第十三話 ~夢の廃墟の決着~


 一撃でリーナを戦闘不能へ至らしめたそれは、魔法装束に付随する防御障壁があればこそ辛うじて命は助かる程の威力を秘める。

 先端部分の速度はもはや音速へ至るほどで、たとえ刃に触れずとも、巻き起こす鋭い風圧だけでも攻撃として成り立つぐらいだ。


 そして、そんな触手が四本。

 にも関わらず露稀さんはまるで怯むことなく舞うようにくぐり、脚を刈り取る払いも、心臓を目掛けた突きも、細い首を両側から挟む断頭の一撃も――――涼し気に見切る。

 脚を薙ぐ低空の払いは舞踏を嗜むように最低限の足捌きで避け、胸の正中を射抜く突きは傾く半身はんみとなりながら逸らし。首を狙った挟撃は上体を反らして見切り――――ぱさり、とほんの一筋、露稀さんの艶やかな髪が空中に取り残され、切られて舞い落ちた。

 更にその勢いのまま後方へ宙返りながら身を翻して追撃を避け、着地際の脚を狩る執拗な追撃さえも読み切る。


 露稀さんはなんと――――笑っていた。

 避けきれない密度と速さの攻撃で幾度も浅く斬られ、鎖骨下に血の筋を流し、全身に刻まれた傷からぽたぽたと血を垂らしながら――――それさえも楽しむ夜叉やしゃのように。


「ふっ……! ふ、ふふっ……!」


 途切れ途切れの息遣いは、まるで――――思わずこぼれる笑いに聴こえた。

 ただ連撃を見舞われながら息をつこうとするあまり、そう聴こえたにすぎない、と――――自分に言い聞かせたくても、露稀さんの表情は、どこか晴れ晴れとさえ見える微笑みを浮かべる。


