、“あめ玉”だった。


「魔法少女には皆、心象風景を描く固有の“楽園”が贈られる」

「楽園――――」


 露稀さんを抱き寄せたまま、セサミの言葉に耳を傾ける。

 ここは遊園地の廃墟ではないのは分かっている。だが、ここはいったい何なのか――――今もって分からない。


「魔法少女が備える魔法のひとつ。“楽園門エリュシオン”と呼ぶ一種の結界だな。ここにいる間は体力と魔力の回復は早まり、負ってしまった手傷も癒える。いわば、隠れ家と言った所だ。……小僧、感想は?」

「……すごい」


 見渡す限りののどかな風景。

 あめ玉のる樹、遠くにはきれいな噴水と、小さな東屋あずまやまで見える。

 更に目を凝らせばその東屋は屋根は板チョコレート、支える柱はビスケット、渦巻き型の棒付きキャンディがふわふわとその周りを飛び交うメルヘンチックな代物で――――思わず、抱きかかえたままの露稀さんをさえ一瞬忘れて魅入ってしまったほどだ。


「うむ、そうだろうさ。アホの国の末っ子お姫様が父君に頼んで無理やり作らせたアホのお庭のようで凄かろう」

「セサミ!? ちょっと!」


 俺が漏らした言葉で、気持ち胸を張っていたリーナが猫の容赦なく鋭いツッコミに抗議の声を上げるも、セサミの評論はなお続く。


「私の身にもならんか。自分の飼い主が実はすごい阿呆なんじゃないかと思うのはきついものがあるぞ。これがお主の理想郷か。十四歳にもなればもう少し何かあるだろうに……度し難い……はぁ……っ」

「う、ぐっ……い、いいでしょ別に! それはそうと、露稀さんはどう――――」


 露稀さんに二人と一匹で視線を移せば。

 彼女に刻まれた無数の傷はゆっくりと、しかし確実に――――淡い青色の光の粒とともに塞がっていく。

 露稀さんの白皙を負の青白さへ変えてしまっていた、失血そのものが無かったことにでもなるように。

 段々と、露稀さんの顔色も良くなり――――美貌を切り刻み苛んだ細かな傷は、もう痕すら残っていない。

 だが、まだ……目を、覚まさない。


「……極度に消耗している様子だ。少し休ませてやれ。放っておけば、……ほれ」


 やがて、か細く頼りなかった息遣いは寝息へと変わり、静かに、しかし確かに胸は深い呼吸に上下しはじめた。

 考えてみれば――――露稀さんの寝顔を見るのは、初めての事だ。

 いや、俺の体を襲った死を願いたくなるほどの激痛も。ああまで激高し取り乱す露稀さんを見たのも。


「はる……な……」

「?」


 ぽつり、と呟かれたのはそれもまた初めて聞く、露稀さんの、うなされるような寝言だ。


「はる……な……ごめん……なさい……はるな……」


 それだけ、残すと――――露稀さんはまた、規則正しい寝息を立て、眠り続けた。







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