第九話 ~魔法少女リュミエール・リーナの変身~



 リーナの服装は、土曜日というだけあって幾分リラックスした、池のほとりで嗅ぐ初秋の匂いによく似合うものだ。

 長い髪は後ろで一つ結びにしてサイドを垂らしたままグレーのキャスケット帽をかぶって、ちょっとダブついた、ややオーバーサイズ気味の白いハイネックセーターに小さなチャームのついた革紐かわひものネックレスを下げ、黒いタイツにデニムのホットパンツ、アンクルカットの白いキャンパス生地スニーカーでほっそりとした脚線美を強調するスタイルはよく似合っているとともに――――彼女が、本当にいつもはただの“女の子”なんだと、よく分かる身なりだった。


「あのっ……けいくん、ここで何をしてたんです? 露稀つゆきさんと一緒ですか?」


 しばし見惚れる俺の視線、それと驚きにしばし言葉を忘れていたリーナが再び、問いかける。


「あ……いや、俺一人だ。何、って言われても……何だか急に、ここに来たくなったとしか……」


 自分でもそれぐらいの理由しか今は言えない。

 郷愁の念、過去に思いを馳せる、そうしたものもなくはないけど――――でも、それを“理由だ”とはっきりとは言いきれないモヤモヤが今もまだ残る。

 我ながら何だか気持ち悪く思うような自己陶酔ナルシズムの存在も疑いづらい。

 露稀さんなら容赦なく鋭く切り込んできそうな、お茶を濁すような答えだったのに、リーナの反応は、こうだ。


「なるほど、そうなんですねー……。あ、知ってます? ここ、たまにシラサギとかいるんですよ。どこから来たんでしょうね?」

「リーナは……そんな頻度で来てるのか?」

「ええ。……ほんとは、遊びに来たかったのに。おっきくなったら乗ってみたい乗り物いっぱいあったんですけど、これじゃ……」


 そう言うと、リーナは持ち前の人懐っこい、いつもにこにこと笑っているような――――サモエドの子犬みたいな顔を曇らせ、足元を見た。

 そこにもまた、このパークのどこかから風に吹かれて飛んできたらしい一枚のフライヤーの切れ端が、ぼろぼろの状態で半ば土に埋もれていた。


「覚えてないんですよ、あんまり。“魔女の夜”以前に連れてきてもらった事あるんですけど――――子供すぎて、覚えてないんです。蛍くんは、覚えてますか?」

「俺も、結構前なんだけどさ。そうだなぁ。俺も、乗れてない乗り物いっぱいあったな。ほら、あそこにある――――バンジージャンプ。あれもやりたかったけど、身長が足りた頃にはもう……」


 リーナは確か、セサミに訊いた覚えではまだ十四歳の中学二年生。

 “魔女の夜”の当時は九歳、という事になる。

 俺とそう離れているわけでもないが、学年にして三つ違えば――――それはもう、星の災厄に苛まれる事になったこの世界での、平和な思い出の総量にしてみるとかなりの違いだ。


