第十二話 ~魔法少女にあってはならない赤~
「ぐっ……! くはっ……! あ、ッ、アァァァ――――――!!!」
息が――――できない。
吐く事はできても、吸えない。
指輪のはまっていた指からだけ広がっていたはずの痛みが、ほんの一瞬で全身に伝播してしまった。
全身の神経が力任せに体表へ引きずり出され、それを真っ赤に焼けたノコギリで容赦なく引き裂かれるような苦痛に上がった絶叫は――――最初、それが自分の喉から上がっているのだと分からなかった。
「ギッ……! う……がっ……うぅぅぅぅ…………っ! がはっ……!」
口の端に溜まった唾液が、ごぼごぼと沸き立って泡へと変わるのが分かる。
幾度も襲ってくる耐え難い苦痛のあまり、吐き気が抑えられない。
体表に引きずり出された神経をノコギリで裂かれ、骨をごりごりと擂り鉢に砕かれ、頭を押さえつけられて水没させられるような――――拷問のような苦しみだった。
そして同時に、体の奥底から臓腑を引きずり出されていくような不快感。
やがて――――カラダがぶつ切りにされるような錯覚にまで陥るのに、切り離された体がまだ“痛み”の信号をせっせと送信してくるような、要らない痛みだった。
「っ……小僧――――おい、小僧――――!」
リーナの声でもない。
露稀さんの声でも、俺のものでもない。
しゃがれた老婆みたいな声が遠くに聞こえるのに――――返事が、できない。
肺の空気が全て絞り出されていき、吸う事さえ許されない感覚がずっと絶え間なく続くから。
「ぎゃああぁぁぁぁぁぁっ――――――――!!!!」
――――痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
――――ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
――――許してください。
――――許してください。
――――許してください、許してください、許してください、許してください、許してください、許してください、許してください――――――――。
もはや、どこが、どう痛いのかさえも分からない。全身が激痛に支配されるあまり、もう――――意味の通らない謝罪の言葉が思い浮かぶ。
最初、それは紛れも無く苦痛に錯乱する俺が思い浮かべているものだった。
だが、やがて毛色の違う疑念へと、変わる。
目の前に走り浮かぶ、いくつもの折り重なる映像があった。
死の間際に見えるというものらしい、それを回避するべく脳が対処法を検索する機構か――――。
一瞬の最中に錯綜する、反してゆっくりとした走馬燈の
ずっと、視点が低いのに――――それでも分かる、あの夜に燃えたこの街の展望公園の姿だ。
まだ綺麗だった切り株の椅子とテーブル。錆びの浮いていない鉄柵。そして晴れた空。
そこに見えたのは、父さんでも母さんでもなく、ただ一人、女の子がいた。
歳は、五歳ごろか。仕立ての良い鮮やかな紺色のワンピース姿で――――地面をいじくり回して遊んでいる、つまらなそうな子だった。
そして、“俺”がその子へ近づいていくと…………急激に、その走馬燈の映像が、遠ざかっていった。
女の子の眼は、どこかで見かけたような琥珀色。
そして――――見覚えのある、切れ長の面影。
遠ざかる走馬燈、引き戻される意識、ずきずきと痛む体の感覚が戻ってきて――――やがて目の前に広がるは、遊園地廃墟の
*****
「がはっ……はっ……はぁっ……!!」
全身を蝕んだ激痛は、もうない。
しかし、まだ余韻として残る痛みは紛れも無く、俺の体に起きた事を示す。
どっぷりと涌いた脂汗が体に張り付き、ぽたぽたと垂れるそれがアスファルトを黒く変色させた。
顔を這うのは汗のみならず、涙までも。
汗と涙が、あれほどまで叫び倒した俺に起きた事を、それでも足らぬとまでに余計なほど補ってみせる。
閉じる事を忘れた口から、喉の奥よりだらだらと垂れる饐えた胃液と唾液が漏れる。