「っ……露稀さん……やっぱり防御障壁が……切れてるのか!?」

「そもそも。……露稀には、最初からそれがあったか?」

「……まさか……」

「露稀が攻撃を避けられぬ事など、あったか。もしかすると……最初から、ヤツには防御障壁など無かったのではないのか?」


 びゅおん、びゅおんっ――――と空気を切り裂くに留まらず、鼻をつんざく焦げ臭い空気が距離を取ったこちらに容赦なく届く。

 先ほど、全く動く事無く“けん”に回っていた時に見えた、魔犬の触手に付いていた刃は決して小さくない。

 露稀さんの刀に迫るほど長く、加えて分厚いものだったにも関わらず――――目で追えず、辛うじて刃の不規則な発光の残滓が見える程度だ。

 押されていく露稀さんの周りにある安全柵も、その土台となっていたコンクリート塊も、瞬きほどの間に豆腐のように刻まれていく。

 鉄柵やコンクリートでさえも容易く切断するあの触手を今もまだ避け続ける露稀さんの表情は、しかし苛立ちとは真逆の――――笑いが溢れていた。


 鮮烈な血の匂いが漂ってきている。

 眼の下数センチをかすめても。鼻を削ぎ落とされかけても。縦に両断されかけても――――まばたきひとつせず、彼女は刀を離さない。

 ついには、避ける事を諦め――――刀の鞘を巧みに用いて攻撃を弾き、逸らす事までも。

 反撃の機を窺い続ける露稀さんに対し、白い魔犬の攻撃は苛烈さを更に増し、精度を更に上げていく。


「…………どう、すれば……」


 さっき、セサミは露稀さんを止めろ、と言ったが割って入れるはずもない。

 この刃風の中へ飛び込めば俺は死んだことすら気付けないまま、一瞬で切り刻まれる。

 声をいくらかけても露稀さんは応じず、むしろ彼女の集中を途切れさせてしまいかねない。

 何より、全身に走る苦痛の残りがあまりに重く――――こうして身体を起こし、固唾を飲んで見守るだけでも精一杯の有り様で、気を抜けば倒れてしまいそうだ。


「……リーナ。立て」


 セサミが、低く唸るような声で痛む体を無理に引き起こそうとするリーナへ命じた。

 傷こそないものの、震える脚は安定を欠き、打たれた衝撃がまだ抜けないまま瞳はぼんやりと焦点を結ばず。

 一度は弓さえ取り落としてしまったリーナは、変身を保っていられる事さえも不思議だった。


「うっ……あぁ……っ」

「立て、リーナ。……聞けばお主はまだ今日、技さえ使っていない。どれだけダメージがあろうと、魔力は潤沢に残っておろう」


 息も絶え絶えに、よろめきながら起き上がるリーナはまだ表情も虚ろのまま。

 ただ――――手に握る弓を通して、自分がまだ“魔法少女”の姿をしていると認識する事で、ようやく意識を強く保つ様相だった。

 それでもセサミは、容赦なく、ぴしゃりと言い放ち――――今ここで唯一、行動を起こせる彼女へ呼びかける。


「立て、瑠璃菜るりな! お主が立てねば――――露稀が死ぬぞっ! やらんか!!」

「はっ――――」


 その激に、リーナの瞳に一瞬で覇気が宿る。

 凛然と輝く瞳に湛えられる光はやがて、ばち、ばち、と白の雷光と化して左手を伝い、白亜の弓へ注がれていった。

 ゆっくりと持ち上げられる左手に、もはや震えは無く。

 ぴたりと――――今も露稀さんを追い詰める白の魔犬へぶれる事無くその照準を合わせた。


「私が、やる。私が……やらなきゃ……今度、は……」


 りぃぃんっ、と鈴の如く高く響かせるのは妖精の羽音。

 リーナの背から伸びる羽はひらひらと羽ばたき、鱗粉のようにも見える光の粒子はゆっくりと空を漂い、彼女の右手へ引き寄せられ――――眩いばかりの、光の矢へと姿を変えた。

 そして闘いの最中、空へ撒かれた光もまたじわりじわりと雲が姿を変えるように寄り集まり、鋭い矢の形となり……切っ先を白い魔犬へ向け取り囲んでいく。

 空へ架かる幾条もの光の帯が、やがて曇天にかかる無数の星々の煌めきへと変わると同じくして。


「私が、露稀さんを助けるんだっ!!」


 感情の炸裂する叫びとともに、リーナの番えた光の矢が放たれる。

 光の速さにまでは至らずとも、充分なまでの勢いで放たれる最初の一矢はまっすぐに白い魔犬の横面へ向かって飛んでいくも――――じろり、と一瞥するとともに、触手の一本によって事もなげに叩き落とされ、消失した。


 しかし――――知っている。

 その矢は、単なる号令の一矢。

 本当のリュミエール・リーナの必殺技は、これから放たれるのだと。


「フレシェ・アン・エトワール――――!」


 ぎゅんっ、と――――光の収束する光景が目の前に広がる。

 空中に設置された無数の光の矢が、今の今まで黒の魔法少女をいたぶり、追い立てていた魔犬へと殺到する。

 大きく飛びのいた“魔犬の巡礼者”へも、空を飛び交う無数の矢は目標を見失うことなく。

 例えるならば捕食を行う獰猛な魚のように、まるで意思があるかのように俊敏に方向を変えながら追いすがっていく。


「――――印の一矢を弾いたのが不覚よ。これでもう、リーナの矢はヤツを逃さん」


 セサミはまるで、嘲笑うように。

 無数の光の矢へ追い立てられ、飛びのき、走り、また跳び、と繰り返す魔犬をじっと見つめる。

 その挙動はまさしく、一定ではない。

 緩慢なままゆっくり、最短距離で追い詰める光矢。魔犬の移動先を予測して先回りし向かう光矢。ふらりふらりと左右にぶれながら飛びゆく光矢。数千の光の矢は各々が意思を持つように、魔犬を追い立て、追い詰め、ついには着弾し――――ばちっ、と火花が散った。