「あの……せっかくですし、少し歩きませんか? いろいろ、お話でも……」

「あ、ああ。うん……」


 考えてみると――――リーナと、破壊音も巡礼者の咆哮も何もない場で会うのは初めての事だ。

 彼女が、リュミエール・リーナとなった日の事も、星崎瑠璃菜ほしざきるりなとして過ごす日々の事も、思えば俺は何も知らない。

 もっとも、魔法少女のプライベートの姿なんて……知っている方が、この世界ではおかしいんだけど。


「よかったぁ。あ、でも……雨降りそうですね。そうなったら大丈夫。私が送ってあげますね?」

「はぁ、どうも。……え、送るって……どうやって? 車で来たのか?」

「違いますよー、もうっ」


 屈託なく笑う、その笑顔は――――俺がもう観なくなった、あの世界での物語の。あの世界の女の子たちの浮かべるそれと、寸分たがわぬほどに――――眩しかった。




*****


 そして、しばしリーナと、荒廃した園内を呑気にぶらりと歩いて回った。

 子供の時に一度だけ乗った観覧車の思い出を聞かせ、ずっとやりたかったバンジージャンプの台を下から見上げ。

 更にはリーナが埃まみれのメリーゴーラウンドの白馬を撫でてあげる姿に、つい見入ってしまった。

 雨は降りそうで、しかしなかなか降り始めはしない。

 むしろ晴れ間さえ見えたぐらいで、ほんの短い間だけだが暑くさえ感じたほどだ。


 しかし、その間にもつい、癖でスマホを確認してしまう。

 露稀さんの連絡がないか、もそうだが……巡礼者の出現は、世界中で共有されている。

 そのニュースが無いかどうかも無意識に調べてしまうのは、もうどこでも珍しくも無い事だった。

 やがて、互いに歩き疲れ――――園内の中央、荒廃具合が逆に良い味を出してしまっている洋館風の“お化け屋敷”前のベンチに並んで座ると、少しして息を整えてからリーナが口を開く。


「蛍くん、えーと……ごめんなさいっ!」

「え、何がっ!?」


 いきなり、おもむろに謝られてしまい……横を向けば、リーナが膝の上にぎゅっと握り拳を作り、俯いたまま声を張り上げていた。

 帽子と髪で表情は見えないけど、少なくとも、泣いても怒っても、笑ってもいない事だけは分かる。


「昨日、セサミから……蛍くんが、露稀さんに叱られたって聞いて……! 私のせいで……っ」


 あんの化け猫……! 速攻でバラしていやがるじゃないか。

 いや、それとも例の取引の事じゃないからこれはノーカンなのか?

 考え込んでいると、俺が怒っているとでも思ったか――――ひく、ひくと体が震えていくのが見えたので、慌ててフォローに入る。


「いや、こっちこそごめん。俺のせいで、リーナの気が逸れたんだろ。悪かった。それに、露稀さんにはそんなに強く叱られた訳じゃないよ、気にしないでいいからさ」

「でも……」

「いや、マジで気にしなくていいって。……そうだ、俺も訊きたい事があったんだけど、いいか?」


 ほんの少しの間があって……リーナは、かすかに頷く。


「……リーナは、どうして。魔法少女……続けているんだ? 理由、っていうのか……」

「理由、ですか?」


 ようやく、リーナは顔を上げて……こちらに、きょとんとした表情を向ける。

 そして、すぐにまた曇らせながら、ぽつり、ぽつり、と言葉を続けた。


「……お話が、したいんです」

「話?」

「はい。……“星の巡礼者”と、お話がしたいんです。どうして……何も、教えてくれないんでしょうか?」


 この世界の、誰も――――“星の巡礼者”と対話に成功した事は無い。

 そもそも知能があるかも不明、身振り手振りすら成立はしないのだから。

 俺は、黙って、リーナの次の言葉を待つ。


「どうして、私たちの星の生き物を真似て降りてくるのに、私たちとはお話をしてくれないんだろう、って。……どうしても、気持ちが分からないんです。気持ちがないはずなんてないのに。いくら話しかけても、答えてくれなくて。そうしている間にも、街は壊されていく。みんなが作ったものを、踏みつぶしていく。……私いつも、決めるのが遅いんです。魔法少女として戦う覚悟はあるのに、“倒す覚悟”は……いつも、なかなかできないんです」


 リュミエール・リーナの戦闘が長引く理由を初めて、告白された。

 倒してしまえる力はある。なのに、リーナの戦闘はいつも長引いてしまうのは――――ぎりぎりまで、巡礼者との対話を求めてしまっているからだと。


「次の矢を番えるまでの間に、何か聞かせてくれるかもしれない。必殺技を撃つ直前、もしも話しかけられてしまったらどうしようか。そんな事を考えちゃうんです。――――必殺技を撃ったすぐ後に、声が聞こえてしまったら、とか……」