もう――――イヤだ。
こんな思いは、もう――――二度としたく、ない。
痛みの余韻は筋肉痛のように全身へ広がったまま、まだジンジンと熱い。
細い
そして取り戻された視界に、数秒かけた瞬きの前にはいなかったはずの――――黒猫の姿が映る。
「小僧! おいっ……! しっかりしろ! 意識はあるのか!? 何か言え!」
「えっ……? セ、サ……ミ……?」
しゃがれた声で、いつもの不遜さはなりを潜めてそう問いかけたのは人語を解する黒猫、リーナの契約者――――セサミだ。
「おい! ……小僧、何が起きた? 何故――――ああも叫ぶ。お主はただ、露稀へ魔力を供給しただけでは、ないのか?」
「は、い……そのはず、なんです……けど……」
「馬鹿な――――――」
ぐっ、と地面を押して立ち上がるまでには、時間が必要だった。
異常なまでの倦怠感を押し殺して立ち上がれたのは、露稀さんがまだそこで戦っている事実。
“星の巡礼者”がまだいる事実。
このままここで転がっていてはいよいよ命にかかわる、その危機感があってなおも、立ち上がる力を取り戻すには十秒ほどの時間が欲しかったから。
よろめきながら立ち上がると、最初に映ったのは――――目にもとまらぬ速さの触手の連撃を見切りながら、反撃の機をうかがう露稀さんの姿。
ぴゅん、ぴゅん、と――――大剣のような刃が付随する触手を四本、まるで凧糸のように振るう白の魔犬。
それをまるで臆することなく、風に舞う葉のように避けきる漆黒の魔法少女。
両者を真横から俯瞰するとさながら、一枚の絵画のようにさえ映った。
「……魔力を供給するだけで、そうまでなるものか!!」
「はぁ……?」
「露稀め、一体何をした!? こんな、複数にわたる嘔吐と悶絶するような激痛――――いくら奴の魔力が多かろうと、ただ魔力を供するだけでこうはなるまいぞ!!」
「え……!? どういう、事で……!」
露稀さんと、白の魔犬の攻防を見ながらセサミは声を荒げる。
その毛は尾に至るまで逆立ち、隠していた爪は舗装されたアスファルトをかりかりと引っ掻く。
飄々とした老獪な猫の物腰はまるでなく
「おい、小僧……本当に、ただ魔力を供しただけか!? リーナもあの有り様。ここで何が起きたというのだ?」
「……巡礼者が、三体同時に現れたんです。二体は露稀さんとリーナ、が……倒しましたが……」
「そして、お主から魔力の補給を受け――――露稀は三体目と戦っていると、そう申すのだな?」
「はい、その通り……です……」
「異常だ。……お主のその消耗、よもや異常だ。契約者として貯留した魔力をただ流すだけでそうはならん。命さえも吸い取られているかのように、私には見える」
びゅん、びゅん、びゅんっ――――と飛び交う刃を涼しげに避ける露稀さんの姿に、違和感を覚えた。
最初、それを違和感とは分からなかったが――――恐らくは触手の初撃で吹き飛ばされたリーナが、肩で息をしながらなんとか起き上がろうとする姿と見比べて、ようやく気付けた。
リーナには、傷一つないのに――――――どうして。
「小僧っ……! 露稀を止めろ!」
「そん、な……どうして……露稀、さんが……!」
欠けた仮面から覗く露稀さんの頬に、一筋の傷が走り――――血が、すぅっと流れていた。
漆黒の魔法装束はあちこちが切り裂かれ、太もも、上腕、露わの鎖骨近くからも鮮血がこぼれ、白い肌と黒の和装基調のドレス、優雅だったはずの艶姿は痛々しく飛び散る血にまみれていた。
「露稀の装束――――防御障壁がない!」
「って事は、まさか……!!」
ダメージを緩和するための防御障壁が、存在しない。
魔法少女として決してあってはならないはずの“流血”がそれを物語る。
「ヤツは――――露稀は、生身だ! このままでは死ぬぞっ!!」
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