「今……なんだ、白い火花が……」

「リーナの放つ光の矢は、単なる光にあらず。――――怒りとともに放った時、その矢は“いかずち”をまとう。リュミエール・リーナの本来の力は――――“雷”なのだよ」


 たまらず、魔犬は触手を振るってはたき落とすも――――触れる度に閃光とともに矢は爆散し、僅かにだが魔犬の動きが鈍る。


「手数には手数よ。どれだけ速かろうが、ヤツの刃はたったの四本。数千もの矢を捌けるものか」


 ばちっ、ばちっ、ばちっばちばちばち――――。

 立て続けに雷光の矢を受けた魔犬の動きは明らかに鈍くなり、その瞬間にも新たな矢が直撃し、魔犬の体に痙攣を及ぼす。

 撃たれても、触手を振るって弾き落としても雷光の仕掛けは炸裂する。

 避ければ障害物を知性あるかのように迂回して回り込み、跳ぼうが駆けようが、幾度振り切ったとして無数の矢は追跡をやめない。


「陰湿な技だろう。ひとつひとつの矢は知れた威力。しかし数千の矢が決して逃がさず相手を追い詰める。――――相手の動きを停滞させるオマケ付きでな」


 リュミエール・リーナは印の矢を放った残心の構えを保ったまま、ただ黙して逃げ回る魔犬を瞬きさえせずじっと見据えていた。

 自らの放った矢の結果から決して眼を離すまいとするように。

 命を奪う、と決めた相手への敬意――――それがたとえ宇宙からの侵略者であっても、その命の消える瞬間を絶対に忘れないように。


 やがて、園内を逃げ回りながらも雷光の矢の群れに穿たれ、飛び上がれば囲まれ、着地へは回り込まれ。

 露稀さんにそうしていたのと同じように全身をついばまれて痛々しく傷ついた魔犬は、意を決したように――――著しく鈍化していながら、それでも獣のような速さで露稀さんを目掛け、駆けてくる。

 四本の触手を尚も振りかざし、何としてでも彼女だけは道連れにしようとしているのが分かる。


「露稀さんっ――――!!」


 一方、露稀さんは立っているのがやっとの有り様。

 大刀を支えにようやく立つその全身は痛々しい無数の傷に覆われ、足元に刻まれた血痕は、生きているのが不思議なほどの量だ。


 やがて露稀さんの目前で数メートルで急停止した魔犬は、その慣性を補助として放つように――――四つの触手を連続で突き出し、露稀さんを串刺しにするべく最後の攻撃を放った。