 取り返しのつかない、“倒す”決断を下すまでが――――彼女の優しさであり、足枷あしかせなのだ。

 それが、俺にはすぐに腑に落ちた。

 彼女は、何もかもが露稀さんの反対にある。

 問答無用の露稀さんに対し、対話の可能性を探るリーナ。

 一太刀で済ませる露稀さんに対し、警告と牽制で最後まで粘るリーナ。

 二人はまるで正反対の存在だった事には、心のどこかで気付いていた。


「露稀さんは……凄いですよね。カッコいいし。強いし、綺麗だし……私とは、大違いで……」

「ああ。……キツいし、怖いしさ」

「……露稀さんに言いつけますよ?蛍くん」

「それは勘弁」


 話せば話すほど――――リーナは、優しい女の子だと知る。

 優しいせいで決め手に欠け、聞く耳持たず破壊の限りを尽くす巡礼者達をも、憎むべき敵とは見ていない。

 リーナの“愛”は、敵であるはずの奴らにさえも向けられているから。


「……そういえば、露稀さんの事ですけど。セサミが、気になる事言ってたんですよ」

「え……何?」

「えっと……露稀さんの武器。あのすっごい長い刀。……何か、不自然なものを感じるって……」

「不自然?」

「セサミもうまく説明できてなかったんですけど。なんていうか、まるで……無理やり、に……。……っ!?」


 途中まで言いかけて、ばっ、とリーナは空を仰いだ。俺もつられて上を見るけどそこには何もない。

 相変わらずの、降りそうで降らない曇天がただ留まっているだけ、だったのに――――雲に切れ込む、おかしな裂け目が現れた。


 そして、俺にも見える。

 雲の裂け目に続いて現れた、小さな点。それはやがて――――大きく。更に、大きく。ぎゅんぎゅんと肥大化するように目の前で大写しアップになっていき――――俺とリーナの上を薙ぎ払うように飛び去り、その風圧で大観覧車のゴンドラがぐわんぐわんと揺れ、地面にも土埃を巻き上げる凄まじいまでの風が叩きつけられて、とっさに顔をかばうも――――口の中に、砂利の味がした。


「ぷぇっ……! い、今のは……!?」

「巡礼者です! 蛍くん、どこかに隠れて!」


 ぺっ、ぺっ、と口に飛び込んできた土埃を吐き出しながら立ち上がると、リーナはどこからか取り出したのか淡く光を放つ、マイクほどの長さを持つ白銀の宝具を胸の前で捧げ持つ。

 それは、厳かな印象を受けるとともに、優しい慈愛を放つような、魔法少女の持つ変身アイテム――――その名も、“魔杖ウォンド”。

 リーナのそれは白銀の十字錫を縮めた様にも似て、いくつもの白い水晶が眩く輝き、光の糸をり出し始めた。

 変身アイテムでもあり、変身後は魔法少女の“武器”へと変わるそれは、奇跡の具現化。


 リーナは、胸の前で捧げ持っていたそれを高く振り上げ――――そして、叫ぶ。

 その眼に宿るのは、さきほどまでの優しげな、それでいて切ないあどけない顔とはまるで違う。


 この星を守るために戦う、可憐でたくましく、儚くも力強い――――魔法少女のものだ。


魔法プティ少女ソーシィエール――――変身シャンジュ!」


 ――――解き放たれた、“魔法の呪文”へ連なるように光の糸は繭へと変わる。

 彼女の体へぴったりと張り付いた魔法の繭は、虹色に輝きを放ちながら――――その形状を変化させ、七色の光とともに星崎瑠璃菜の体を包んで、変貌させる。

 それは朝焼けに照らされながら羽を解き放ち広げていく、鮮やかな蝶の羽化を見ているようだった。


 妖精の鞘羽を広げ、眩いまでの純白の魔法装束に身を装い、その手に持つのは白磁の聖弓。

 空を一瞬で通り過ぎた風を生み出したそれは既に彼女の目の前にある。

 例えるならば、巨大な鳥――――アラビアンナイトの世界に登場する“巨鳥ロック”を、爬虫類の方向へと無理に進化させたような代物だった。

 全身に鱗と羽根がランダムに混ざり合い、長い首はさながら蛇のような鱗に覆われて緑色と黒の目玉のような模様を形作る。

 頭部はまさしくロック鳥さながらの猛禽のものだが、くちばしの中に生えた無数の針のように細く鋭い歯列に思わず身震いする。

 地面から二十メーターほどの空中にばさばさと滞空するようにせわしなく翼をはためかせ、その度に土埃が生み出される風によって舞い上がり、周囲にある遊具はぎしぎしと音を立てて軋む。

 それなのに彼女は凛として立ち――――逆に、きっ、と巨鳥を睨み返す。


 世界を襲う星の災厄に立ち向かう、地球に選出された、威風堂々にして可憐な戦士の一人。

 彼女は高らかに、名を告げた。


「魔法少女――――リュミエール・リーナ! この星を傷つける事は絶対に許しませんっ!」






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