 しかし、その足掻きは届く事はない。


「――――させません、絶対に」


 先ほどまでの速度とは違い、そして複雑な軌道を描かない単純な攻撃ゆえにリーナの支援は功を奏する。

 三本の雷撃の矢が触手のうち、同じく三本を断ち切り、その断面からは青黒い鮮血が迸ったのに――――それでも魔犬は声一つ上げない。


 そして、最後にただ一本だけ残った触手が露稀さんの腹部へ真っ直ぐ突き出され――――瞬間、柳の枝のように身を翻した露稀さんは右側へ向かいそれを避けきる。

 続いて。


「ふっ!!」


 伸びきった最後の触手、その先端の刀身部分へ――――気合いとともに高く振り上げた右脚が下ろされ、轟音とともに地面が揺れる。

 目を凝らせば、最後の触手の刃は……文字通り露稀さんに踏みつけられ、地面へめり込まされたまま動きを奪われていた。

 伸びきった触手は次の動きを繰り出す事ができず。

 やがて、露稀さんが――――ちきりっ、と鯉口を切る。

 触手を避けた姿勢のまま、右足でそれを踏みつけたまま腰を切るその構えは攻防一体。


「――――捕らえたぞ、駄犬だけん


 柄へと差し伸ばされる右手は、いくつもの傷に覆われていながらも震えることなく優艶に動き、向かう。

 最初にして最後の一太刀を解き放つために。


秘剣ゲハイムニス――――花葬十文字ブルーメンクロイツ


 次なる鍔鳴りの音が聴こえた時、すでに露稀さんはそこにはいない。

 縦横の二連。遅れて咲き乱れる無数の告死の薔薇。


 ――――光の泡と化して消えゆく、存在を失っていく“星の巡礼者”の亡骸。



*****


「っ……白、馬鹿……! 余計な、マネを……っ」

「そんな事言ってる場合じゃないでしょう、露稀さん! 大丈夫ですか!?」


 がくんっ――――とその場に膝をついた露稀さんへ駆け寄ると、まず漏れたのはリーナへの礼ではなかった。

 全身に刻まれた大小の傷は急所を避けてさえいても、あまりに多すぎて――――魔法装束は刻まれるあまりに、ボロキレへと変わりかけていた。

 額から漏れる血が露稀さんの右目へ流れ込み、瞑られた眼、その睫毛はぱりぱりと乾いた血で固まりかけている。


「大丈夫に……見えるか、蛍? ……いや、大丈夫だ。少し……休めば……」

「休んで塞がる傷じゃない! 病院に行きましょう!」

「ふっ……何と説明する気だ? 通り魔にでも襲われ、た……と……ぐぅっ……!」


 びくんっ――――と身体が震えた途端、露稀さんがとっさに引き結んだ唇から、閉じ込めきれなかった血がぼたぼたと垂れた。

 確かに露稀さんの言う通り、救急隊に説明する方法もないけど……もう、そんな事を言っていられる状況でないのも明らかだ。


「露、稀……さん……! 大丈夫ですか……!? て、手当しなきゃ……!」

「うる、さい……白馬鹿……同じ事ばかり、言うな……」

「でも……」


 同じく心配して駆け寄ってきたリーナにもそう冷たく言い放つも、未だに露稀さんは立ち上がる事すらできない。

 倒れる事もしないものの――――そのダメージは、誰がどう見ても明らかなものだ。

 まさしく満身創痍の有り様なのに、左手だけはいつまでも太刀を提げたまま。


「……止むを得ません。露稀さん……私の“楽園門エリュシオン”で傷を癒しま……」

「――――リーナ?」


 健気にも露稀さんの体を支え、立ち上がらせようとしていたリーナが突如、黙り込む。

 怪訝に感じて彼女へ目をやれば、目を見開いたまま、ぼぅっ、と口を開けて――――何かを、見上げていた。


「リーナ? おいっ……何……」

「白馬鹿、何を――――……っ!?」


 リーナの様子に気付いた露稀さんが先に、彼女の視線の先へと視線を移す。

 俺は更に遅れて彼女らの視線を追うが、二人の絶句の理由を知って――――俺も、また同じ反応しかできない。


 だが、心だけは――――とめどなく、ざわめいてくる。

 何のリアクションも取れない反面、心の中にいくつもの感情が巻き起こり、そのどれが“正解”なのかも分からない。

 分からないままざわつきは暴走していき、疑問だけが。ただひとつの疑問だけが繰り返し胸の中で呟かれていく。


 ――――まさか。

 まさか、まさか、まさか、まさか、まさか。

 どうして、どうして、ここに……彼女が?


 戦闘に巻き添えにされ、半壊より更に半壊にまで至った観覧車の骨組みの中央。

 時計で表すなら針の起点となる場所へ――――“彼女”は、いた。


 ――――翡翠色の六枚の翼。

 ――――雪原のように真っ白いドレスと、素足すあしの両脚を幾重にも巻く薄衣の帯。

 ――――くしゃくしゃと柔らかそうに羊のようにゆるく巻き上がった、青に近い銀の髪。

 ――――しっとりと微笑むような、およそリーナと同年代と思しきあどけないながらも整い尽くした童顔。


 その姿は世界中の誰もが、知っていた。


「“始まり”の……魔法少女……」


 呟くと彼女はくすくすと忍び笑いをこぼし、俺と露稀さん、そしてリーナへ、憐れむような視線を向けた。

 その姿は、誰もが知っていた。

 何故ならば、彼女は、初めて――――“世界の敵”と戦い、食い止めてみせた女の子だから。

 その名は。


「セラフィム……ハルナ…………?」







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